第6話・夜更け

「今晩は泊まってお行きなさいな」


 セルヴァントはカップを片付けながら言った。


「いえ、そういうわけには」


「もう宿は閉まったわ。この寒い中野宿は無理でしょう?」


「はあ……ですが」


「ジレが招いたんだ、明日の朝お前がいなければ不審に思う。明日は依頼で森に行くんだ、その前に揉めたくない」


 冒険者としては仲間割れはしたくないというところだろう。


「よろしければ、どんな依頼を受けたのか教えていただけませんか」


「聞いてどうする」


「いえ……参考までに」


「この辺りには冬、飢えた雪熊が出る。雪熊、知っているか?」


「確か、魔物化した熊で、白い毛皮を持っていると……」


「そう。熊でありながら冬に活動的になり、人里を襲う熊だ。冬の時期、里や都市が門を閉ざすのは、雪熊の襲撃を警戒するためだ」


 セルヴァントが暖炉の前へ行って火掻き棒で火力を強める。冷えてきた。


「しかも冬が繁殖期だから、人間だろうが獣だろうが見かけた端から襲うし、仔が生まれたら生まれたで母熊の凶暴性は増す。冬が深まる前にある程度間引いておかないと、オラシほどの都市であっても冬を越えられない可能性が出てくる」


「なるほど、それでこの都市にこの時期にいらっしゃるわけですか」


「それだけではなく、食糧を溜め込んでいても足りなくなることがある。冬の時期外に出て戦える冒険者を、ここらの里や都市は暖かい寝床とひと冬の居場所などを提供して集めるんだ」


 冬も暖かいブールでは考えられない状況だ。しかし、このあたりの人間と冒険者にとっては常識なのだろう。


「同道させていただいてよろしいでしょうか」


 エルがじろっとリッターを見る。


「何のために?」


「……試してみたいのです。国でつちかった私の剣の腕や知識が、この世界で役に立つのか」


「立たない」


 エルはスパッと言った。


「俺も子供のころから剣技を学び、魔物にも通用すると思っていたが、何の役にも立たなかった。ヴィエーディア殿にどれほど鍛えなおされたか」


「待ちなさい、エル」


 プロムスが穏やかに止める。


「何故、今、己の実力を試したいと?」


「自分が生き残れるかどうか……国から逃げて生き残れるかを試してみたいのです」


「このままでは自分は国から見捨てられる、と?」


「お二人を連れ帰っても帰れなくても、私の未来は見えません。……宮廷騎士でなく一人の人間として生き残れるか……己を試したいのです。国がなくとも生きていけるかどうか」


 チラリとプロムスがエルを見る。


「我々も森に入れられて厳しく鍛えられたろう。五年前を忘れたかね?」


「……忘れていない。いるものか」


 エルは首を軽く振った。


「ヴィエーディア殿に常識を叩き直され、行動パターンを叩き直された。それまで自分が常識だと思っていたものがまるで通用しない衝撃。あれが今の俺を作ったんだ」


「だったらそれを伝えなくてどうする。今お前の経験を必要としている人間が目の前にいるのに、出し惜しみをするのかね?」


「出し惜しみしているわけじゃない」


 渋い顔で、エルはセルヴァントが片付けようとしたワイン壺をひったくって自分のカップに入れようとして止められた。


「明日はお仕事でしょう」


 セルヴァントに言われ、渋々ワイン壺を返す。


「足手まといがいれば、それだけ任務の達成率も下がる」


「三人そろってでもかい?」


 エルはますます渋い顔をした。


「それは……」


「僕はいーよ」


「アル」


 琥珀の瞳の少年が、いつの間にかドアから顔をのぞかせていた。


「寝たんじゃなかったのか」


「ジレはね。僕はちょっと寝れなかったから様子を見に来たら、何かエル兄が揉めてたから」


 小さく欠伸してから、アルは続けた。


「要はその人が冬の森で生き延びられるか、でしょ? 僕の魔法があれば守れるよ。雪熊ならエル兄一人でも倒せるよね」


 はあ、とエルは眉間にしわを寄せた。


「……お守りはアルがするんだな?」


「うん。多分ジレも手伝う」


「責任持てよ」


「分かってる」


 溜息が、了承の合図。


義母かあさん、俺の昔の冬装備、倉庫に入ってたよな」


「ちゃんと手入れもしてあるわ」


「多分リッターに合うサイズのものがあると思う。出してやってくれ」


「はいはい。あなたはもう準備できているのでしょう?」


「ああ。……計画をいくつか変更するが」


 それが冬慣れしていないリッターを同行させるための変更だと気付き、リッターはかすかに表情を動かす。


 少し申し訳ない気持ちが立つ。


「申し訳ないと思うなら、きっちり仕事を果たしてくれ」


「私は何をすれば」


「荷物持ちだな。それでも雪道を歩くのに慣れていないだろうから、森の深い場所へは行けないな」


 エルからすれば、お荷物が増えるだけ。迷惑顔も当然だ。


 だけど、試してみたくなったのだ。


 国を捨てて生きている人たちが目の前にいる。自分より弱いと思っていた人々が、強くなって、堂々と生きている。


 自分にもできるのかと。


 国に頼らず生きていくことが、できるのかと。


「とりあえずブーツは合わせなきゃだわね。ついてらっしゃい」


「あ、ありがとうございます」


 エルからアルに視線を移し、礼を言う。


 琥珀の目の少年はニッと笑って、ドアを閉めて行ってしまった。

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