第7話 カルザス
出港して数時間、僕とシルクがしていたことはただ寝ることだった。眠いから寝たのではなく、完全に船酔いである。今まで船に乗ることは何度かあったがその度に船酔いでダウンしていた。
「ねぇ、あんたのスキルで船に船酔いしないように頼めないの?」
「それは昔やってみたけどパーツが多すぎて交渉が終わる前に目的地に着くことが多くて断念した」
「ああ、そう。じゃあおとなしく寝とくわ」
普段なら口うるさいシルクも船の上ではおとなしい。妖精だから浮いていれば良いのではと言ったこともあるが、浮いていても酔いはするらしい。なので二人揃って目的地に着くまで眠ることで耐え忍んだ。
元いた大陸を出てから1日。目的地であるカルザスにたどり着いた。ここは貿易と農業で栄えている街であり、程よく田舎、程よく都会の街と言われている。観光地として何か名物がある訳ではないが、魚料理が絶品なのと新鮮な野菜が手に入ることでここに立ち寄る冒険者や行商人は多い。僕がカルザスを最初の街に選んだ理由もその魚と野菜が目当てである。パーティーにいた頃はまともに食べることができなかったから自由の身となったからには思いっ切り食べてみたいと思ったのだ。幸運なことに資金はまだ余裕がある。
まずは目当ての一つである魚料理を食べに行こう。港を離れて中心街の方へ歩いて行くと出店が多く並んでいる。串焼きから丸焼き、魚だけでなく、貝類も豊富のようだ。船の中でほとんど寝ていたからお腹はかなり空いている。
「ふざけんな!こんなもんいるわけねぇだろ!」
大きな声がする方を見ると客が店員に料理を投げつけていた。何かここまでは昨日と同じ展開のように思えた。
「不愉快だ!帰る!」
ただ今回は特にそこから発展することもなく、怒った客はそのままどこかへ行ってしまった。
「申し訳ございませんでした!皆さまもお騒がせして申し訳ございません」
店員は頭を下げて謝り、投げつけられた料理を片付けていた。みんなはその様子を何の関心もなく傍観し、ただ通り過ぎて行った。ここまで人がやられているのだから声くらいかければよいのに。
「大丈夫ですか?手伝いますよ」
周りの人たちをかき分けて僕はすかさず片づけをしている店員の手伝いをし始めた。
「あ、大丈夫ですよ。汚れてしまいますからどうかお気になさらず」
「いえ、困っている時はお互い様ですよ。それに二人でやれば早く済むでしょう」
遠慮をしている店員を余所に僕は一緒に片づけをし、お礼がしたいというのでその店員に連れられて、出店まで向かって行った。
「先ほどは本当にありがとうございました。おかげで助かりました」
「問題ないですよ。それよりも災難でしたね。料理が駄目になってしまって」
「いえいえ、お客さまを不快にさせてしまったこちらが悪いんですから仕方がないですよ。お詫びと言っては何ですが一品ご馳走しますので、何でもおっしゃって下さい」
「そんな悪いですよ。僕がしたくてしたことなのに」
「こちらもそうした方が気持ちが晴れるんですよ。それにお腹空いてそうですし」
そう言われると身体は正直なのか腹の虫が鳴った。
「じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になります。メニューいただけますか?」
「喜んで。こちらをどうぞ」
僕は店員からメニューをもらい、中を確認した。焼きから煮魚、揚げ物なんかもある。ただ、僕が一際目を引いたのは生魚を使用していると説明書きがある”カルパッチョ”というメニューだ。
「魚を生で食べられるんですか?やっぱり港が近い街は違いますね」
「ああ、カルパッチョですか。おすすめではあるんですが、その・・・」
「ん?何か問題でも?」
「いえ、先ほどお客さまを怒らせてしまったのが、そのカルパッチョでして・・・」
なるほど、僕はすでにカルパッチョを見ているわけだ。まぁ、ボロボロになってしまったものが最初だったけど。
「構いませんよ。そのカルパッチョを一皿ください。最初の出会いは悪かったけど、僕も生魚を使った料理には興味があります。僕は絶対に投げつけたりしませんから大丈夫」
そこまで言うと店員は少しホッとしたような顔をしていた。
「かしこまりました。では準備いたしますので、少々お待ちいただけますでしょうか」
「はい。よろしくお願いします」
メニューを返すと店員は奥へ帰って行った。さっきは騒ぎでよく見ていなかったが、店はそれなりに賑わっており、看板には『ボマーの魚と酒店』と何ともストレートな名前が書かれていた。本日のおすすめは件のカルパッチョだったが、クレームがあった影響で今は消されている。そうしていると先ほどの店員が料理を手にやってきた。
「お待たせしました。サモーヌのカルパッチョです。一緒にかかっているソースと絡めてお食べください」
「ありがとうございます。これがカルパッチョなんですね。いただきます」
「ごゆっくりお召し上がりください」
生魚を使っているのに生臭くないし、色どりもサモーヌのオレンジ色にソースに使われているハーブも綺麗だ。冷たい料理だけど、冷たすぎず心地よい温度であることが皿から伝わってくる。
「さて味はどうかな?」
「本当に食べるの?魚は焼くか、煮なきゃダメなんじゃない?」
「新しい人生に人生で初めて生魚を食べるなんて良いじゃないか。美味しかったらシルクも食べなよ」
「私は付け合わせのパンで良いわ」
そう言ってシルクは僕がちぎったパンを食べていた。周りから見るといきなりパンが消えるように見えてしまうので、僕が食べるふりをしてシルクに渡すという食べ方をしている。では、僕はカルパッチョを食べることにしよう。店員さんが言っていた通りソースをたっぷり絡めて食べてみた。
「ん!美味しい!これ本当に生魚なのか?」
口に入れた瞬間、まずはソースに使われているハーブとオイルの香りが口に広がる。その後サモーヌ独特の香りとねっとりとしつつも、しつこくない脂が舌の上で溶けていく。身も簡単にかみ切ることができ、生だからといって食べ辛いという感じは全くない。何といってもこのソースと絡み合った時、ただ生のままでは食べるのを躊躇してしまうサモーヌを次から次へと口に運んでしまう。
「本当に美味しいの?」
僕の食べている様子を見て、シルクも興味が湧いたらしい。
「食べてみるかい?あ、でもシルクって妖精だけど、肉類って大丈夫なの?」
「それは別に平気よ。好き好んで食べないだけでエルフとかと違って食べたら協議に反するとか死んじゃうとかないから」
「あ、そうなんだ。いつも果物とかパンばっかり食べてたからてっきりダメなのかと思ってた」
「良いから、早く一切れちょうだい」
「ハイハイ。ちょっと待ってね」
僕は先ほどのパンと同様に小さく切ったカルパッチョを食べるふりをしてシルクに渡した。
「うん!手がベタベタするのは仕方ないけど、意外といけるわね。私はもう少しソースが少なくても好きかも」
「気に入ったみたいで良かった。じゃあ、もう一切れ」
「あ!私の分も残しといてよ」
人生で初めての生魚料理。新しいスタートは本当に良いスタートが切れた。僕らはしばらくカルパッチョに舌鼓を打ちながら、この幸せの食事を楽しんだ。そろそろ二皿目も頼んでおくかな。
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