第5話・救国の英雄

「その顔を見る限り、図星、だな」


 エルは壺からワインをカップに注ぐ。


「王鷲の目が王に向く前に毒を抜き、反逆罪で反抗的な王鷲を潰す。そして大人しそうな王鷲を後継者に据えれば、玉座も国も安泰というわけだ。俺かジレなら大人しく従うと思っていたんだろう……五年前なら成功したろうがな」


 蒼き峻嶮のエミール……権力者におもねらない、冒険者の理想として尊敬されているからこその二つ名。


 そんな彼が、大人しく傀儡かいらいに収まるようなことはない。確かに冒険者上がりの王族は、国民に人気が出るだろう。だが、決してレクス王の言いなりにはなるまい。むしろ牙を剥くだろう。王を打倒し、そして国を捨て冒険者に戻る。


「で、どうする」


 青ざめたままのリッターに、エルは皮肉を込めた声で聴いた。


「……はい?」


「目当ての人間はいない。第二候補はいたが、連れ戻すとしても雪が解けないと戻れない。帰った時にはもう遅い、という可能性が大」


 リッターは頬を張られた気分でその言葉を聞いていた。


 さっきまで、フィーリアがおらずとも目当てのエルアミルとジレフールだけでも連れ帰れば、自分は王位継承者を連れ帰った救国の英雄になれる、と思っていた。それで自分は宮廷騎士から王付きの騎士となれると。


 だけど、エルの話を聞けば、それが夢物語なのだと思い知らされる。


 ブローチを捨てたとはいえ王の血を引く者を連れ帰れば、自分の立場がどうなるか。第一目標であるフィーリアを連れ帰れなかったら、王の不興を買うだろう。


 真っ青になって俯いてしまったリッターに、エルは楽し気に追い打ちをかける。


「レクス王は表向きは立派な王を装っているが、自分のことしか考えておらず女とみれば寝所へ引き込むような女狂いで逆らう者には容赦はない。そして失敗した者、役に立たない者、自分を裏切った者にもな」


 それは知っている。


 幼少期のジレフールはひどく体が弱かった。王家が本気で治そうと思えば治らない体ではなかったが、レクス王は最低限の付き人をつけて僻地に送り込んだ。面倒だ、と思ったのだろう。そんな扱いをしていたのにフィーリアが彼女のところに行ったときは、彼女に「愛しい娘」と言ったのだ。幼い王女が何度も会いたいと手紙を書いても返事すら返さなかったのに。


 フィーリア付きの魔法使いヴィエーディアをフィーリアと同じランクで探しているのは、逃げる時レクス王をさんざん罵倒したからだと聞かされていた。つまり、魔法使いとして必要なのではなく、馬鹿にされた復讐をしたいと思っているのだ。


 フィーリアとヴィエーディアこそが本当の王の狙い。エルアミルとジレフールだけを連れ帰ったらどうなるか。


 ……あまり想像はしたくなかった。


「せっかく世界を旅していたのに世界を見ずに亡霊の痕跡だけを探していたとは、勿体ない」


 プロムスが呆れたように言った。


「いっそのこと国など捨てておしまいなさいな」


 ワインをリッターのカップに注ぎながらセルヴァントが言った。


「そんな、簡単に……」


「この屋敷にいる全員が、国を捨てたのよ?」


 セルヴァントは自分のカップにもワインを入れる。


「王鷲のブローチも、安定した給金も、名誉も栄光も捨ててね」


「そう簡単なことではないよ、セルヴァント」


 プロムスが穏やかに言う。


「甘い蜜を吸った者がそこから抜け出すことは難しい……例えその先に破滅が待っていたとしても、目の前の蜜を選んでしまうのが人間だ」


 破滅を見過ごして蜜を選ぶような人間だとプロムスに言われたように聞こえるが、耐えた。事実、そうなのだ。ジレに会って、これで自分は国家の英雄だと思ったのだから。その後に来る騒動に思いも馳せずに。


「フィーリア様とヴィエーディア様のような蜜嫌いが珍しいんだ。あの方々がいなければ、我々はブールで後継者争いに巻き込まれ、命を落としていたかも知れない。この屋敷にいた全員が、死んでいたかもしれないんだ」


「確かに、フィーリア様とヴィエーディア様は飛びぬけた蜜嫌いでしたから」


「あの……お二人は、今どこに?」


 話の流れで聞いてみると、一瞬全員の顔が強張こわばった。


「よく聞けたな」


「い、いえっ、連れ戻そうとか、そういうのではないのです!」


 慌ててリッターは否定した。


「ただ、ブールや他国が必死で探している魔法薬師と魔法使いがその痕跡すら残さず消えているのが不思議で……。ヴィエーディア殿が名高い冒険者だったことは、調べた末に分かったのですが」


「あのお二人は探求の旅の途中だ」


「探求の旅……何を探して」


「それを聞いてどうする?」


 エルが飲みながら磨いていたナイフを鞘に納め、聞いた。


「……どうにもなりませんね。あのお二方が旅の途中であれば、ヴィエーディア殿は綺麗に痕跡を隠せる。私如きが見つけられるランクの冒険者ではない」


 『不死身の変人』ヴィエーディアと、『不倒の三兄妹』エミール、アミール、ジレーヌ。伝説の冒険者と呼ばれる中でもトップクラスの四人と顔を合わせたことがあるというのは自慢していいのだろうか。


「雪が解けたらブールへお戻りになられるので?」


 プロムスが聞いた。


「……いえ、帰れば叱責どころか厳罰まで下りそうだ」


 リッターはそれまで口をつけていなかったワインを一息に流し込んだ。


「……救国の英雄になれるかもと思って旅を続けていましたが、エルアミル様とジレフール様、お二人を連れて帰っても帰らなくても口封じの為に処分されそうだ。……私はまだ死にたくない」


「オラシを出るまでにそれに気づいてようございましたな」


 プロムスは目を細めた。

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