第2話 【粘体生物】

「【人狼召喚】……うおっ」

 そう唱えると、魔法陣の奥から素早い動きで飛び出してきたのが腹に衝突した。倒れる訳にもいかないので、優しく抱きとめる。


「ご主人様! ご主人様! えへへ! なんの御用でしょうか!」


 ぎゅーっと音を立てて抱きしめ返すのは、サリア達にも引かない可愛さを持つ少女。灰色の獣耳と尻尾を生やし、琥珀色の瞳は引き込まれそうな美しさを持っている。が、総括して美しいよりも可愛いが勝っている。その顔立ちがまだ幼いと言う事と、その溌剌とした性格から来ているのだろう。


「ああ。元気そうで何よりだ。スク。頼みがある」


 スクの顔をじっと見ると、嬉しくて堪らないと言った様子がガラリと真面目な表情へと変わった。


「よしよし、いい子だ」


 どこか不安そうな表情をみせていた為、頭を撫でて落ち着かせる。


「俺の妹が攫われた。シドに場所を見つけてもらって、サリアに手伝って貰ったんだがな。【悪魔の眷属】が出てきてしまって、サリアが魔力切れになってしまったんだ。だからスクを呼んだ」


 端的に、重要な所だけを掻い摘んで話すと、スクはプルプルと震え始めた。


「ご、ごめんなさい。そんな時に僕、寝ちゃってて」

「大丈夫だ。睡眠は生物だったら必要な事だし、スクはお昼寝が大好きだもんな」


 もちろんこちらの状況を知っていた方が都合がいいし、そう命令する召喚士もいるらしいが。俺自身、家族とも呼べるこいつらに行動の制限などしたくもない。


「だから、力を貸してほしい。スク。俺一人じゃ戦えない相手がこれからも出てくるかもしれないからな」

「分かった。全力でご主人様を守る。この命に「それはだめだ」


「え?」

「キリル……俺の妹は絶対に助ける。だが、それでお前達を失う事は絶対にしない。賭ける命は俺のものだけでいい」


 使い魔は命懸けで主人を守る。これはこの世界での常識だ。



 だけど、そんな常識は異常でしかない。傍から見れば美談なのかもしれないが、当の本人ともなれば話は変わる。


 使い魔と契約を結ぶには信頼関係を結ぶ必要がある。その途中で感情移入をしてしまうのは自明の理……と思っていたのだが、それは少数派の意見の様だった。


 だが、感情もあり、人と会話のできる彼女達と俺達人間には一体何の差があるのだろうか。


 そんな考えと、『とある事件』が起こってからは皆とは家族の様に接する事にしたのだ。




 だが、人狼の少女はどこか悲しそうに首を振った。

「だめだよ」

「え?」

「ご主人様がいなくなるんだったら僕も死ぬ。シドちゃん達だって絶対にそうするよ」


「それは……」

「だから、ご主人様も私も死なない。それで良い?」


 少女は怯えを見せながらも、その目はしっかりと俺を見据えていた。


「悪かった。そうだよな、俺にもお前たちを養う義務がある。今俺が死んだら「違う」」


「ご主人様は私達が死ぬのは嫌?」

「……ああ。当然だ」

「それは私達の能力が無くなるから?」

「そんなわけないだろ。お前達は俺の家族みたいなもので、」

「それと一緒。私達からすればご主人様は父……ううん。夫みたいなもの」

「それは……飛躍し過ぎじゃ「そんな事ない」」

「みんなご主人様が大好き。だから皆ご主人様に力を貸してるの」


 ……嫌われていたら力を貸してくれないだろうとは思う。それに、本来魔力を譲渡する行為は手のひらを合わせるのが一般的だと言う事も。


 どうしてキスなのか。聞けば、『好きな人とはキスをしたいでしょ?』とか、『べ、別に。その方が効率が良いってだけだし』とか、『あらあら。そんなの決まってるじゃありませんか』などと言われる。


 確かに幼い子供は親にキスをせがんだりするが、彼女達は……否。彼、彼女達はそれとはまた違った様子だ。


「すまなかった。もうそんな馬鹿なことは言わないよ」

「良かった」


 スクはふうとため息を吐いてタンタンと足を鳴らす。これは彼女特有のルーティン、戦闘に入る為のアップらしい。


「よし、それじゃあ行くか」

「うん!」


 奥の扉は自動で開いた。スクが先行してその奥の通路を進む。


 前を歩くスクは髪の毛や腕や胸を守るように生えている毛の鎧が逆だっている。すると、すんすんと小さい鼻を鳴らし始めた。


「……奥から微かにご主人様と同じ臭いがする」

「良くやった。距離は分かるか?」

「遠くない。多分500メートルも無い」

「本当か?」


 別にスクの事を疑っている訳では無いのだが。普段のスクならば一キロ先の臭いだって嗅ぎ分ける事が出来る。特に俺ならば三キロ先に居ても分かると普段から豪語しているため、こんな近くでないと分からないというのは少しおかしい。


