14.「極刑だ……!」




 やっちまった。


 記憶に乏しいくらい久々な一夜の過ちのせいで甚大なダメージを喰らった下半身を引きずりながらラボに出勤したミーシャは、丸椅子に座り納品前のポーションの空瓶を前に放心状態で虚空を見つめる。


 生まれたての四足歩行生物のように歩くのもままならないほど身体が軋んでいるのはブランクか年齢のせいなのか、それとも相手の若さ故なのか。おそらく両方である。


 さっきから申し訳なさそうにこっちをチラッチラッと見つめてくるシャルルと目を合わせないようにしながら、今後の身の振り方を考えた。


 まずは自分の罪状を読み上げてみよう。




 二十代のラストランを全速力で突っ走るアラサー聖女ミーシャ(29)、転生美少女最強聖女に代替わりすることで生じる可能性のあるループを回避するために平凡な幸せを求め本格的に婚活を始めるが、ことごとく惨敗。焦ったミーシャは国王が用意した縁談に食いつき、変態モラハラ野郎の手籠めにされそうになる。そのピンチを護衛騎士であり新しい聖女の旦那候補(ミーシャ談)のシャルルに助けられ、安堵で酒を煽った末に、朝チュン。




(極刑だ……!)




 ミーシャは己の大罪に耐えられず、抱えた頭を試験台にゴンッゴンッ!と脳天を叩き割る勢いで容赦なく叩きつける。『誰か、誰か痴女紛いの私を捕らえて牢にぶち込んで!!』と、憲兵の取調べ室で不味い飯を食べるイメージまでばっちりだ。


 すると、硬い試験台に額を打ち付けているミーシャの背後に気配が。


「……ミーシャ」


「うひぃっ……!」


 後ろから耳元で囁かれた声は存外低く、腰に響く。情けない声を上げるミーシャを背後から中腰で抱きしめる人物は、当然ながらここには一人しかない。


「しゃ、シャルルっ……!?」


「そんなにぶつけたら痛いだろ。朝から様子がおかしいのって、やっぱり俺のせいか?」


「あ、う……ち、違くて、全ては私の不徳の致すところでして……」


「なんだその喋り方」


 そっけない言葉の割に耳が蕩けそうなほど声色が甘い。アラサーにとっては糖分過多で生活習慣病を発症しそうだった。それはともかくどうしてバックハグをする必要がある。すぐ後ろにある顔を見ることを躊躇して俯くミーシャの視界に、試験台の上で硬く握り締めていた拳にするりと伸ばされた大きな手が映った。


「ミーシャ、俺……」


「うぅぅぅシャルルごめんなさい!お酒が入ってたからって、こんな年増が前途有望な若者を誑かすなんてっ」


「昨日の貴女は年相応に色気があって素敵だったが、年増なんて言うな。それに、最初に寝てるミーシャにキスしたのは俺だ」


「キ……え、シャルル酔ってたの?」


「酒はそんなに強くないが、たった一杯で前後不覚になるほどじゃない」


 爪が食い込むほど握りしめていた指を、シャルルが一本ずつほどいていく。緩んだ手の隙間に剣を持つ硬い指を絡めて、逃げられないように強く握った。


 すっぽりと包まれた自分の手を見て、シャルルが間違いなく男なのだと思い知らされる。別に女だと思っていたわけではないが、異性と言うよりは懐いた犬猫や弟のように可愛らしい存在だったから、急に男の顔を見せられても困る。隠しきれないほど真っ赤になった耳に唇を寄せるシャルルもまた、緊張で脈拍が上がっていた。


「酒のせいにもしたくないし、あの一夜で終わらせたくない。俺、ミーシャのことが……」


「す、ストップ!」


「んぐっ」


 それまでピクリとも立たなかったフラグが元気よく突き刺さろうとする気配を察知して、ミーシャは重ねられた手を振り解き、咄嗟に後ろを振り返ってシャルルの口を両手で塞いだ。意外にも自分と同じように顔を赤らめていたシャルルとようやく目が合ったミーシャはギクリと身体を強張らせる。彼の言葉が嘘や冗談の類ではないことが分かってしまったから。


