復讐の狼煙

 丸刈りの頭に丸眼鏡を設え、浅黒い肌が凡そ真っ当な社会生活を送っていないことを暗に示し、夏の真っ昼間、長いシャツに腕を通していることから、刺青の類を空目させた。男は昨晩、鈴木に公衆電話で以下の言葉を伝えた。


「鈴木君、次の準備ができそうだよ」


 クーラーの効いた軽自動車を人通りの少ない路上の脇に止めて、男は周囲を落ち着きなく見回す。やがて、曲がり角からとある女が現れる。日差しを避ける帽子に肩出しの黒いトップスで涼しげな雰囲気を備えながらも、過剰な露出を避ける肌色のロングスカートとの組み合わせで親近感と清涼感を形作っていた。男はその女をサイドミラーで確認すると、運転手側の窓を開けて待ち受けた。


「こんばんは」


 女は、開いた窓に首を少し伸ばして時間を黙殺した挨拶をした。男もそれに呼応する。


「こんばんは」


 薄気味悪い示しの合わせ方で女は後部座席に乗り込む。男はやおら軽自動車を走らせ、閑静な住宅街を駆ける。ろくに会話も交わさないまま、目的地と思しき道程を辿る車内は、タクシーさながらの静けさであった。女は流れる景色に肩を寄せて、何を見るでもないうつけた眼差しをする。


「まぁ入って」


 古ぼけた二階建てのアパートの一室に案内される女は、初めに呼吸を合わせて以降、頑なに口を開こうとしない。物を床に置く男の主義は、ワンルームの部屋を殊更に狭く感じさせる。


「そこらへんに適当に座っちゃって」


 テーブルの周りが唯一、物に支配されておらず、男が言う「適当」とはこの場所のことを指すのだろう。それでも、女は鎮座しない。


「何を立って」


 裏拳が男の顔を打ち、寸暇の内に気絶した。


「人を舐めるから、そうなる。薄汚い猿め」


 立ち上がる気配のない男に無慈悲な悪罵を浴びせた。憐れむより怨嗟を感じさせる力強い態度は、足元に伸びていた電源コードを使って男の首に巻き付けるまで至り、無抵抗をいいことに締め上げた。それから数分後には口端に泡が溜まり始め、執拗な殺意によって、男は身動き一つしなくなる。


「先ずは一匹目」


 女は人知れず思い出す。人気のなくなった路上で首を噛みつかれた晩の日だ。激しい動悸により気を失い、病院に緊急搬送されたあと、欠けた歯の治療に追われた。災害に遭ったと諦観するより、女は反骨心を育てた。瀬戸海斗並びに、「受血者」として吸血鬼を打倒するために。

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