#2 人形の君
綺麗に並べられた本が隔てる静かな場所。テーブルが置かれた閉鎖的空間で、俺は読書に勤しんでいた。読書は趣味というほどではないが、週に数回、図書室のこの雰囲気を味わいに来ている。この時だけは俺が俺だという事実を忘れられる。そんな気がする。
「隣いいですか?」
意識を戻された俺は声の方へと顔を向ける。美しい艶のある黒髪が肩まで伸びていて、長い眉毛のその凛とした顔立ちは、美女と比喩するに相応しい人物だった。俺はコクリと頷き、どうぞ、と一言添えた。そして、彼女が座ったのを確認した後再び視線を落とす。
数刻が過ぎた。気が付けば窓から朱い陽が射していた。俺は本を閉じ、車椅子のストッパーを外した。すると、先程まで黙々と読んでいた彼女が口を開く。
「私とお友達になりませんか?」
突如の出来事に返答ができなかった。暫く本で隠れたその顔へ目線を向けていると、彼女がゆっくりとそれを置いて、俺の目を見つめ再び言った。
「私とお
「え?ど、どういうことですか?」
「私は『セイ』の大ファンです」
全身の筋肉が強張る。瞬きを忘れて、彼女の続く言葉を固唾を飲んで待つ。
「人気タレント『セイ』の正体…それは…」
…
「大島海斗です!!」
え?
彼女の話を理解したのは、窓の外が薄暗くなった頃だった。曰く、大島海斗が発売前のストラップを付けてたのが事の始まりらしい。それから、"ストーカー"のように彼を監視していたところ、セイのSNSの話とリンクする行動をしていたため確信したという。これは俺と共にいることが多かったために、必然的にそうなってしまったのだろう。ストラップも俺が彼にあげたものだった。そして、彼女は彼の友人である俺に近づけば簡単に接触できるのではないかと考えたらしい。何故、当人の元へ行かないのだろうか。
「残念ながら彼はセイではないよ」
「その根拠は!」
「いやいや、そもそもセイだって根拠もないでしょ?とりあえず、落ち着きなよ。ここでは静かにしないと」
机に両手を付き身体を前のめりにする彼女にそう諭すと、瞳の奥に一瞬の揺らぎを見せ、椅子へと直る。
「私は彼に救われた」
誰も居ない部屋にその言葉だけが響いた。
「…私ね、人付き合いが苦手なの。親友と呼べる友達もいないし、誰かと休日に出かけるなんてした事ない。だからね…笑えなくなったのよ。笑顔見せる相手がいない私は、ずっと無表情のまま。そのせいで、さらに人から距離を置かれるようになった。
けれども、こんな私でも笑顔になれる瞬間があった。彼と出逢ってから。きっかけは忘れてしまったわ。でも、いつの間にか彼の姿を毎日探すようになっていた。彼の口調、仕草、表情…全てが私の空っぽの心を満たしてくれた。
今の私は彼のお陰で生きている。だから、直接会って御礼がしたい。ただ、それだけ…」
俯き語る彼女の表情は、まるで人形かのように儚く美しかった。それに見惚れてしまった俺は言葉を失った。
"ガラガラガラ"
「はるー帰ろうぜー」
そこに入って来たのは噂の彼だった。私の居場所を熟知しているので、真っ直ぐ此方へと歩いてくる。すると彼女は立ち上がり、逃げるように去っていった。
日はすっかり落ち、辺りを照らすのは街の灯のみとなった。海斗は部活で使ったであろうサッカーシューズをハンドルに掛けて、体重をかけるように車椅子を押す。
「なあ、テストっていつだっけ?」
「…二週間後」
「っげ!近いな。そろそろ勉強しないと」
彼への返事が素っ気なくなったのは、俺の心はまだあの図書室に残ったままだったからだろう。俺は揺られながら、ふと呟いた。
「俺は誰かの助けになってるのかな」
すると、海斗が優しい声色で、ああ、と返した。俺はそれならよかった、と言い、無数の人工的光が浮かぶ夜空をじっと眺めるのであった。胸に大きなしこりを残して。
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