 あからさまに狼狽えるミーシャを見下ろしてすぅっと目を細めたシャルルが、口に触れていた方の手を掴んでそのまま指の腹にちゅう、と吸い付いた。これ見よがしに熱っぽい視線も添えて。


「ちょ、シャルルっ……!」


 薄く柔らかい唇が指先から手のひらへ啄むようなキスを落としながら移動し、最後に手首に触れて軽く歯を立てられた。食べられるような仕草にゾクリと身体を震わせるミーシャの様子を金色の瞳がつぶさに観察する。まるで獲物を見つけた猛禽類のように。


「本気で拒まないなら、俺の都合の良いように解釈するが」


「さっきから拒んでるじゃない!」


「これで……?貧弱すぎて逆に怖いんだが……」


「言っとくけど私は逞しい方だからね!他の御令嬢はあんたみたいな無骨な男が抱き締めたらガラスみたいに粉々に割れちゃうくらい繊細なんだから!」


「じゃあなおさらミーシャがいい」


(どうして!)


 今時の若者が興奮するポイントが分からない!男って抱き締めたら背骨がボキボキ折れるほど華奢な子が好きなんじゃないの!?


 ミーシャは父親譲りの骨格ストレートの骨太体型だったので、どれだけ身体を絞っても華奢とは程遠かった。良く言えば安産型。だからドレスなどの正装をする時には使用人総出で地獄のコルセット強制が恒例である。つくづく上流階級界隈での人権が死んでいるなと自嘲すらした。おまけに一国の王子から「芋女」と鼻で嗤われるほどのそばかす顔だ。仕事以外でシャルルと並んで歩いていたら、ただの見世物になってしまう。


「……無理だよ、私じゃ」


 ミーシャの女としての自尊心はこの十五年における周囲の仕打ちで赤ゲージまですり減っている。若い男に現を抜かして痛い目を見たら、それこそ本当にループしてしまうほどの怨嗟をこの世に残すかもしれない。それにシャルルは庶子だが侯爵家の人間だ。いずれ聖女の称号を奉還してただの女に戻るミーシャでは釣り合わない。そんなスリリングな展開はいらない。


 他人に振り回され続けた彼女が何より求めるものは『安定』だ。身に余る幸福を手に入れるために身体中を蜂の巣にされるような痛みを享受するのは、もう懲り懲りだった。


「ミーシャ……」


 気力なく俯く彼女にシャルルが声をかけようとした瞬間、入り口の扉をノックする音が響く。小さく舌打ちをした彼は「後でちゃんと話そう」とミーシャにだけ聞こえるように小声で伝え、掴んでいた手を解放した。


 護衛騎士として扉へ向かうシャルルのしゃんと伸びた背筋を思わず目で追ってしまうが、期待しないようにするためにすぐ視線をポーションの空き瓶へ逸らす。


 ミーシャにとってシャルルは、安心して傍にいられる唯一の異性だった。厚化粧を落としたすっぴんも年甲斐のない泣き顔も見たのにも関わらず誰よりも近くでミーシャを守ってくれたシャルルを、心から信頼していた。間違いを犯しておいてこんなことを思うのは説得力ゼロだが、愛だの恋だのそういう浮かれた感情とは違う。違わなければならない。


 一方、扉の外にいたのは騎士団の隊服を着た男性だった。シャルルよりも上官らしく、入り口で対応していた彼はさらに顔を引き締めて美しい敬礼をする。


「聖女ミーシャ・ベロニカ、並びに護衛騎士シャルル・デュ・メディシス。王より登城の命が下った、急ぎ参られよ」


「王が……?」


 突然の登城命令にシャルルは虚を突かれて目を見開く。まさか昨日のジャミロウの強引な捕縛の件で王の機嫌を損ねたのだろうか。一気に険しい表情を見せる若い騎士に、壮年の上官は誇らしげに微笑んだ。




「大手柄だったな、新人。喜べ、だ」



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