第3部 誰が為の物語

13.「一杯だけ付き合ってよ」




 シャルルは等身大のミーシャが好きだった。


 何かと文句を言いながらもしっかり仕事をこなし、自身を顧みないで人を助け、向けられる悪意というナイフで血を流しながら言葉で立ち向かう。清廉な聖女というよりは戦乙女のように勇ましいが、ふとした瞬間に垣間見える彼女の内側の柔らかい部分が、どうしようもなく愛おしい。


 剣を握る手の平が繰り返し潰れた肉刺で硬くなるように、幾度となく人の悪意に晒された彼女を守る外殻は、希少なミスリルでできた鎧のように強固だ。だが搾取され空っぽになってしまった中身は脆く、酷く傷つきやすい。隙間から僅かでも刺されたら致命傷になってしまうくらいに。


 横抱きにした軽い身体が震えているのは、店にファーショールを忘れてきたからではない。だから離宮に送り届けるまで片時も離さなかった。あんな目に遭ったせいで人恋しいのか、使用人が帰宅して暗くなった室内で「一杯だけ付き合ってよ」と弱々しく引き留められた時の僥倖は言葉に出来ない。


 よほど気を張っていたのだろう、三口も飲めば空になってしまうような小さいグラス一杯でくたくたになってしまった彼女を介抱するためにベッドへ連れて行ったシャルルに下心がなかったと言えば噓になる。珍しく懐いてきた子犬くらいにしか見られていないと自覚していたが、ミーシャが気にする九つの年の差なんて、お互いに二十歳を超えていればどうでも良いものに思えた。幼稚舎も卒業していない小僧でもあるまいし、何が『犯罪臭がする』だ。


 そのくせめいいっぱい着飾った格好で醜聞が絶えない老害に一人で会いに行くと言われたシャルルの憤慨といったら。近くにいた使用人から二人が会う店を聞き出して、定例会に出席している同僚の代わりに訓練校の後輩たちを片っ端から呼び出し、憲兵の屯所に押し掛け半ば脅すように罪状を書かせ、頭に血が上った激昂状態のままあの現場に乗り込んだのだ。騎士団の若造による横暴な検挙に貴族たちからしばらく非難の声が上がるだろうが、そんなことはどうでもいい。


 アルコールで力が抜けた身体を質の良い布団の上に横たえる。安心しきった顔で寝入る想い人を見下ろして、送迎代くらいは貰いたいなと邪心が働く。送り狼という単語が頭をよぎったが、シャルルも酒が強い方ではなかった。


 気づかれないようにそっと枕元に手をつく。すっぴんを見られて涙目で抵抗していた姿を思い出して、もう抑えがきかなくなってしまたった。


 食べたら甘いアプリコットのようなルージュに染まった唇に吸い込まれるように口付ける。もちろん思っていたような味はしなかったが、不思議と甘く感じてしまったのは惚れた弱みだろう。だが意識のない女性に対する不貞にじわじわと良心が苛まれ始め、名残り惜しくはあったがゆっくりと唇を離した、のだが。


 離れていく熱を追い求めるようにシャルルの首に回された細い腕に引き寄せられ、再び唇が重なる。しかもがっつり入れられた舌は、ルージュの甘味を掻き消すほどのフルーティーな葡萄酒の味がした。突然の展開にギクリと身体を強張らせていると、妙な意思を持った指先が、耳の後ろから首筋にかけてを熱っぽくなぞる。深いキスの合間に交差した艶に濡れた視線に全てを許されたような気がしたシャルルは、あの日降ろした膝で再びベッドを軋ませたのだった。





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