12.「帰ろう、ミーシャ」
(国王様の嘘つき……!担降りしてやるぅ!)
仲介人として同席してくれると言ったのに、大事な会議が入ったからとドタキャンを食らったミーシャは、値の張るレストランでジャミロウと顔を見合わせながら、全く味のしないフルコースを咀嚼していた。
こんなことになるならやはりシャルルを連れて来た方が良かったかもしれない。……いや、ノアと結ばれる予定の彼には不要なイベントだ。やはりここは自分の力で乗り越えよう。
「退役後の身の振り方に大層悩んでいるようだな。結婚相談所に毎日のように通っているそうじゃないか」
「え、ええ……」
「生き遅れると心に余裕がなくなるものだ。君のような余り物を貰ってやれる紳士など、王都では私くらいなものだよ」
国王から聞いていたよりも随分高圧的な物言いに、出発前にシャルルが言っていた話の信憑性が増す。この男は、若く健康的な肉体を餌食に私欲を満たすだけのケダモノだ。それに加えモラハラとは、救いようがない。
周囲の様子をちらりと確認する。個室の入り口までは大股で五歩、室内にはジャミロウの護衛二人が窓際に控えている。給仕がやって来るため扉は開けっ放しだ。最悪は全力でダッシュすれば逃げられないこともないが、大きめのテーブルの向かいに座る男の手がいつ伸ばされるか気が気じゃなかった。
「逃げる算段をしても無駄だぞ、店の外には十人以上の護衛が待機しているからな」
「っ!」
「王は国に尽してばかりで未だ独り身の聖女の行く末を嘆いておられる。一日でも早く赤子を抱く姿をお見せして、安心させて差し上げなければなぁ」
ねっとりと纏わりつくような声色に、食器を持つ手が震えてカチャリと音を立てた。これは、想像以上にまずい状況かもしれない。
ジャミロウは給仕を呼びつけると、配膳のストップと人払いを申しつけた。そして給仕が出て行った後に外から鍵がかけられた音がする。明らかに雲行きが怪しい。もしかしたら店ごとグルなのかもしれない。
「こんなことをして、伯爵家の品位も地に落ちたものですね」
「田舎育ちの小娘が、教育と言うものを受けてこなかったのか。まぁいい、今からでもゆっくり手ほどきしてやろう」
品格を取り繕うことも忘れたジャミロウが席を立ち、椅子に座るミーシャの後ろに回る。かさついた指でレースに透ける項の
このスケベ親父、自分の娘と変わらない歳の女に手を出して、恥ずかしくないのか。興奮した様子の手が胸元のレースの下へ伸ばされ素肌を滑る感覚に我慢ならなくなったミーシャが防御壁を張ろうと魔法陣を展開させた瞬間、成り行きを見守っていた屈強な護衛に腕を掴まれて悪趣味な石の手錠をかけられた。すると急に力が抜けて、魔法陣がパラパラと細かく砕けて消えていく。
「聖女相手に無策で来るはずがないだろう。魔力を吸い取る呪物で作られた手錠の付け心地はどうかな?」
「呪物……!?持ち出しも加工も禁忌とされているのに、なんて愚かな……!」
「愚かなのはお前だ。護衛の一人もつけないで、まるで据え膳じゃないか。これから夫婦になるというのに、そんなにふしだらでは困るぞ」
どこまでも侮蔑的な言葉を使いミーシャをとことん陥れようとするジャミロウに、初めて恐怖心が湧く。呪物に魔力を吸い尽くされて力が入らなくなった身体を押されて簡単に床へ倒れた込んだミーシャを見下ろし、男は満足そうに微笑んだ。
このまま下衆の手に落ちて、望まぬ子どもを何度も孕まされて死んでいくのか。聖女なのに蔑まれ罵倒され、誰にも認められないまま最後は性奴隷のように死ぬ。ループにはお誂え向きな展開かもしれないが、だとしたらパラティンはやはりろくでもない女神だ。こんな物語、あんまりだ。
悔しさと恐怖で涙を滲ませた黄土色の瞳に見上げられ興奮気味に気色ばむジャミロウの手が伸ばされる。その時、ぎゅっと目を瞑ったミーシャの耳に扉の外の喧騒が聞こえた。
「護衛ならいるぞ」
鍵がかけられた木製の扉が蹴り破られる。突然の出来事に狼狽えるジャミロウとその取り巻きたちを、現れた大勢の若い騎士たちが取り囲んだ。そして扉を蹴り破ったミーシャの護衛騎士は、プラチナゴールドの瞳を怒りに染め、現場の状況を見渡す。
「個室で女性が乱暴されていると利用客から通報が入った。婦女暴行に禁止呪物の使用、通常なら地下監獄行きだが、あんたは幸運にも伯爵家の
「小賢しい若造がっ!こんな無礼が許されるとでも、」
「ついでに、あんたには捕縛命令が出ている。馴染みの闇医者と結託した死亡診断書の偽造と強姦、恐喝、監禁……当然家名は剥奪だろうな。国王に忠義を尽くしたアベイル伯爵もさぞ嘆かれることだろう。死んで詫びろ、クズが」
