第38話・夜半の会話

 結界を戻した後、エルは朝早いからとさっさと自室へ戻った。


 リッターもセルヴァントにおやすみなさいと言われ、自室に戻ったものの。眠るどころか休憩になるかどうかもわからない。


 ベッドに座ったまま何度目かの溜息をついた時、声がかかった。


「寝れない?」


 独特の声に、リッターはくすっと笑って答えた。


「エル殿……エルアミル様ほどに肝が据わってるわけじゃないからね」


「エル兄も五年かけてああなったんだよ」


 暗闇からすぃっと現れたのはアル。


「どんな時でも眠れて、気配の変化に体が反応する。そうなる前はひどかったよー? 魔物がすぐそばまで来ても気付かないから、僕が蹴り起こして、慌てて剣を探してたようなもんだから」


「エル殿にもそんなときがあったんだね」


「そうなんだよ。冒険者に身を置いていれば、嫌でも危険な気配に晒されるし、判断一つ間違えれば命を落とすことだってある。王子様から冒険者への転職はなかなか厳しかった。でもエル兄はヴィエーディア師匠の訓練を受けて、その後は独学で、それを成し遂げた。だからかな。僕がエル兄を尊敬するのは」


「そうだね……。家族を守るために強くなったんだろうね」


「うん。エル兄は峻嶮とか言われてるけど、本当はすっごく優しいんだ。僕が嫌な記憶を思い出さないように、すっごく気を使ってくれてた。険しい顔してるのは、僕やジレが厄介に巻き込まれないように。少なくとも自分の判断で考えられるまでは、睨みを利かせるため」


「……エルアミル様の記憶を取り戻しても、君にとってはエル兄のままなんだね」


「うん!」


 アルは笑顔で頷いた。


「血のつながりもない、ましてや人間ですらない僕を弟と呼んで気遣って大事にしてくれる人なんだよ? 気持ちに甘えてるって自覚はある。でも、僕はエル兄の弟ってことが嬉しいんだ」


「そう、だね」


 アルの笑顔は、リッターにはまぶしく映った。


 エルは、こんな尊敬を勝ち取るまでにどれだけの努力をしたんだろう。


 母国から逃げながら、偽の家族……ジレ以外は血の繋がりのない五人を、一家の長としてまとめ、守り、愛して。


「私も、いつかそんな風になれるかな……」


「リッター兄はエル兄を目指してるの?」


「蒼き峻嶮のエミールを」


 ここで、リッターは苦笑した。


「正直、付き合った期間はエルアミル様の方が長い。フィーリア殿に操られているように見えて、レグニムにいる間不安で仕方がなかったのも覚えているし、私が国から出されたのはエルアミル様が失踪したからだ。だが、それらすべてを並べても、エミールという冒険者を尊敬しているし、エルと言う男に憧れている」


「そっか、リッター兄もか」


「アルくんも?」


「守りたいと思う者を守って、泥を被る時は被る。人を助けるのが魔法猫だけど、エル兄はそれ以上に人を助けている」


「うん」


「冒険者は上下の差が激しいんだよね。上は国王にすら謁見できるけど、下は村の宿すら断られることもある。スタートは同じでも、ゴールは全然違うんだ。エル兄はそんな中をひたすら最善を選び、考えて、そして二つ名がつくまで上り詰めた。なのに、ブール国王子の暗殺を引き受ける。オラシなんて見捨てて、ブールも見捨てて、屋敷ごと逃げちゃえばいいのに」


「……そうだね、それが正しい手段だ。自分たちを守るには。見捨てて逃げるのが正論だ」


「でも、エル兄はブールもオラシも見捨てず、最低限の被害で事を収めようとしている。自分が泥を被っても構わないって」


 アルは遠い目をしていた。


「僕はそう思えなかった。自分の失敗を他人のせいにして、他人を恨んだ。それで目が虫入り琥珀になった」


 しゅん、と首を竦めてアルは呟いた。


「エル兄みたいになりたい」


「アルくん」


「エル兄みたいに、よく考えて、正しい道を選んで、一人でもたくさんの人を守れるようになりたい。……本当は、分かってるんだ。リッター兄の武器……思考力? あれが本当に僕に必要なんだって」


「……そっか」


 リッターは立ち上がって、アルの頭をぽんぽん、と叩いた。


「無事戻ってこれたら、その時は私に教えられることは何でも教えてあげよう。……もちろん君にやる気があれば、だけど」


「本当?」


「ああ、本当だとも。……君のおかげで眠くなってきた。君も寝なさい。君が私たちを移動させない限り、作戦は始まらないんだ。間違って牢獄なんかに入れられたら困るからね」


「あはは、そしたらジレに怒られる」


「怒られるだけで済むかな?」


「うーん、……考えたくない」


「私も同じだよ。とにかく、ジレさんはもう少し知らなくていい。この一件からジレさんを除くのは心苦しいが、実の兄がもう一人の兄を殺しに行くなんて聞かせないのが一番だ。特に兄の存在を覚えていないんだから」


 うん、とアルも頷く。


「じゃあ、僕も寝るね。リッター兄、眠りのおまじない、いる?」


「少しばかり、欲しいな」


「うん、じゃあ」


 アルは時計の龍頭を押して、その指を伸ばしてリッターの額に押し付けた。


「お休み、リッター兄」


「……ああ、お休み」

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