第40話・母国への帰還

 景色が、空気が、そして湿度が変わる。


「うっ」


「くっ」


 オラシの冬に慣れていた二人は、その暑さに思わず呻いて、喉元に手をやって服の中に空気を入れた。


「暑い……ですね」


「ああ。……まあ北の果てから一瞬で移動すれば、空気に合わないのも当然だ」


 額に汗がにじむ。


「早く行かなければならないのは分かっていますが……」


「少し体を慣らさないとまずいな」


 エルは体を動かしながら呟いた。



     ◇     ◇     ◇



 朝のブール王宮に、衝撃が走った。


 王鷲のブローチを捨てた王鷲の一人、エルアミルの帰還。


 リッターとルイーツァリが探索の旅に出ていたが、恐らくは見つからないと思われていた。彼は魔法使いと共に逃亡したと言われていたからだ。


 それが、見つかった……?


「エルアミル殿下に相違ないか!」


「あの藍色の瞳は、御母上のレジーナ様の一族しか持たぬ色、間違いはないかと」


「フィリウス殿下に会わせるな!」


「いや、フィリウス殿下への威嚇となる!」


「エルアミル殿下はどちらにおわす!」


「客室には人の気配は……」


「と、とにかく……」


 ほとんどいなくなった王鷲の生き残りを、殺させてはならない!


 心ある重臣は、エルアミルが通された部屋へ急いだ。



「随分と外が騒がしいな」


 仮にも国の王子であった者を通すには不適当な召使の控室で、ぼそりとエルは呟いた。


「残った王鷲は少ないそうですから」


 リッターも頷く。


「反フィリウス派はエルアミル様を見殺しにはできない。フィリウス派は本物かどうかを確認してから処断したい。どちらにせよフィリウス殿下は出てきますよ」


 エルもリッターも魔法の目があるのは承知の上で話している。


「やれやれ……こんな形で戻ってくるとはな。俺は二度と戻る気はなかったんだが」


「要請に応じてくださったからにはきちんとなさってくださいね、王子」


 どんどんどん、とドアが叩かれる。


「エルアミル殿下! リッター殿! フィリウス陛下がお呼びです!」


 エルはにやりと笑った。


だと」


「ですね」


 リッターは軽く首を竦める。


「腹は据わったか?」


「ここまで来たら据わるしかないでしょう。もう逃げだせる場所もないんですから」


 フィリウスが送り込んでいる魔法の目とは別に、アルの魔法の目が綺麗に気配を隠して見ているのを感じる。


 情けないところは見せられない。自分を好きだと言ってくれたアルやジレの為にも、後顧の憂いを絶たなければ。


 武器は取り上げられている。ナイフの一本まで取り上げられた。ただリッターがアルから受け取った小石五粒が懐に残されている。


 立ち上がりながら、エルはエルアミル王子ではなく冒険者エミールの顔でにやりと口元を歪めた。


「行くぞ」


「はい」



 召使の控室から前後左右を完璧にプレートメイルに鉄仮面をかぶった騎士に囲まれて、エルとリッターは歩く。


「厳重なことだ」


 エルがぼそりと呟く。


「ブローチを捨てた俺をそこまで警戒する必要もないだろうに」


 周りの騎士は返事しない。もちろんエルも回答を期待していたわけではない。

囲まれたまま歩く。騎士はエルとリッターを隠したいらしいが、エルが結構な長身なので隠しきれない。


 しかも。


 リッターもエルも気付いていたが、この通路は隠し通路だ。王族しか知らない、玉座の間からの脱出用の隠し通路を普通とは逆に進んでいる。


「なるほど、俺たちの姿を見られたくないのか」


「フィリウス様は何をそんなに恐れておいでなのでしょう」


 ぴくり、と周りの騎士が反応した。


 リッターは背中が汗でびっしょりなのに器用に顔には出さず、言葉を続けた。


「王鷲のブローチがない……つまり王の資格がないエルアミル様にここまで厳重な監視は必要ないでしょうに」


「……ルイーツァリのことを知らんのか」


「ルイーツァリ殿がお帰りに?」


 我ながら白々しいと思いながら、リッターが聞き返す。


「エルアミル殿を私が連れ帰ったということは、ルイーツァリ殿は見つからなかったということですよね。今はどちらに?」


 鉄仮面をかぶった騎士たちは、一瞬視線を交わし合った。


「……一介の宮廷騎士が詮索していいことではない」


「なら話さなければよかったのに」


 不愉快、という顔でリッターは呟く。


 いささか違和感を感じてはいるが命を狙われる心当たりはない、という顔で歩く二人。


「出ろ」


 隠し通路から出された。


 玉座の間に出る。


 玉座の間にはいくつかの脱出経路があるが、その中でも一番玉座から遠い通路から出される。


 やれやれ、とエルは通路を歩くうちについた埃を払いながら玉座を見る。


「フィリウス陛下の御前であられるぞ! 両名、控えろ!」


 玉座に座った男……エルアミルの異母兄、フィリウスが険悪な表情で二人を見ている。


「陛下……? 父上は一体?」


「父上はお倒れになった。今は私が国王代行だ」


「兄上が」


「不服か?」


「いや……王鷲を捨てた俺は王に会う資格すらない一個人です」


 エルは低い声で言った。


「それなのになぜわざわざリッターやルイーツァリを探索に出されたのですか」


「その前に、お前が本当にエルアミルが確かめさせてもらう」


 フィリウスはゆっくりと玉座から立ち上がった。

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