第3話 訪問

 読書が一区切りついたので時計を見る。12時を随分と過ぎていた。


 ご飯を作るのが面倒だったので冷蔵庫からさけるチーズを取り出した。かじりながら本をまた開こうとすると玄関のチャイムが鳴った。


 息子に何かあったかと思い、チーズを放り出して急いで玄関ドアを開けると彼がいた。


「な、何?」と思わず身構える私を見て、彼は満足そうに笑った。思ったような反応だったらしい。

 そして「忘れ物届けに来た」と言った。


 何か忘れてきたものがあるかと考えているうちに、彼がドアの隙間を広げて玄関にすっと入りドアを閉めた。


「ちょ、勝手に入ってこないで」


 そう私が言うと、彼は私の身体をぐいっと引き寄せキスしようとした。


「や、だっ…」


 

「サヤがって言う時は本当はして欲しい時でしょ。忘れ物、届けにきた」


 顔をそむけて少しでも距離を取ろうとする私を、彼はドアに押し付け長いキスをした。


 相変わらず勝手だが、こんなクサいことを言う人だっけ、と思っていたら今度は舌を侵入させてきた。久しぶりの深いキスで身体の力が抜けていくのがわかる。


「んっ、やめ…」


「本当にやめていいの?」と彼は意地悪く聞いて、玄関のカギをかちゃりと閉めた。

 

 その音は私の身体の芯に不吉に響いた。


「ずっと別れた事を後悔してた。サヤはどう?」


 彼は首筋に舌をゆっくり這わせた。


 どうって、彼が何を言いたいのか考えられない。彼が歯を立てると私の身体がびくりと反応して思わず声が出てしまう。


「んっ…」


 彼は私の弱い部分をじっくりと責めた。


「サヤ、気持ちいい?」


「…本当にやめて」と私は小さな声でお願いする。


「何?聞こえないな」


 彼は昔のように意地悪く言う。


「嫌い…」


 私が泣きそうな声でそう言うと、ふいに優しく彼に抱きしめられたのがわかった。とても大事な壊れやすいもののように、ふわりと。

 私の頭で何かが弾けた。


 家庭を守る為に極限まで気を張り、いろんな楽しいことから目を背けて頑張ってきた。そんな自分が哀れで、本当はくたびれ果てて寂しいんだと誰かに甘えたかったし大事にして欲しかった。口先でなく全身で。




 暗くなる前に彼は帰った。私は長い時間をかけてシャワーを浴びた。


 まだ身体が彼を求めていた。彼に身体が自然に反応している。

 鬱病になった夫とはセックスレスだった。家事と仕事で毎日が手いっぱいで、それでも他の男性と浮気なんて考えたこともなかったのに。


 これは間違っている、彼とは二度と会わない。


 そう決めた。

 私はミナとユウの親なのだ。人に言えないようなことはしてはだめなのだ。



 その日以降、私は彼と奥さんを徹底的に避けた。

 アイちゃんが来るときは仕事を作って家を空け、二人で遊ばせた。遊びに行くときは娘を近くのコンビニで降ろし、このあと仕事だと嘘をついた。


 しばらくすると娘たちも他に友達が出来、グループになってからはうちに来ることがなくなった。

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