第45話 山田君。この子に倫理と人道と法律持ってきて

「ふーん。本人は来ないんだ」

「逆に聞きたいんだけど。よくあれで来ると思ったよね」

「一回あれ、送ってみたかったんだよね」


 そう言って薄く笑う春山咲はとても美しく見えて……腹が立った。


「ちょ、ちょっと、零ちゃん? な、なんでそんなに喧嘩腰なんですか?」

 睨み合う私達の間に彩夏ちゃんが来た。


「……ごめんね、彩夏ちゃん。でも、私って一つ……一つだけ、敏感な事があるんだ」

「はんっ。敏感って? 夜であんな男にひいひい言わせられてんの?」

「話が進まないから黙って。春山咲」


 もう一度彼女を睨み……そして、彩夏ちゃんを見た。


「私ね。みーちゃんへの悪意に対しては特に敏感なんだ。……それで、私はみーちゃんを傷つけようとする奴は許さない。絶対」


 あの時の私は馬鹿だった。みーちゃんが傷ついても、私が癒せると思っていた。


 なんて思い上がりだ。



 ……だからこそ、私は考えた。



 それなら、みーちゃんに仇なす奴は近づけなければいい。


「女に守られるって。それでもそのみーちゃんって奴は男なの? ダサくない?」

「未だに男女の固定観念に縛られる奴の方がダサいと思うけど。それで要件は? 悪口を言うためだけにみーちゃんを呼ぼうって思ってたのならさっさと帰って。私も忙しいんだから」


 そう言うと、春山咲は笑った。


「あの男が来たら言おうと思ってたんだけど……彩夏が来たなら丁度いいや。彩夏」


 春山咲は彩夏ちゃんを呼んだ。彩夏ちゃんは困惑した様子で春山咲を見ていた。



 ◆◆◆


「彩夏。あんたの友達として言っとくよ。蒼音未来。あいつはやめといたほうがいいよ」



 その言葉に……思わずボクの目が泳いだのが分かった。


「えっと、その……どうしてですか?」

「いや、常識的に考えてさ。優柔不断にも程があるでしょ。……学園のアイドルだった九条零と西綾星。そして、本物のアイドルの切長彩夏。この三人に言い寄られても誰かを選ぶ事もしない。あまつさえ『ハーレム対決』とかいう馬鹿みたいなことをやって。今までモテ期が来なかったからって調子に乗りすぎでしょ」


 咲ちゃんの言葉にボクの顔が熱くなっていくのが分かった。


「ッ……それは違います! あの対決も……未来さんが馬鹿にされるのが嫌で、私達が勝手に引き受けたものなんです!」

「でも断るべきでしょ。彩夏、分かってる? 今回は運良く何も起きてないけど。もしあの契約書の事を軽く見てる人が居て、ネットに写真を上げられれば。それか、人伝に伝わったら彩夏どころか【nectar】まで終わるんだよ? それが分かってたら断るでしょ。【nectar】のファンなら尚更さ」


 思わず言葉が詰まった。……確かに、それは否定できない。


 このご時世、どこから情報が漏れるのか分からない。『家から一歩でも出たら誰かに見られていると考えて行動してください』ってマネージャーにも言われた程だ。


「私は彩夏が心配なんだよ。……騙されてそうで。今ならまだ間に合うから。あの男の事は諦めない?」


 その言葉を聞いて……でも、ボクは。首を振った。


「……ごめんなさい」

「なんで!?」

「私。初めてなんです」


 ちゃんと、伝えないといけない。……ボクの思いを。


「人を好きになる事が」

「ッ……」

「こんなにも楽しくて、幸せで。……ライバルはたくさん居ますけど、そんな人とも仲良くなって。こんな日がずっと続けばいいなって思えるくらい幸せで。……咲ちゃんが心配してくれるのはとっても嬉しいですよ。……それに、【nectar】が終わらないよう、色々とマネージャーとも話して、対策もしてますから」


 マネージャーにも、沙良ちゃん達にもいっぱい相談した。やっぱり、やめた方がいいんじゃ……って、零ちゃんと星ちゃんも心配してくれた。


 でも、マネージャーは言ってくれた。

『女という生き物は、一番輝く時期があります。……それは、恋を知った時。今の彩夏がそうです。芸能界の中で、誰よりも輝いています。その輝きを失うにはまだ惜しい……というのは建前でして』


 とてもいい笑顔をして。


『私は高校生の頃、自ら恋を諦めました。あれから十年経った今でも夢に出てくるんです。彩夏にはそんな思いをして欲しくありません。心配事があるのなら、それをどうにかするのが事務所の……いえ。マネージャーである私の役目です。だから、彩夏』



 ――幸せを追いかけなさい。


 ……今思えば、マネージャーのあんな顔。初めて見たな。



「……でも!」


 私の言葉を聞いても……咲ちゃんは止まらなかった。



「そもそも! 付き合えた所で、あんな男が彩夏と釣り合うはずがない! 絶対後悔――」




 しかし、咲ちゃんの言葉が途中で途切れた。





「今、なんて言った?」



 零ちゃんが……無理やり止めたから。




「ごめんね、急に割り込んで。……一番聞きたくなかった言葉が聞こえたから。つい割り込んじゃった」


 零ちゃんの言葉はいつもと変わらない。……でも、その顔は違った。



 今まで見た事がないくらい、零ちゃんは怒っていた。


「春山咲。みーちゃんを誰かと比べて『釣り合わない』なんて二度と言わないで」


 ゾワリと鳥肌が立った。……その表情は氷のように冷たく……冷徹だったから。


「みーちゃんが優柔不断なのは認めるよ。もちろん、みーちゃんにはいい所も悪い所もある。それは私が一番知ってる。……でも。表面上しか知らないくせにみーちゃんを勝手に天秤にかけるな。それがどれだけ無神経で人を傷つける事なのかを知って。……それが一人の人生を潰しかねないって事も」


 その言葉は……とても重いものだった。



 ……いつかの、カラオケの時に見た人達。あの人達のせいで、未来さんは自尊心を失った。卑屈になった。


 ボクですらこんなに悔しいのだ。……それを目の前で見ていた零ちゃんはどれだけ悔しかったんだろう。


 ボクには……分からない。


「チッ……悪かったよ、私も感情的になってた。それは訂正するから離せって」


 咲ちゃんが零ちゃんの手を掴んだ。……でも。零ちゃんはビクともしない。



 ……本当に、一ミリも動かなかった。



「れ、零ちゃん。離してくれないですか? 咲ちゃんも……その、ボクのために言ってくれたんですから。ボクからも謝ります。ごめんなさい」


 ボクも慌てて零ちゃんに頭を下げた。……零ちゃんはそこでやっと、手を離してくれた。


「……彩夏ちゃんの顔に免じて今は許してあげる。でも、次はないから」

「はいはい、もう言わないって」


 咲ちゃんは自分の頬を触った。……そこには手の跡が残っている。


「……って事は、あいつの事を知れば彩夏を引き離しても良いって訳?」

「……みーちゃんを傷つけるのは許さない。でも、みーちゃんを知ろうとするのは私は何も言わない」

「遠回しすぎるって。良いの? 悪いの?」

「それは私じゃなくて彩夏ちゃんに聞いて」


 咲ちゃんがボクを見た。


「……彩夏。私は短い間だけど、あんたと関わって……凄いいい子だって分かった。だからこそ、私は。友達として、道を間違えたあんたを止めたいの」

「その気持ちはとても嬉しいですよ」


 ……でも。



「今、ボクは絶対に未来さんから離れるつもりはありません。……だから、咲ちゃん。まずは未来さんと関わって、仲良くなって。それでも未来さんの魅力が伝わらなければ――ボクに言ってください。その時はボクもちゃんと話を聞きます」


 そう言って、ボクは笑いかけた。咲ちゃんは不服そうな顔をしながらも頷いた。


「……そういやさ、あんた「零って呼んで」……零。一つだけ疑問に思ってる事があったんだよ」

「何?」


 ……少しだけ。ほんの少しだけ、零ちゃんの対応が柔らかくなってる気がする。気のせいかもしれないけど。


「どうして零は彩夏と星が……あー、未来に近づくのを止めなかったの? 零ならどうにでも出来るでしょ」

「……ああ、それ。そうだね、折角だから彩夏ちゃんにも――」



 その時だ。零ちゃんの目が泳いだ。




「ッ、なんで。どうして?」

「……零ちゃん? ど、どうしたんですか?」


 今まで見た事がない程に。零ちゃんが動揺している。


「ちょ、零。どうしたの? そんなやばい質問だった?」

「違う、そっか。まだあの子達返してなかったから……そうだ、星ちゃん!」


 零ちゃんがスマホを取り出した。……そして、何かを確認した後……長く、深く。息を吐いていた。


「……二人とも、浜中静の家を知らない?」



 ◆◆◆


「ここ……は? ……うっ」


 ズキリと頭が痛んだ。頭を手で押さえようとするも、腕が動かない。

「なん……だ? って俺、なんで裸なんだ?」


 気がつけば、俺は知らない部屋のベッドに寝転がされていた。


 痛む頭の奥から、どうにか記憶を引き出す。


「確か、俺は浜中の家に来て……麦茶を飲んだ後に記憶をなくした? だとしても、なんで裸なんだよ……しかも手足も縛られてるし」


 とりあえず、俺は仰向けになった。背中の位置に腕があり、みっともないが……まあ、ベッドに直に付ける方がなんか嫌だ。


「あ、未来君。起きたんだね。ふふ。良かった」



 その時、浜中の声が聞こえた。


「は、浜中……なのか?」

 どうにか身を捩って声のするほうを見ようとしたが、上手く見えない。


「ふふ。そんな他人行儀な呼び方しないでよ。『しずか』って呼んで欲しいな」


 そして……俺の視界の中に浜中が入ってきた。



 一糸まとわぬ姿の。生まれた姿のままの浜中が。


「はっ!? な、なんで裸なんだ?」

「なんで? ふふ。なんでかな? なんでだと思う? ねえ、未来君」


 浜中が俺のすぐ側に腰を下ろした。……真っ白で小ぶりなおしりがすぐ近くにあった。


「あ、おっきくなった。……良かった、ちゃんと小さいおっぱいでも興奮してくれるんだね」

「なっ……」


 静まれ! 男の子! じゃない。とにかく、身を隠さなければ……どうやって?


「ふふ。そんなに恥ずかしがらなくて良いんだよ。……未来君が眠ってる間にいっぱい観察させてもらったから。……頭のてっぺんから、爪先まで。……隅々まで観察させて貰ったよ」

「待て! これ以上は手に負えない! 零だけでも俺の手に余るんだ! 新も居るのにあたおか枠を増やすな!」


 嫌という程に俺は冷静であった。身近に一番狂ってる奴が居たからだろうか。世界一嫌な不幸中の幸いだな。


「何を言ってるのかな? 未来君。……あ、でも安心してね。まだちゅーはしてないし、そっちも……なんでか分かんないけど、大きくならなかったから挿入れなかったんだ」

「え? 大きくなってたら入れてたの?」

「当たり前だよ?」

「やだこの会話すっごいデジャブ。絶対零とも一回はこんな会話してるもん」


 普通もっと狼狽えたり怖がったりするものだろう。なんで絶体絶命なのに冷静なんだ俺は。大体零のせいだ。


「……ふざけてるの? 未来君。挿入れるよ?」

「いや、悪い。悪いな」

 なぜ俺は謝っているのだろうか。……じゃない!


「な、なあ。浜中「静って呼んでって言ったよね」……静「はい♡どうしたの?」ちょ、近い。顔近いから」


 浜中……否。静が顔を寄せてきた。危ない。色々と。


「……なんでこんな事を?」

「え? 好きだからですけど」

「山田君。この子に倫理と人道と法律持ってきて」


 なんでこう俺の周りはこうやべえのが来るんだ。


「だから、未来君といっぱい子供を作った後に未来君を食べて……はぁ♡一つになりたいなって」

「ちげえわ。これ零の頭からネジ二、三本取ったぐらいやべえやつだ」


 その瞳は狂気に濡れている。




 ……とても、冗談を言っている顔には見えなかった。

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