第9話 パンケーキデート01
開け放たれた窓から柔らかな日光が差し込んでいる。カーテンがなびく度に壁に異なる街路樹の影を落とした。そよぐ梢の上で鳥が囀り、大通りから脇道へ入って来た車がビルのすぐ傍を通ってどこかへ走り去っていった。
アマリアは先週のルーグに関するデータをまとめ終えるとパソコンを閉じた。淡いブルーのハイネックシャツに包まれた腕を伸ばし、新緑の香りがする空気を思い切り吸い込む。紫色のショートパンツに厚底のスニーカーを履いた足をきちんと揃えて座り直すと、紅茶のカップに手を伸ばした。
壁の時計を見ると十四時を少し回ったところだ。
事務所左手の作業用スペースには事務机が五台並んでいる。普段なら彼女しかいない時間だが今日は他に二人の職員の姿があった。
「あとどれくらいで終わりそうですか?」
正面に並んだ机へ向かって尋ねると、クロイとシャビが険しい表情で書類と向き合っていた。リーダーとサブリーダーが出張の為、後輩達は残って事務作業をしているのだ。
「こっちはあと二、三枚かな」
シャビは残りの書類を数えながら椅子の背にもたれ掛かり体を大きく伸ばした。
「俺は・・・まだかかりそう」
視線を落としたままでクロイも答える。アマリアは二人の返答に頷くとカップを置いた。
「分かりました。今日はリーダー達が不在なので、早めに事務所を閉めて良いそうです」
その一言で男性二人の表情に明るさが宿る。
「私が鍵を持っているので、二人は今の作業が終わったら先に上がって下さい」
「マジで!?やった!」
アマリアが言い終わるや否やシャビは歓喜の声を上げた。光の速さで仕事を片付け、挨拶もそこそこに事務所を飛び出す。彼が飛び去る瞬間の激しい羽ばたきは狭い室内に風を巻き起こし、カーテンが大きくはためいて棚がガタガタと揺れた。
クロイは慌てて机の上の書類を抑え込む。しかし腕をすり抜けた数枚が大きく渦を巻きながら天井近くまで舞い上がった。
やがてそれらがゆっくりと床へ落ちカーテンの波も引いて静かになると、残された二人は苦笑しつつドアの向こうに消えた背中を見送った。クロイは書類を拾い上げて机に向き直り、アマリアは備品棚や給湯室の見回りを始めた。
時計の長針が更に半周した。ようやくクロイの業務に終わりが見え始めた頃、仕切り壁を隔てた給湯室からアッという声が響いた。何事かと見てみれば、アマリアも給湯室から顔を出しこちらを見つめてくる。
「え、何?」
困惑しながら尋ねる。
「いや、実は・・・お茶を切らしてるの忘れてまして。あと備品もいくつか無くなりそうなので、買い出しに行くようユウナさんに頼まれていたんです」
「そっか」
クロイはその後に続く言葉に気付かない素振りでそっけなく返した。
数秒の沈黙。懇願するような視線が背中に刺さる。
ふう、と諦めにも似た息が漏れる。クロイは手を止めて椅子を回転させた。
「えっと、今日中に?」
「はい。エディナモールにいつも行くお店が入っているので、クロイさん付き合ってくれませんか?」
エディナモールはティスアでは定番の買い物スポットだ。中央街の店舗はつい最近再オープンしたとニュースで言っていたのを思い出す。
「もちろんお礼はします。私、良い物持ってるんです」
アマリアは自分の机に戻ってキャビネットを開けた。リュックのポケットを探るとチケットを二枚取り出す。
「それは・・・!」
その紙のサイズ感と色合いでクロイはそれが何のチケットかを察する。
「フレデリックさんのお店で限定パンケーキを注文できる特別チケットです」
アマリアは自慢げにその紙片を掲げた。
フレデリックさんが経営するパンケーキ店はティスアで知らない物はいないほど超人気な店だ。特に素材にこだわったフルーツとホイップたっぷりの限定パンケーキは、毎月二十枚だけ販売されるチケットが無ければ食べられない。
「今月のチケット争奪戦に勝利したんです。本当はお姉ちゃんを誘うつもりでしたが、今日ついてきてくれたらクロイさんに一枚差し上げます」
「うぅ・・・」
葛藤する心の声が絞り出される。むしろ買い出しに付き合うお礼としては贅沢過ぎるくらいだ。
「分かった、行くよ」
決断するのに十秒とかからない。クロイに選択肢は無かった。
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