第7話 成り行き

 母に電話をし、古い友達と成り行きで旅行に来てしまったからと子供たちの夜ご飯を頼んだ。


 この年で母に嘘をつくなんて情けない。これっぽちも疑わずに快く引き受けてくれたので余計に心が痛む。

 母は仕事で忙しい私を心配しているし、夫と別れて欲しいと思ってる。しかしそんなこと言われたことはない。私を信用しているのだ。そんな母に申し訳がなかった。


 通話を終えると彼がすぐ後ろで聞いていたのに気が付いた。あまりにしゅんとした私に申し訳なく思ったのか「ママさんに嘘つかせてごめん」と謝った。


「いいよ、あなたのこと気に入ってたしね」と私は嫌味を言った。


 そう、母はとても彼を気に入っていた。

 私の弟もだが、母は特にそうだった。母の父、つまりは私の祖父にまで紹介したくらいだ。

 父も彼を気に入っていた。一流大学に通うポジティブな彼を好ましく思っていた。

 彼と家族で近所の中華をよく食べに行った。


 反対に消極的でノリが悪く、卑屈な態度を見せる私の夫に両親は冷たかった。

 ふと私の家族が彼と夫を比べていたことに初めて思い当たった。

 夫は繊細なのでその空気を感じていただろう。気が付かなかった自分の傲慢にぞっとした。


「よくご飯を食べさせてもらった。あんなに良くしてもらったのに僕は君の家族を裏切ったんだ。ママさんには特に合わす顔がないよ」と彼は悲しそうに言った。


 前向きかつ楽天的な彼のことだ、きっと今の今まで私の家族の気持ちなんか考えたことがないだろう。悪いと思ったこともなかったはずだが、私も同類だ。上から嫌味を言う資格はない。


「もうずいぶん昔の事だからいい。それに…」


 彼と別れたおかげで夫と結婚でき、愛しいミナとユウに出会えたのだ。


「あなたの家族に私は嫌われていたから」


 ずっとひっかかっていた。

 彼は私が年上のせいで家族に嫌われていると私によく話した。なぜ私が傷つかないと思ったのか。


「…ごめん、嫌な思いをさせていたね」


 確かに嫌だった。

 会ってもいないのに私を嫌っていた彼の家族。

 スーパーでバイトをすると私のレジには人が並んだし、二人受付がいたら高確率で私の方に人が来る。美人ではないが人を安心させる何かがあると自分では思っていた。要するに自惚れていたのだ。

 だから彼の家族に嫌われているのがとてもショックだった。

 彼に捨てられてあっさり引き下がったのも、もう彼の家族を気に病む必要がないとほっとしたからだ。だって結婚したら相手の家族は一生ついてくる。

 世界から『お前なんかいらない』と通告されたように感じたし、実際彼の家族も私がいなくなって喜んでいただろう。だが私もそうだ。『お前の家族なんていらない』とどこかで思っていた。


「でも僕の母は、新しい彼女を連れていくと最初は喜んでいたけど、時間が経つといつもがっかりしていたよ。会ったことないサヤの方がまだ良かったって勝手を言ってた。よりを戻してもらうように職場まで行ったらしいし」


「え?」


 それは初耳だ。


「妹から聞いたんだ、サヤがいなくて会えなかったって。僕も連絡をとれなかったし」


「携帯なかったもんね」


「違う。僕はサヤを傷つけて怒らせたから、怖くて顔を合わせられなかったんだ。家も知ってたから会いに行けばいいだけなのに…どうしても出来なかった」


 確かに私は猛烈に怒っていた。腸が煮えくり返るとはこのことだと実感するくらいに。

 しかし彼に別れを切り出されても何も言わなかった。


「気が付いてたんだ」と私が笑うと、


「鈍い僕でもわかったよ。僕らは気が合うから友達になればいいって都合よく思ってたけど、甘かったんだ。もう二度と会えないんだってサヤの顔を見て思った。サヤの僕への思いが深くて大きかった分、怒りも失望も大きいんだって。軽蔑してたでしょ」


「…私でなく纐纈こうげつ家かあなた自身に問題があるって思ってた。そうしないと自分を保てなかったから」と正直に言った。


「そうだよ、サヤの言う通り僕と僕の家に問題があったんだ。でもその時はそれに気が付かなかった。家族や友人の言う通りにした方が楽だったから流されたんだ」


「で、入社して美人で学歴の高い女子と付き合って結婚したんだね」と私は彼の素敵な奥さんの若い頃を想像してみた。きっと同期で一番美人だったに違いない。


「できちゃったからね。彼女と付き合いだした時は家族も大喜びでちやほやしてたけど、しばらくしたら『彼女は纐纈家をバカにしてる』って騒ぎ出してね…妊娠したから結婚するって言った時の両親の顔が忘れられない」と苦そうに彼は言った。


 私は彼の話を聞いて、別れて正解だったんだと思った。纐纈家では私は幸せになれなかったろう。


「うちにお嫁に来なくて良かったと思ってるでしょ」


 彼が私の表情を読んで尋ねた。


 私はそれには答えなかった。

 その代わりに、夫の両親がとてもいい人で良かったと思った。

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