「ん、臭いが消されてる。それで何かに密閉されてるから臭いが漏れてない」

「消臭剤か。それより密閉?」

「多分。何かの箱に詰められてる」


 穏やかではない状況に思わず心臓が高鳴った。


「スク、走るぞ。頼めるか?」

「任せて。獣人は体力も取り柄」


 一度、ふうと息を吐く。すると、スクがひしっとしがみついて来た。その指で俺の背中に魔法陣を描く。


「【体力共有】」

 スクがそう呟くと、青い糸が俺とスクを結んだ。


 これは獣人特有の魔法の使い方だ。肌と肌が触れ合っている時に使う魔法ほど強力なものになる。


「ありがとな」

「スクはご主人様の忠犬だから」


 そう言って走り出すスクに続いて、俺も走り出した。





 そうして走っていると、ふと違和感を憶えた。


「スク?」

 そう、スクの表情がどこか暗い。まるで、何かを畏れている様な


「ご主人様、敵が強い。強過ぎる。今のスクじゃ絶対に倒せない」

「どうした、スク、何が」






「【古龍】」


「……は?」

「この臭い、長から貰った鱗と一緒。……待って。どういう事?」


 怯えの表情に困惑が混じる。


「スク、落ち着いて。何があった?」

「分からない。ご主人様と同じ匂いだったはずなのに、どうして?」


 まずい、軽いパニックに陥っている。


「スク、一旦止ま――」



 声を掛けようとした瞬間、スクはスピードを落とし始め、そして止まった。その視線の先には一つの扉が。


「ご主人様、スクは分からない」

「……無理に言葉にしなくて良い。それだけまずい状況って事なんだよな?」


 その言葉にスクはこくりと頷く。


「その事実さえあれば十分だ。行くぞ」


「……うん」


 念の為に指で魔法陣を描きながら扉を開く。



 すると、そこには――





 白衣の科学者とその傍に、桃色の【粘体生物スライム】が居た。


「なんだね? 君は」


「……キリルはどこだ?」


 辺りを見渡すが、それらしき女の子は見えない。スクが言っていた【古龍】とやらも姿を見せない。


「……ご主人様」


「キリルをどこにやった!」


 ……心の底では分かっていた。血を分けた家族なのだ。どんな姿になろうとも、一目で分かる。



 それでも――


「キリルぅ……? あぁ。実験体Aの事か」

「どこにやったと聞いている!」


 信じたくなかった。


 奥に居るんだろ?


 頼むからそうだと言ってくれ。


「何を言っているんだい? そこに居るだろう」



 そして、科学者らしき男はそこに居た一匹の【粘体生物】を指さした。




「……」


「ご主人様……?」


 スクも薄々気づいていたのだろう。心配そうにこちらを見ていた。しかし、その瞳の奥には怒りの炎が点っていた。


「……何故、キリルを?」


 そう尋ねると、男は顎に手を当てて考え込む素振りをし始めた。


「その話をする前に、まずは僕の話をしようじゃないか」


 そうして男は自身の話を始めた。


 長ったらしい話だったが、要約するとこうだ。


「つまり、お前は自分が歴史に名を刻むために不老不死の研究をしている、と?」

「ああ。そういう事さ。それで僕が目をつけたのは【魔物】だったのさ。魔物と人の混合物。通称【魔族】。【魔王】の傘下である彼らに寿命は無い。つまり、自分の体を魔族にすれば不老不死になれるんだよ」


 男はおかしな笑みを漏らしながら話を続ける。


「最初の実験は成功だよ。君の妹のお陰でね」


 そう言って男は目を釣りあげて笑った。


「今すぐ元に戻せ」

 そう言うと、男はうーむと唸り始めた。


「僕としてもそうしてあげたい所なんだけどね? どうやらこれ、不可逆的変化らしいんだよね。簡単に言うと、もう戻せないってこと」




「スク」

「分かった」


 一言名前を呼ぶだけで、スクは理解した。


 この男はもう要らない。殺してキリルを取り戻せば良い、と。


 風より早くスクは走り、男を切り裂かんとする。


 しかし、その拳は易々と受け止められた。


「はぁ。どうしてこんな屑を守らにゃならんのか」


 受け止めたのは少女であった。真っ黒な髪を肩まで伸ばした、端麗な少女。



 その背中からは真っ黒な尻尾を生やしていた。


「……【古龍】」


 スクの言葉に、俺はゾクリと震えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る