15.「ミーシャよ、跪かぬか」




 城へ向かう馬車の中でミーシャは自分の下半身に回復魔法をかけていた。王や臣下の前で無様な姿は見せられない。


 そんなミーシャの姿を心配そうに見守るシャルルは、上官が言った「栄転」という言葉が頭から離れずにいた。本来光栄な言葉であるはずだが、どうにも胸騒ぎが収まらない。


 二人とも地に足が付いていないような居心地のまま、あっと言う間に城に到着した。馬車から先に降りたシャルルがミーシャへ手を差し伸べる。自分よりも一回り小さい手が躊躇したのを見逃さず、行き先を失った彼女の手を自分から掴んで少し強引にエスコートした。


 手を引かれたミーシャは不安そうに揺れる黄土色の瞳で白亜の城の石畳を見つめる。気丈でいなければ利権に固執した者たちの謀略に飲み込まれるような魔窟なのに、今日に限って気力が湧かない。できることなら帰りたい。そんな本音とは裏腹に、自動人形のように足が勝手に進んでいく。ああ、行きたくない。いつからこんな弱くなったのだろうか。


「ミーシャ、顔色が優れないが大丈夫か?」


「あはは……やっぱりさっき頭ぶつけすぎたかも……」


「……辛いなら俺一人で行ってくるが……」


「ううん、大丈夫。行こう」


 目敏い護衛騎士の献身を振り切るように足早に王座へ向かう。そうだ、シャルルと出会う前はずっと一人で戦っていたのだ。今さら一人で立つことができないようなか弱い乙女になんて成りきれない。


 天井まで続く王座の重厚な扉が二人の門番によって開かれる。いつもの狸爺の顔ぶれは相変わらず無遠慮にニタニタと舐め回すような視線をミーシャに向けた。そして彼らの中央に鎮座する王は、いつにも増して神妙な面持ちで二人を見つめる。


 そして予想外だったのは、この魔窟の中にノアがいたことだ。老翁たちの末席に居心地が悪そうに座る彼女は、縋るような視線をミーシャへ向けた。


「お姉様……」


「ノア……」


「静粛に。王と聖女の御前であるぞ。ミーシャよ、跪かぬか」


 王の隣にいた大臣から酒焼けした朝の喉のような声色で跪けと言われ、ミーシャは戸惑いながらも言われた通り膝を折り、王座へ続く毛足の長い絨毯に両手を揃えてこうべを垂れた。


 シャルルはそれに倣うように片膝を着いたが、完全にミーシャの立場を嘲笑うような扱いをする大臣を憎悪で睨みつける。女神パラティンの使徒である聖女や神殿勤めの神官たちは、不平等を生まないよう人間の階級に属さないのが定則だ。ノアの即位の儀も終わっていないのにミーシャに膝を着かせる目的は、単なる嫌がらせだろう。鋭さを増すシャルルの睨みに大臣が頬を引きつらせた。


「大臣よ、悪ふざけが過ぎるぞ。ミーシャ、もうよい。ノアの隣に座りなさい」


 まるで子どもの悪戯を叱る程度の声色で大臣をたしなめた王が、ミーシャを空いた椅子へ誘う。しかし「体調が優れないので、どうかこのままでお許し下さい」と言う彼女に、王は渋々引き下がった。中途半端な気遣いなど却って不愉快だ。意地の悪い大臣と足場の緩い王にシャルルは苛立ちを募らせる。


「まったく、健康管理もできぬとは。……まぁよい、本題に入ろう。即位の儀の日取りが概ね決まった。執行は来月の礼賛日。二人にはノアの即位後の身の振り方について共通認識を持って貰うため、ここに呼んだ次第である」


 王の左隣に控えていた大臣のしゃがれた声で告げられた内容に、絨毯の上に重ねた手が震えた。


 即位の儀。新しい聖女が正式に国民へお披露目される日。


 ノアが転生してきて既に半年。学園で稀有な才能を見せる彼女には既に聖女の噂が広まりつつある。噂を一人歩きさせるよりも、このタイミングで正式に告知した方が多くの信仰を集められるという判断だろう。


「聖女ノアの素晴らしい順応ぶりを鑑み、可及的速やかに即位の儀を執り行い新たな聖女を国民へ周知し、予定を繰り上げて年明けには継承の儀を設けることにした。聖女の代替わりという今までにない局面に立ち会う国民へ、一日でも早くその姿を示して安堵させてやりたいという寛大な王の取り計らいだ」


 悠長な王と大臣たちの破綻したスケジュールを上回る勢いで力をつけるノアに慌てて動き出したらしい。だから三年なんて呑気なことを言っていないで早急に即位の儀を執り行えと言ったのに。対応が後手後手に回っている宰相たちに、ミーシャは釈然としない思いを抱える。


「ところで聖女ノア、貴殿は既に聖属性以外にも六大元素の上級魔法まで扱えるようになったと聞いたが、誠か?」


「は、はい。学園の先生方の助力と、ミーシャ様の献身的なサポートのお陰です……」


「素晴らしい!歴代聖女の中でも六大元素を全て扱えた者は皆無だ!の聖女に国民も大いに喜ぶだろう。我が国のもようやく夜明けを迎える……ローランの未来は晴朗ですなぁ、国王!」


 大袈裟な大臣の声色に、古傷からじわりと血が滲んだ気がした。ミーシャが聖女に選ばれたことはローランにとって禍事まがごとであったと、そう言ったのだ。さらには銀髪じゃないという理由だけであれほどミーシャを侮蔑した老翁たちが手のひらを返したように次々とノアの黒髪を褒め称える。「神秘的だ」「黒髪の転生者は総じて能力が高い」「癖もなくしなやかで、聖女の心根を表しているようだ」と、新しい聖女を愛でながら間接的にミーシャへ刃を向けた。


 普段ならこの程度の侮辱など透明なミスリルの鎧を纏った彼女には一切届かないが、本調子ではないせいか一番柔らかい場所へ容赦なくグサグサと突き刺さっていく。


 一方で左腕たちの品のない会話に耳を痛めた王は、顔を上げない赤毛の聖女を労るように見下ろした。


「ミーシャ・ベロニカ。十五年もの間、大義であった。そなたにとっても辛苦の時間であっただろう。継承の儀を終えた暁には、安心して肩の荷を下ろすと良い。退位後の身辺もできる限り援助しよう。それが、昨夜に朕が犯した過ちの償いになれば……」


「王よ、あれはジャミロウめの不貞であります。あまりお心を砕かれていては身が持ちませぬぞ」


「あの男は最期には公爵家の誇りを取り戻し、御前で自らの首を捧げて罰を受けました。むしろ恥ずべきは国王の顔に泥を塗った破廉恥な女の方なのでは」


「口を慎まぬか。シャルル卿がいなければ今頃どんな事態に陥っていたことか……この件に関して、ミーシャへのいかなる侮辱も許さぬぞ」


 普段温厚な王の低い声に、大臣たちはそれまでうるさかった口をへの字に曲げて窄めた。しかし面の皮の厚い一部の人間は、これを好機と捉えて意気揚々と口火を切る。




「王は罪人を捕らえた若き騎士にたいそう感銘を受けたそうだ。その功績を称え、聖女ノアの専任護衛騎士に親任なされた。存分に励むと良いぞ、メディシスの三男坊よ」



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