第34話・かつての母国は

 リッターは自分が母国を見捨てる前に母国が自分を見捨てていたことを知った。


「フィリウス王子が勝手に玉座に座り、国政を思うがままにしている……他の王鷲の暗殺や処刑、逃亡した王鷲の捜索などを行わせて……私の姿は、フィリウスに逆らった者の末路として……見せしめに使われたのだろう……」


「非道な……」


 そのような人間が王位に就いたなら、ブールは恐怖政治に治められるだろう。周囲の国々はそんな王が攻めてこないよう警戒する……あるいは殺られる前に殺る。戦争があちこちで起きるだろう。そして……国民は疲弊ひへいする。国内外で治安は悪化し、そして、いずれ……」


「ブールは終わったな……」


 リッターは口にしていた。


「……ああ。最早……我々にできることは何一つない……」


 ルイーツァリも呟いた。


「……待てよ」


 リッターは一瞬頭をよぎった不吉な考えを、無理やり飲み込んだ。


「どう……した?」


「いいや……何でもない」


 リッターは首を小さく振る。


「ルイーツァリ殿、あなたは助かった。今は養生して、それからその後のことを考えた方がいいでしょう」


「すまない……」


 ルイーツァリは力尽きたかのように黙り、リッターはクラルを呼ぶ。


「話は終わったか」


「ええ。もう休ませてあげてください」


「分かった」


 顔中に貼られた油紙の隙間から、クラルはルイーツァリに薬湯を飲ませる。


「これで、数日は眠っているだろう。その間に傷を洗ったり縫ったりしないと」


「よろしくお願いします」


 リッターは頭を下げて、水晶の欠片に囁きかけた。


 ふっと影が現れて、形を成す。


「アルくん、ありがとう」


「うん。家でいいんだよね?」


「もちろん」


 アルは懐中時計の龍頭を、左手でリッターを掴みながらカチリと押す。


 風景が歪んで、屋敷の居間に辿り着く。


 自分もルイーツァリも長い旅をしてここまで辿り着いたのに、アルにかかれば一瞬だ、と思うと少し納得できない思いがする。


 だが、リッターはアルに微笑みかけた。


「ありがとう」


「どう致しまして」


 アルはニカッと笑って自分の部屋に向かった。


 その直後にエルが居間に入ってくる。


「どうだった」


 リッターは自分でも震えていると思う声で言った。


「ブールは……終わるようです」


「……最初に会った時もお前もそう言っていたが」


「私の予想の五段ほどは上に行ってしまっています。このオラシも危ないかもしれない」


 その言葉に、エルは目線で口を閉じろと言った。リッターも頷く。


 少なくとも、他人だけではなくアルやジルにも聞かせていい話ではない。


「考えたいことがあるので、部屋へ戻ります」


「ああ。……あの二人が寝たら」


 リッターは自分に割り当てられた部屋に戻ると、そのままベッドに倒れこんだ。


 頭の中がグルグルしている。


 まずい。やばい。危険。


 色々なマイナスワードが頭の中を通り過ぎている。


 ……叫んでしまえたら。


 だけど、屋敷の外には自分狙いの女性が張り込んでいるという。この部屋の位置を把握して張っている可能性もあると思うと、呟くような独り言ですら言えない。


 ……どうしよう。



     ◇     ◇     ◇



 夕食も、せっかくセルヴァントが作ってくれたのに味も感じず咀嚼そしゃくして飲み込んでいくだけ。


「ごちそうさまー」


「ごちそうさま」


「ジレ、アル。部屋に行け」


 エルの声に、アルは頷いて立ち上がった。


「私たちが聞いちゃいけない話なんだね?」


「ああ」


 ジレにエルが頷き返す。


「……話してよくなったら話してね」


「もちろんだ」


 ジレはエルとリッターを交互に見てから、渋々という顔で居間を出ていく。


 二人の姿が消えたのを確認して、エルは居間の中心、大きなテーブルの真ん中に指を当てた。


 カチリと音がして、円形の穴がテーブルの真ん中に開き、下から同じ色の板が……水晶球がめ込まれた板が上がってくる。その水晶をエルは押し込んだ。


「よし。これでこの居間は誰も入ってこれないし聞き耳を立てられない」


「これは?」


「ヴィエーディア殿が施した仕掛けですよ」


 プロムスが答えてくれた。


「アルプ殿の虫入り琥珀をどうにかする旅の前に、屋敷に組み込んだ仕掛けの一つです」


「そうなんですか」


 この話を聞かれないのは良かったと息を吐いて、自分がずっと緊張していることに気付いた。


「で? リッター、ルイーツァリは一体どういう理由であんな怪我でオラシまで?」


 リッターは自分で確認しなおすように、ルイーツァリから聞いた話をした。


 レクス王が再び倒れたこと、フィリウス王子が自ら玉座に就いたこと、王鷲の探索と抹殺が行われていること、エルアミル・ジレフールを見つけられずに戻ったルイーツァリを拷問にかけて、近隣の国に決してルイーツァリを助けてはいけないと命じたこと……。


「フィリウスが……」


 エルが絶句した。


「そこまでやったのか?」


「でなければ、ルイーツァリ殿がこんな北の果てまで歩いてこないでしょう」


「……ブール国内はさぞ怯えているでしょうね」


「フィリウス王子はジレフール様にもずいぶん辛く当たられていましたから覚えていますよ。母親も違うし病気で辺境にいるジレフール様に、さっさと王鷲の資格を失え……つまりは死ねという手紙を書いてきたのですから」


 セルヴァントが忌々しそうに天井を見上げた。


「で、リッター」


 エルはリッターを見つめた。


「お前は、何を恐れている?」

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