一気に青褪めるジャミロウに罪状が記された書類を投げつけたシャルルは、取り囲んでいた騎士たちに「連れて行け」と指示を出し、床に倒れ込んだミーシャへ駆け寄る。
「シャルル、何で……」
「言っただろう、俺は貴女の護衛騎士だと。やっぱり俺が傍にいなくちゃだめだな、ミーシャは」
シャルルはそう言いながら呪物の手錠を外し、物的証拠として近くにいた騎士にそれを託す。力の抜けたミーシャを起き上がらせようと背中に手を回した瞬間、シルクのグローブに包まれた両腕が勢いよく首に回されて、肩に埋められた柔らかな赤茶色の髪から整髪料の香りが鼻腔をくすぐった。
「っ、ミーシャ……?」
「ばか。来てたならもっと早く助けなさいよ」
どこまでも気丈な言葉が微かに震えていることに気づき、安心させるように華奢な背中に手を回す。捕り物にざわめく店内の喧騒から弱ったミーシャを隠すように抱きかかえて、シャルルは裏口からそっと店の外に出た。
「帰ろう、ミーシャ」
耳元で囁かれる低い声に安堵して、何度も小さく頷く。いつかノアのもとへ行ってしまうとわかっていても、今だけは傍にいてほしい。首に回した腕に力が入る。それに呼応するように、シャルルは夜風を浴びて冷たくなった耳に頬を摺り寄せた。
* * * * *
一方、ジャミロウ捕縛の知らせを受けた城内のとある一室にて――。
「ジャミロウめ、しくじりおって……」
「だが小娘も愚かだな。あやつの玩具に成り下がって生涯を終えた方がまだ幸せだったかもしれぬのに」
「せっかく聖女が二人もいるのだ、存分に使い込めというパラティンの御導きであろう」
「神の御導きとあらば、致し方ありませぬな。それでは予定通り、ローランを守る
外に漏れ聞こえることのない不気味な笑い声が、城内に響いていた――。
* * * * *
肌を刺す冷えた空気で目が覚めたミーシャは、起き上がろうとしてすぐ頭蓋骨が叩き割られるような鋭い頭痛を感じて枕へ舞い戻った。いつもよりも瞼が重いからきっと顔も浮腫んでいる。間違いない、これは二日酔いだ。
酒癖が特別悪いわけではないのだが、どうにも葡萄酒だけは身体に合わないのか翌日になっても残るし記憶が飛んでしまう。
昨日の一件で落ち着かなかったミーシャは、離宮まで送り届けてくれたシャルルに一杯だけ寝酒に付き合ってもらうことにした。残っていたのが普段口をつけない貰い物の葡萄酒だけだったのだが、ここは自分の部屋でありしかも少量だし問題はないかと軽い気持ちで口に含んだのがいけなかった。爆睡することはできたが見事に記憶がないし頭痛が酷い。
寝具の中で眉間を指で押しながら頭痛に耐えていた彼女ははたと気づく。秋口だからかやけに寒いなと思っていたら、なんと服を着ていなかったのだ。記憶が飛ぶ以外に脱衣の酒癖とは、葡萄酒はやっぱり今後一切自重しなければと反省していると、隣で何かが動いた。ペットは飼っていない。生き物は好きだがここでは飼育禁止なのだ。じゃあ、何。
気づかれないように恐る恐る厚めの羽毛布団を捲る。ちらりと見えたしっとりとした黒髪の頭と瑞々しく張りのある地肌の輝きに目が焼かれ、ミーシャは声にならない悲鳴を上げて静かに悶絶した。自分が犯した罪を目の当たりにし、二日酔いも一気に吹き飛ぶ。
念のため下半身も確認してみたら願いも虚しくお互い素っ裸だし、脱ぎ散らかした服がダンスの残骸のように折り重なってそこら中に散らばっている。事後だ、事後の見本として何かの著書に載せられるほど見事な事後だ。やらかした!
「んぅ……ミー、しゃ……?」
隣で寝ていた相手に舌ったらずに名前を呼ばれて心臓が飛び出そうなほど爆音を奏でる。何だ、その甘ったるい呼び方は。ちょ、腕を引っ張るな、肩を抱くな、胸に顔を埋めるな!
眼前に晒された若く美しい裸体の神々しさに自分の罪を自覚して言葉を失っているミーシャを余所に、寝ぼけたシャルルは健やかな二度寝をキメてしまった。
鍛えられたミーシャのラノベ脳は、放心状態であるにも関わらず即座にタイトルを考案する。
『円満寿退位でループ回避を目指すはずが、転生美少女聖女の旦那候補と朝チュンを迎えています』
(……ボツ!!!)
ここからどうテコ入れするべきか、読み専だったはずなのにいつのまにか当事者になっていたミーシャの腕が試されようとしている。
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