第32話・怪我の理由
あれだけの重傷者が一人で歩いていたというのは、街道贈沿いに他に人はいなかったということで、今度は獣警戒用に森の側に向かいながらも、リッターはルイーツァリの姿を消し去ることはできなかった。
「気になるか」
「なりますとも」
リッターは小さく唸る。
「私、正直、ルイーツァリ殿を
「なんで?」
不思議そうにアルが聞く。
「ブールは南の国だというのは知っているだろう?」
「うん」
「だから、ブールの民は暑さに強く、寒さに弱い。任務……私とルイーツァリ殿は同じ任務を請け負ったが、ルイーツァリ殿は南の捜索を命じられていた」
「で、リッター兄は北の捜索と」
リッターが頷く。
「雪が降りだした頃は、ああこれが雪か、何とも小さく美しいものだなと暢気に思っていたが、積もり出し、気温も下がり、馬の歩みに影響が出てくるようになると、なんで自分が北に派遣された、こんな北の果てまで来てしまったと文句ばかりが頭に浮かんだ」
「ああ。雪装備全然なかったもんね」
「最後に会ったのが春の初め。それから半年以上。ルイーツァリ殿は私より経験を積んだ強い騎士なのに、何故あそこまでの怪我を負ったのか……」
「明らかに、人の手によるものだった」
アルがぽつりと呟いた。
「ああ。刃物による切り傷、殴られた痕、恐らくは鞭による裂傷……。拷問でも受けたんだろうか……」
「だが、拷問から逃げ出したなら追手がかかるはず。なのに、あんな足取りで街道を歩いていたのに、後をつけている者は誰もいなかった」
「うん。追手はいなかった。気配、全然なかったもん」
「魔法の気配もなかった」
ジレとアルも請け負う。
「となると、何があったのか……。……いや、これ以上は考えても無駄だな」
顎に手を当て、黙考する様子を一瞬見せたエルだが、すぐに首を振った。
「そうですね。ルイーツァリ殿が意識を取り戻してから聞くしかないですね……」
「兄さん、大キツネ」
ジレが獣の気配に気付いて指さす。
「ジレ、アル、お前らだけでやれ」
「え? でも、取り分は?」
「お前ら二人でいい。できるか?」
「うん、やる」
ジレがクロスボウに矢を装填し、じりじりとまだ気付いていないキツネに距離を詰める。アルも龍頭をカチカチさせながらじりじりと近付いていく。
エルはそんな二人を見守りながら、声だけをリッターに向けた。
「ルイーツァリのことだが」
「言いませんよ」
リッターもキツネ狩りの様子を眺めながら返答する。
「もちろん情報は渡します。しかし、エル殿の許可が出るまではルイーツァリ殿のことは彼らの前では言いませんよ」
ルイーツァリが怪我人に仕立て上げられた間諜の可能性があるという考えを、リッターはもちろん捨てていない。
自分が国を捨てたことを知られて向けられた刺客であれば、リッターだけが泥をかぶればいい。だが、エルやジレの行方を知ったか、あるいは可能性を見出して、門番も門を開けるような重傷者に仕立て上げられた追手なら、間違ってもジレやアルを接触させてはならない。
「すまないな、お前だって春が来れば狙われる立場になるのに」
「いえ。私だって彼らは大事ですから」
獲物を仕留めて大喜びしているジレとアルを見ながら、リッターは何でもないような顔で言った。
「剣を捧げたわけでもないのに」
「あんなに純粋に好意を向けられるなんて、初めてだったんです」
騎士の家系に生まれ、政治争いの場に巻き込まれたことも少なくない。エルが言ったように、熟考して、答えを見つけ出す、それは幼い頃から培われた保身だった。
敵か、味方の振りをした敵か。リッターの周囲には純粋に味方であるという存在はなかったと言っていい。
「懐かれて、大好きだって言われて。そんなのは初めてだったんです。だから」
キツネの解体に取り掛かる二人を見ながら、リッターは言った。
「剣は捧げずとも、あの二人は……あなたを含めて三人は……私が守りたい存在なんです」
「そうか」
そして、さらに低い声でエルは言った。
「ジレには手を出すなよ。少なくともあと三年は」
「あなたを敵に回すようなことはしませんよ」
リッターは苦笑した。
◇ ◇ ◇
それから、三日。
治療院から屋敷に、ルイーツァリが意識を取り戻したとの連絡があった。
「リッター兄」
「行ってきます」
リッターは穏やかな笑顔で言った。
「リッターさん一人で?」
「ええ。国の話になるかもしれませんし」
心配そうに言う二人に、リッターは穏やかな笑顔を絶やさずに言った。
「私は大丈夫ですから」
「ううん、ルイーツァリさんのことを言ってるんじゃないの」
「まだ入り口に八人ほどいるよ、女の人」
ひきっと穏やかな笑顔が壊れた。
「治癒院の周りにも五・六人。リッターさんが人を助けたからって絶対来るって待ち構えてる」
ジレも治癒院の方を見て呟いた。
「治癒院まで魔法で送ろうか?」
「……お願いします」
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