第39話・乱入準備
夜明け前にリッターは目を覚ました。
アルのおかげで早すぎも遅すぎもしない時間に起きられたようだ。
一応手入れをしてしまっておいた、黒い鎖帷子をまとう。ブールの騎士は全員これを持っている。夏は暑いし冬は冷え込むが、それを耐えてこそブールの騎士……誰が考えたんだこの誰も幸せにしない考え方は、と今のリッターはツッコみたくなる。
大剣を装備し、馬小屋に行ってずっと世話をしてもらっている自分の愛馬を撫でる。思えば遠くまで一緒に来たものだ。こんな寒い場所ではなくブールに帰そうかとも思ったが、裏切り者の愛馬がどうなるかと思えばここでジレに手入れしてもらっているほうが幸せだろうと思う。
「パールト」
頭を擦り付けてくるのを受けとめ、首筋を撫でながらリッターは愛馬の名を呼ぶ。
「祈っていてくれ。私と……エミール殿がここに無事戻ってこれるように」
ぶるるんと鼻息を出す愛馬としばし触れ合って、そしてリッターは馬小屋を去った。
冷え込むオラシの冬にこの装備は耐えられない。急いで屋敷に戻る。
居間に行くと、プロムス、セルヴァントが既に待っていた。
「エル殿は」
「着替え中ですよ」
温かい汁物の朝食を出してくれたセルヴァントに感謝して、それをすする。
「待たせたか」
入ってきたエルは、今まで見た中でも一番立派な服だった。
しかし、服が薄いせいか、服の下からでも鍛え抜かれた筋肉がわかる。頬の傷とも相まって、違和感が半端ない。
「……エルアミル王子と同一人物には見えませんね」
「ああ、我ながら変わったものだと思っている」
そこへアルが入ってきた。
「ねえ、エル兄……言っていい?」
「何だ」
「どっちかって言うと、リッター兄が王子っぽく見える」
「仕方ないだろ」
はあ、とエルは溜息をついた。
「俺だって五年でここまで体格が変わるとは思ってなかったんだ」
「いっそのこと普通の冒険者の格好がいいかもしれないわね」
あちこちからエルを見て、セルヴァントは肩を竦めた。
「その体格とその傷でそんな服を着たら、訳ありの人間にしか見えないわ」
「事実、冒険者なのですからその方がいいのでは? 少なくとも私が出立する前まではエルアミル王子と冒険者エミールを同一視する者は誰一人いなかったのですから」
「……だな。もう一度着替えてくるから、飯、頼む」
「はいはい」
「……昔は似合ったんだけどね、ああいう服」
アルがくすくす笑う。
「王子のような服が似合わない王子って、何なんだろ」
「王となるにはいいんだけどね。強面の方が相手に舐められないから」
「じゃあいっそ、王様のような恰好をすれば」
「フィリウスが激怒してこれ、だね」
首を刎ねる仕草に、アルは首を竦めて黙った。
「アル、俺は王になるつもりはないぞ」
今度は革鎧を身に着けたエルが戻ってきた。
さっきまでの貴族のような服とは違い、地味で使い古されているが、それが傷や体格と相まって歴戦の冒険者に見える。
「……ちょっと強く見えすぎますかね?」
「フィリウスが近寄ってこない可能性もあるね」
プロムスが顎を撫でながら呟く。
「傷を隠せばそこまでは見えないんじゃないか? アル、傷を隠すことができるかね?」
「任せて」
カチリと龍頭が鳴る。途端、その頬の深い傷跡が消え、普通の皮膚のようになった。
顔を恐ろしく見せていたのは傷跡なのだと分かるほど、エルの印象は柔らかくなっていた。筋肉は隠れていないが、それでもさっきまでの近寄りがたさはない。
もっとも、眼だけは隠しようがない。
数々の窮地を乗り越えてきた、ハヤブサのような瞳。色は藍。
「藍色の目は、エルアミル様とジレフール様の母上、レジーナ様の色。王鷲の中でも二人にしかない色」
プロムスが小声で言った。
「フィリウス王子は、きっとそれを確認しに来るでしょうね。自分の目で」
セルヴァントが続ける。
「恐らく武器は取り上げられる。だが」
エルはぐっと拳を作った。
「武器なしで戦う手段を、俺はいくつか知っている」
すっと俯いたリッターの手に、アルが近寄ってきて小さな石を握らせた。
「これは?」
「目くらまし」
小さな石をいくつかリッターの手に落とし、アルがリッターを見上げる。
「ブールは魔法に敏感だから、外から敵意を持った攻撃魔法とそれに準ずる魔法道具は持ち込めない。これが限界。エル兄とリッター兄には効かないように調整済みだから、いざとなったらそれを床に叩きつけるか、拳か足で砕くかして」
「ありがとう」
エルは大急ぎで汁物をかっ込むと、立ち上がった。
「場所はブールの正門から見えないところ。設定としては、リッターが俺を見つけて連れ帰った。それでいいな?」
リッターに向けられた問いに、頷き返す。
「ジレフール様はお亡くなりになり、北東の街ノルデステで冒険者をして食い繋いでいるエルアミル王子を私が発見し、説得、帰還に応じられた、ですね」
「ああ。時間としては二刻にも及ぶまい。その間に決着をつけ、俺とリッターはここに帰る」
「僕はここから見てる。フィリウスを仕留めたと確認した時点で移動魔法を使う、それでいいね?」
「ああ。ジレは?」
「時間間隔をごまかして寝ている。三時間くらいかな」
「それまでには、全部終わっている」
エルはリッターを見、アルを見た。
「行くぞ」
「はい」
アルが龍頭を押す音が、妙に大きく響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます