第4話 命に関わるからな。――新しい命の誕生にな!

「……ああ、くそ。息が」

「……大丈夫? みーちゃん」

「学校では……その呼び方は……やめろ。ああもう。なんで、一年生から、三階まで、階段を……上らんといけないんだ」

「大丈夫? 頭撫でよっか? おっぱい揉む? お姫様抱っこしようか?」

「さりげなくやべえのを……いや、どれもやべえな」

「ん? 全部?」

「言ってねえ!」


 周りに生徒が居ないからとやりたい放題な零と会話をしながらも、やっと教室へ辿り着いた。


 先に零が入る。


「あれ? 珍しいね。九条さんが遅れるって」

「寝坊しちゃった。アラームセットし忘れてたみたいで」

「うわぁ……それは災難だったな。でも、間に合ったみたいで良かったじゃんかよ」


 零が女子軍団に囲まれたり、男子に話しかけられたりするのを横目に見ながら席へと戻る。こちらに話しかけてくるのは居な――


「おう。珍しいな。未来が遅刻なんて」

 居た。そういえばこいつが。


「……ああ。アラームに襲われててな」

「どんなアラーム使ってんだ!?」

 それほど間違ってはいないはずだ。俺は息を整えながら、制汗シートで体を拭く。


 すると、背中に柔らかくて重い感触があった。


「朝から暑い。それと重いものを押し当ててくるな。西綾」

「えー? ひっどーい。これでも男の子には人気なんだよ? 触った事あるのは未来君だけだけど」

「ぜんっぜん光栄じゃないね。というか汗かいてるんだよ。さっさと離れろ」

 朝から汗をかきすぎた。ボタンを外して汗を拭おうとすると……


 そこに西綾が顔を突っ込んできた。


「……ッ!?」

「ほんとだー。汗臭いね」


 後ろから腰を折って俺の胸元へ近づけた顔を無理やり離す。


「ななななっ何してんだ!?」

「ふふっ。かーわいー。顔真っ赤にしちゃって」


 西綾は悪戯っぽく笑い、俺の耳元へ口を寄せてきた。


「……でも、私は嫌いじゃないよ? 未来君の汗の匂いは」


 甘ったるい匂いと共に、そんな甘ったるい事を言いながら西綾は離れた。やけに嬉しそうな顔にこちらの顔が引き攣ってしまう。


「それじゃ、また後でね。未来君」

「二度と、来るんじゃねえ」


 どうにかその声を絞り出しながら、俺は長く息を吐いた。


「……なあおい。やべえんじゃねえか?」

「分かってる」


 先程から強い視線を向けられている。当然その主は……


「じー」

 零だ。もう傍目を気にせずこちらを見ている。


 ……無視だ。今は。今だけは。


「……もし俺が腹上死したらどうする?」

「安心しろ。葬式で大爆笑してやるよ」


 そんな豪の言葉を聞きながら、俺はため息を吐いた。


 そして学校の始まりを告げる鐘が鳴る。が、先生が入ってこない。


「……なんでだ?」

「ああ、そういや。その隣の空席で思い出したんだが、転校生が来るらしいぜ」

「……この時期にか?」

 高校が始まって二週間。それぞれのグループ編成も行われ、やっと慣れ始めてきた頃なのだ。普通こういうのって学期終わりとかじゃないのか?


「ああ。本当は四月に入学を間に合わせる予定だったんだが、色々あったんだとの噂だ。それと、なんでもうちの校長と仲がいいから出来た事らしい」

「生徒を平等に扱え。コネ反対。権力反対。ご都合主義反対」

「俺に言うな。先生に言え」


 ごもっとも。


「それにしても、こういうイベントって本当にあるのか。ラノベの中だけだと思ってたんだが」

「って事はラノベ通りだと可愛い女の子が転校してくるんじゃね?」

「そんな事あるかよ。……あったとしても俺には関係ないね」


 そう言えば……豪がニヤリと笑った。


「さて、どうなんだろうな?」

「……何か知ってるのか?」

「お前に関係あるかは知らんがな。どんな子が転校してくるのかは噂になってるぞ」

「……女子なのか?」

「お? 気になる?」

「命に関わるからな。――新しい命の誕生にな!」

「シャレになってねえぞ」


 シャレでもなんでも無いのだが。

 俺は豪を見ながらわざとらしくため息を吐いてみた。

「お? 喧嘩売ってんのか?」

「三万で買うなら売ってやる――来たな」


 その時、やっと先生が来た。豪が俺を一目見て……ニヤリと笑ってから席へと戻った。なんなんだあいつは。


「はい、早速ですが。このクラスに新しいお友達が入ってきます! もう噂になっていて知ってる子も居るかもしれませんね」


 優しく、どこかほわほわしている女の先生。……田坂たさか先生がそんな事を言い始めた。


 ……というか、先程から零の視線が痛い。痛すぎるんだが。


「それじゃあ、早速ですが入ってもらいます! 切長彩夏きりながあやかさんです!」


 おおっ、とクラスから歓声が上がる。俺も思わず目を丸くした。


 切長彩夏。現役の中学生の頃からアイドルを行っている。今巷で噂のアイドルグループのセンターを務めていたはずだ。というか本名だったのか。



 ……それと、彼女とは一度だけ面識がある。向こうは覚えているかどうか知らないが。


 教室へ一人の少女が入ってきた。


 少し青みがかった艶やかな黒髪は地毛らしい。その髪をポニーテールにしている、


 そして……栗色の瞳に、端正な顔立ち。加工など出来ない現実なのに、目を奪われるほどの美貌。


 顔のパーツも一つ一つが整っている……いや、整いすぎていると言ってもいい。

 人形のような可愛らしさに息を飲む。


 千年に一人の美少女、とも言われるのは納得だ。……俺は未だにこの言葉の意味をちゃんと理解していないが。


 そして……でかい(ここ重要)。零や西綾にも匹敵するだろう。


「今日、このクラスに転校してきた切長彩夏です」


 クラスが沸き立つ。主に男子から黄色い声援が飛んだ。


「み、みなさん。嬉しいのは分かりますが落ち着いてください」


 切長は困ったように微笑みながら……瞳をさまよわせていた。まるで誰かを探すように。



 その瞳が一瞬零を見つけて止まり……次に、俺を見て止まった。

「やっと見つけた……見つけました」



 耳にこびりつくような甘く、胸の底が撫でられるような声。


 切長が、ゆっくりと。一歩ずつ、俺へ近づいてくる。


「き、切長さん?」

「ごめんなさい、先生。少しだけ時間をください」


 切長が歩く度に揺れ……と、これは失礼すぎるだろう。


 うん。きっと、俺も関係ないだろうしな。




 ……そう。関係ないだろ?


 しかし、無情にも切長は俺の前で止まった。


「やっと見つけましたよ」

「……誰かと勘違いしているんじゃないでしょうか? 私はただの一般庶民ですわよ?」

「ふふ。面白い方ですね。さんって」


 ……なんだろう。自分で死ぬほど恥ずかしいことをした気がする。くそ。俺はツッコミ専門だぞ。ボケなら零か新を呼べ。


「というか何故俺の名ま――」


 その疑問を最後まで口にする事は出来なかった。


「あの時はお礼、ちゃんと出来ませんでしたから」

 ふわりと。柔らかい感覚に包み込まれた。


 切長に抱きつかれたのだと。そう理解するには幾ばくかの時間を要した。


「なっ!?」


 ガタリと机が動く音が二つする。見れば、零と西綾が立ち上がっていた。


 辺りは静まり返っていた。みんな口を閉ざしていたからだ。


 切長が少しだけ離れた。


「あ、そうだ。九条さん……でしたっけ? 彼女とは付き合ってるんですかね?」

「はぁ!?」


 思わず大きな声がでていた。


「……え? だって、あの時。デートしてたんですよね?」

「バッッ!」


 切長の口を手で塞ぐ……ファンに殺されそうだが致し方なし。


 しかし……切長は笑っていた。


 ざらり、と手のひらに慣れない感覚があった。



 舐められたのだと。そう気づくより早く、俺は手を離していた。


「……ふふ。ちょっとしょっぱいです」

「お、おまっ……何を」

「さっき走ってましたよね。九条さんと一緒に。窓から見えてました」


 嬉しそうに微笑まれる。誰もを魅了するような微笑み。それが、俺に……俺だけに向けられている。



 心臓が高鳴らないはずが無かった。


「でも……その反応だと、九条さんとは付き合ってないみたいですね。良かった」

「だから、何を言って……」


 切長が顔を近づけてくる。それこそ、唇を触れさせるほどに……



 いや、この動き。キスをしてくるつもりだ。


「むぎゅ」

 俺は咄嗟の判断で切長の頬を掴んだ。つい先日零に似たような事をされたから出来た芸当だ。


「……何を、するつもりだ」

「もうちょっとだったのに。プランA失敗かあ」


 いくらなんでも心臓に悪すぎる。うるさい心臓を押さえつけながら、俺は切長を見た。



 切長は……微笑んでいた。


「じゃあプランBです」


 嫌な予感が告げてくる。ここから脇目もふらず逃げろと。


 しかし、そんな事は出来なかった。すぐ目の前に切長の顔があったから。息を飲むような、息を忘れてしまうような顔立ちが。


「安心してください、プランBは正攻法ですから。蒼音君。ボクと付き合ってください」



 教室は静まり返っていた。だからこそ、その言葉はよく聞こえた。



 だん、と床を踏みしめる音が聞こえた。そこに目を向ければ、二人の美少女がこちらへ来た。


 途端、顔が柔らかい感触に覆われる。……左右で少しずつ違う感触。


「みーちゃんは……渡さない」

「あんたみたいなぽっと出に未来君は渡さないけど?」



 声で零と西綾だと分かった。


 教室が阿鼻叫喚の渦が優しく思えるほどやかましくなるのに時間はそうかからなかった。



「ふふ。モテモテなんですね。蒼音君……いえ、未来君?」

「みーちゃんの名前を軽々しく呼ばないで」

「おまっ……その呼び方は」


 しかし、零の言葉はクラス内の喧騒に掻き消されてくれたようだ。


「あれ? でも未来君とは付き合ってないんですよね?」

「……未来とは体を絡める関係だけど?」

 俺を気遣って名前の呼び方を変えてくれたのだろう。

「だけど意味ねえな!? それ以上に不味い事言ってんな!?」

「……未来君? どーいう事かな?」


 西綾がぐりぐりと大きい胸を押し付けてくる。やめろ、声は聞こえてないのかもしれんが、男子共が俺たちを見て地獄みたいな光景になってる。そういえばこの前見たパニックものの映画もこんな感じだったな。はは。


「……それは誤解……誤解か? 果たして誤解なのか?」

「……みーちゃん酷い……私のおっぱいを生で顔に押し付けたらあんなにおっきくしてたのに」

「あんなん誰でもそうなるだろうが!」


 その時、切長がちょこんと可愛らしく手を挙げた。

「結局二人はどんな関係性なんですかね?」

「ただの幼馴染だ」「ただの婚約者よ」

 俺と零の言葉が重なる。


「おい零。嘘はやめろ」

「今は嘘かもしれないけど。これから本当になる……ううん。するんだよ? ふふ。子供出来たら逃げられないもんね」

「目が怖すぎるぞ犯罪者予備軍。昨日犯罪について二時間も説いただろうが」

「法律なんかに私達の愛は引き裂けないよ」

「よし、次は日本の警察がどれだけ有能なのか教えてやる」

「ふふ。夜通しね?」

「ははっ。寝る時は紐で縛り付けて廊下に転がしてやるからな」

「……ご褒美?」

「無敵かよ」


 と、気づけば普段の会話に戻っていた。切長が唖然としながら見ていて、西綾がジト目で見ていた。


 幸いなのが、クラスがやかましすぎて三人以外には聞こえていなさそうな所だ。うん。聞こえてないよな(現実逃避)


「お前らぁ! うるさいぞぉ!」


 ……と。生徒指導の先生が来て、その場は収まったのだった。


 約三名。授業中もずっと俺を見ている姿はあったが。というか切長は俺の隣なのでめちゃくちゃ絡んできたのだが。

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