第3話 少女は黒き企みに巻き込まれる
《四年前》
薬膳料理店『ラブ・ポーション』の電話が鳴り響いたのは、私が中休みで買い出しに出ている叔母を待つ間、ぼんやりとフロアのテレビを眺めていた時だった。
「はい『ラブ・ポーション』です」
「大人数での食事、大丈夫ですか」
私は相手の微妙なイントネーションに「外国のお客さんかな?」とはっとした。薬膳料理店という特殊性ゆえ、外国人の団体客は珍しくないのだ。
「すみません、これから中休みに入るのと、私一人しかいないので大人数だと対応できません」
私がやんわり他を当たるよう促すと、声の主は「そうですか、一人……わかりました」と言って通話を切った。
「はあ、もう少し叔母さんが早く帰ってきてくれてたら、なんとかなったのになあ」
私は手前勝手なぼやきを口にしながら『CLOSE』の札を手に玄関へと向かった。
私が入り口の取っ手に手を伸ばした瞬間、向こうから扉が開いて大柄な人物が姿を現した。
「あの、これから中休みなので夕方に……」
私が断りの言葉を口にすると、いかつい容姿の男性客は「食事じゃない。急いでここを出るんだ」と映画のような台詞を私に投げかけた。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
「チェン。ある人物からの依頼で、あんたの警備を任されたものだ」
「警備?私を?……何から?」
「それは安全な場所に無事、あんたを届け終えたら説明する」
男性はぶっきら棒に言うと、「十分後にまた来るから、支度をしておくんだ」と言い置き再び見せの外に姿を消した。私はあっけにとられたまま、これはちょっと危ない人と考えるべきなのだろうかと首を傾げた。
――どっちにせよ、店は一度、閉めなきゃならないんだし。
私が自分に言い聞かせるように頷きエプロンを外した、その時だった。再び入り口の戸が開いて、サングラスにスーツの先ほどとは全く雰囲気の異なる人物が姿を現した。
「あの、これから中休み……」
私が先ほどと同じ断りの文句を口にすると、人物はこちらには一切取り合わず背後に合図のような物を送った。すると数名の男たちが店内になだれ込み、両側から私の腕を捉えたかと思うと布のような物を私の口元に当てがった。
「むぐっ……」
手足をばたつかせて抵抗する私を、男たちは有無を言わさぬ怪力で押さえつけた。やがて甘い匂いが鼻腔に広がったかと思うと、頭の中が綿でも詰め込まれたかのようにぼんやりし始めた。
※
私の意識に絡みつく不快なまどろみを破ったのは、苛立ったような男たちの会話だった。
――まずい、ぴったり
――やつか?やつなら早めに振り切ってしまわないと厄介だ。
私は朦朧とした頭で「やつって誰の事だろう」と考えた。どうやら私は店に押し入ってきた男たちに誘拐されかけているらしい。わけがわからないが、どうにかして監禁される前に脱出しないと助けを求めるチャンスがなくなってしまう。
私は車が走行中であるにも拘らず、ドアの取っ手があると思しき方向に手を伸ばした。
――お願い、気がつかないで。
顔を動かさぬよう努力しつつ、私が追っ手に集中している男たちに向けて祈った、その時だった。突然、がくんと車体が傾いたかと思うと、がたがたと不穏な振動が車体を包みこんだ。
「……くっ、なんだ?」
「タイヤを撃たれたぞ。車を止めろ」
パニック状態の男たちが悲鳴に近い声を上げた直後、急ブレーキの音と共に衝撃が車体を揺さぶった。どうやら制御不能に陥った車が路肩の何かにぶつかったらしい。
「……おい、しっかりしろ!……くっ、仕方ない!」
後部シートで私を見張っていた男が運転席の男を揺すった後、忌々し気に舌打ちをくれるのが聞こえた。
「おいっ、お嬢さん。いくらなんでも起きたろう。……逃げるぞっ」
後部席の男は私に怒声を浴びせると、自分と私のシートベルトを外しにかかった。
「……ちくしょう、なかなか開かねえっ」
シートベルトを外し終えた男が、私を外に出そうとドアと格闘し始めたその時だった。
「――わあっ」
いきなり外側からドアが開けられ、私と男はもつれるように車外へと転げ落ちた。
「痛た……あっ、待てっ」
腰を強く打ちながらもどうにか立った私の足首を、追いすがる男の手が掴んだ。再びよろけた私の頭に絶望の二字がよぎった瞬間、「ぐっ」という呻き声がして足首を捕えていた力が消えるのがわかった。
「……随分とお粗末な工作員だな」
振り向いた私の前に立っていたのは、チェンというあの大柄な『警備』の男性だった。
「あ、ありがとうございます」
私は足元でのびている男と、得体の知れないボディガードを交互に見ながら言った。
「礼なら後で聞く。それよりすぐにこの場を離れるんだ」
チェンはそう言うと、顔を捻じ曲げて私に背後の車を示した。どうやら乗れという意味らしい。私がやむなく同意を示そうとした、その直後だった。ふいに物陰から現れた別の男が、チェンに向けて銃を構えるのが見えた。
「――危ないっ!」
私がチェンの前に飛びだすのとほぼ同時に轟音が聞こえ、熱い塊が立て続けに私のお腹をえぐった。
「――うっ」
その場に崩れる私をチェンが背後から抱きとめ、「大丈夫か!」と叫んだ。激痛の中で誰かが「しまった!」と叫ぶ声が聞こえ、私の意識は恐ろしい死の闇へと呑みこまれていった。
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