第8話・雪の森
雪を踏みしめると、ざく、ざく、と足音がする。
結構大きな足音なのに、辺りは静まり返っていて、まるで雪が音を吸い込んでいるかのようだ。
リッターの吐く息は、白い。
前を行くジレと、エルの足取りはそれほど早くはない。
雪道に足を取られているからだろうか。
……いや、違う。リッターに歩調を合わせているのだ。
国では将来有望な騎士と呼ばれてきた。エルアミル逃亡を止められなかったことで評判は落ちたが、自分の実力と、王子を連れ帰ったという実績があればそれ以上の座に帰りつけるものと思っていた。
だが、この雪の前には、自分の積み立てた実力も実績も何の意味もないのだと思い知らされる。
あっという間に息が上がる。
白い。白い。何処までも白い……。
「ホワイトアウトするには早いよー」
ぐい、と腕をつかまれ、我にかえる。
腕をつかんでいたのは、アルだった。
「あ、れ? ……私は」
「意識飛ばしかけてたんだよ。寒いの慣れないの辛いよね。ちゃんとぼくがあげた暖石、持ってる?」
懐に入れた塊を取り出して、手で包み込む。アルが魔法陣を刻んでくれた石は少し熱いくらいの熱を放っている。
「これじゃダメだね、ちょっと貸して」
アルはリッターの手から暖石をひったくって、指に魔法力を集めて魔法陣を書き足す。
「これでいいと思う。外套の内側のポケットに入れて」
内側のポケットに入れた途端、全身を流れる血が微かに熱を帯びる。
暖かい。
全身がほかほかする。
「熱くなってきたら一度外して。体の熱は上がりすぎると体が固まっちゃうからね、ちょうどいいを保って」
「……ありがとう」
今朝腹の上に飛び降りられた以上に、アルには世話になっている。後ろから様子を見て、ちょくちょく話しかけてくれる。気紛れなようで、世話焼きなのだろう。冒険が初めてという自分を気遣ってくれている。
「リッターさん、荷物は大丈夫? 重くない?」
先頭を歩くジレが振り返って聞いてくる。小柄な体でリッターより少し小さい程度の荷物を背負って、この雪の中平然としているのだから、冒険者として鍛えた体を持っているのだろう。
「ああ、大丈夫だ……すまない、足手まといで」
「わたしだって初めての冒険の時はふらふらになって兄さんに背負われて帰ったんだよ。誰だって初めてはそんなもの。気にしない!」
ニコニコと笑ってジレは前を向く。
プレートメイルを装備して乗馬してランスを抱えて敵に突撃する筋肉は、何の役にも立たない。踏みしめて歩く足が重い。分厚い外套を着て荷物を背負って歩く筋肉は自分にはない。
馬がなければただの人、いや足手まとい……。
いや、と気を取り直してリッターは歩みを進める。
足手まといを覚悟でここに来たのだ。今の自分が変われるかどうかを試すために。
国を離れて、騎士の地位を捨てて、自分という人間が生きていけるかどうかを。
自分の立場が危ういのをリッターは理解している。そして、尋ね人と尋ね猫を連れ帰ったとしても秘密を守るために口封じされる可能性があることも。
見栄と生命を賭けて見栄を選ぶのが騎士。だけど、リッターは見栄を選べなかった。生きたいと思った。家の名誉も自分の誇りも全部捨ててでも生きていたいと思ってしまった。
生き残ることこそが仕事の冒険者。彼らは生き残ることにどれだけ信念をかけているのか。どのようにして生き残っているのか。
それを見たいと思ってしまったのだ。
この冒険者三兄妹が、それを知っている。だから、見たかった。見ることによって、これからの自分を決めようと思った。
「立ち止まっていると余計辛いぞ」
エルが振り返らずリッターに声をかける。
「は……はい!」
リッターは落ち込みがちになる自分に無言で喝を入れ、肩に食い込む荷物を背負いなおし、エルの背中をまっすぐ見据えて歩きだした。
森をある程度入ったところで、ジレは足を止めた。
「この辺りかな」
ジレは辺りを見回す。
オラシから半日、森に入ってしばらくの、こんもりとした雪に覆われた場所。
「この辺りか?」
「うん」
ジレはじっくりと周りを見回す。
「前もって調べといたけど、目撃情報とか秋口に調べた森からすると、この辺りに雪熊の獣道がある」
「アル」
アルは懐から金色の懐中時計を出して、
龍頭を一度押すごとに、アルの瞳が輝いていく。
琥珀から、金に。
(……金の瞳?)
何かが引っ掛かった。何か。何だ?
アルは金の瞳でじっと辺りを見回す。
「……うん。食料がなくてここを通る雪熊が見えるね。オラシへ向かう雪熊はまずここを通る」
「よし、仕掛けるぞ」
エルはリッターに荷物を下ろすよう告げると、あちこちを見て、雪熊が引っ掛かりそうなポイントを探す。
雪熊はリッターの知っている熊より一回りは大きい。だから当然罠も大きいし頑丈だ。普段は三兄妹で割り当てて背負ってくるのだけれど、今回はリッターさんがいて助かったとジレは笑ってそう言った。
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