第二章 御子神家の人々①

 到着した御子神邸は予想にたがわぬ豪邸で、小夜子をして「葛城さんについて来てもらって良かった!」と思わせるに十分なものだった。

 どこまでも続くついべいに堂々としたかぶもん。そして美しくせんていされた五葉松。本館は建て増しに建て増しを重ねたらしく、中は迷路のように入り組んでいる。執事の案内で長い廊下を通って奥まった部屋に入ると、待っていたのは五十代くらいの男女と、まだ十代とおぼしき青年だった。

「どうも、遠いところをおいでいただいてありがとうございます。私がご連絡差し上げた御子神夏彦です」

 男性はそう名乗ると、傍らの二人を「妻のたかと息子のなつです」と紹介した。

 御子神夏彦はひょろりとした体つきの小柄な男性で、顔立ちは悪くないものの、どことなく「とっつぁんぼうや」という印象を受ける。御子神グループの跡取りと目されているそうだが、あまりそういった威厳は感じられない。

 一方、妻の尊子は派手な目鼻立ちのグラマラスな女性で、若いころはさぞかし華やかなぼうを誇っていたに相違なく、今でも十分に見栄えがする。その立ち振る舞いは堂々としてかんろくがあり、むしろこちらが跡取りと言われた方がよほどしっくりくるほどだ。

 そして息子の夏斗は丸まる太った青年で、「どうも」とぼそりと言ったきり、ひたすらスマホをいじっている。ここに同席している理由は全くもつて不明だが、信楽しがらき焼の狸だとでも思って放置するしかないだろう。

 互いに簡単なあいさつを済ませると、御子神夏彦は机上の封筒を小夜子に向けて差し出した。

「こちらが父の遺言書です」

 差し出された封筒を開けると、中には数枚の便せんが入っており、署名となついん、そして自分が死んだのちの財産の処理方法がぼつこん鮮やかに記されている。

 その内容に小夜子は思わず目をしばたいた。

(え、なにこれ……)

 いわく、全財産は季一郎の四十九日を過ぎた時点で長男の夏彦に贈る。ただしその時点で夏彦が死亡していた場合、あるいは相続資格を失っていた場合は、次男の秋良に贈る。夏彦、秋良が共に死亡していた場合、あるいは相続資格を失っていた場合は、三男の冬也に贈る。夏彦、秋良、冬也の三人がいずれも死亡していた場合、あるいは相続資格を失っていた場合は、長男の息子である夏斗に譲る。夏彦、秋良、冬也、夏斗の四人がいずれも死亡していた場合、あるいは相続資格を失っていた場合は、三男の娘であるふゆに譲る。

 ただし相続人が誰であっても、遺言内容を知ってから四十九日が明けるまでの間、この屋敷に住み続けることを条件とする。日中の外出は自由だが、日没から夜明けまでの間は必ず屋敷内に滞在すること。日没までに戻らなかった場合、また夜明け前に外出した場合は、理由は何であれ相続資格を失う。

 以上の条件を満たし相続人となった者は誰であっても、妻の晴絵が死亡するまでの間、その扶養をする義務を負うものとする。

 家庭裁判所への検認申し立てから実施までに一か月近くかかっているため、四十九日まであと二十一日。このままいけば全て夏彦が相続することになる。

 遺言による長男相続、それ自体は別に珍しい話ではない。

 問題は、そのあとだ。

「ええと、失礼ですが、夏彦さんたちにはなにか持病のようなものがおありなんでしょうか」

「いえ、特には」

 夏彦は渋い表情で返答した。

「ご質問の意味が四十九日までに私たちが死ぬ可能性があるかということなら、ほとんどないと申し上げるほかありません。それこそ事故に遭うか、誰かに殺されでもしない限り」

「そうですか……」

 それなのに、わざわざ息子たちが死ぬ場合を想定していることに、何とも言えない薄気味悪さを感じる。加えて日没から夜明けまで屋敷に滞在するという条件も、なんとはなしに不気味である。

 生前の季一郎のインタビュー記事によれば、長男と次男は東京でそれぞれの家を構えており、現在この屋敷に住んでいるのは晴絵夫人と三男一家だけのはずである。家を出た息子たちを呼び寄せて共同生活を送らせることに、なんの意味があるのだろう。

「まあまあ、そんなことどうでもいいじゃありませんの」

 はきはきした声で口をはさんだのは尊子である。

「お義父とう様の思惑をあれこれ考えたって、今さら分かりっこありませんわよ、ね? それよりこの遺言は、ちゃんと有効なんですの?」

「内容自体は有効です。形式も特に問題はないと思います」

「それじゃあと二十一日間この家に滞在すれば、財産は全て主人のものになるということでよろしいんですね?」

「いえ、全額かどうかはまだ分かりません。故人の奥様である晴絵さんと、次男の秋良さん、三男の冬也さんには遺留分がありますから」

 子供や配偶者といった特定の法定相続人は、遺言内容にかかわらず相続財産の一定割合を受け取る権利が認められており、これを遺留分という。

「だから晴絵さんたちが遺留分侵害額請求権を行使すれば、その分はそちらに行くことになります。つかぬことをうかがいますが、他の方々はこの遺言内容に同意していらっしゃるんですか?」

 小夜子の問いに、夏彦は「それが、母や弟たちはまだ遺言の内容を知らないんです」とどこか申し訳なさそうな顔つきで言った。

 なんでも季一郎氏の遺言書が書斎で発見された際、遺言が入った封筒は封をのり付けされた上で封印が押されていたらしい。法律上、封印された遺言の開封は検認の際に行う必要があることから、夏彦も含めた相続人一同はじりじりしながら当日を待ちわびていたのだが、よりによってその前日、次男の秋良は急性虫垂炎で入院する羽目になったという。晴絵も秋良に付き添ったため、二人は開封に立ち会えなかったとのこと。

「三男の冬也さんはどうなさったんですか?」

「それが……実をいうと、冬也は三年前から行方不明なんです」

「行方不明?」

「はい。三年前にふらりとしつそうして、それっきりです」

「それはなにかの事件に巻き込まれたということではないんですか?」

「いえ、本人の意思による失踪です。部屋には置き手紙がありましたし、荷物を持ち出した形跡もありましたから。手紙には思うところがあって家を出る、探さないで欲しいって、それだけです。仕事も全部放り出して、一体何を考えているんだか。冬也が持っている携帯に『遺産について話し合いたい』というメールを送ったんですが、いまだ返信はありません。父の危篤や葬儀のときにも送りましたけど結局帰ってこなかったので、今回もこのまま帰ってこないかもしれません」

「そうなんですか……」

「秋良の方は今日退院ですので、付き添いの母と一緒にじきにこちらへ戻ってきます。それで……できればその、遺言の内容について先生の方から二人に説明していただければと思いまして」

「相続人への説明は執行者の仕事のうちですから、もちろんそれは構いませんが」

「いやそれで、できればその──」

「まあ貴方あなたったら、はっきり申し上げないとだめでしょう?」

 尊子がにこやかに口をはさむと、小夜子たちの方に向き直った。

「先生方には秋良さんたちに内容を説明したうえで、遺留分を要求しないように説得して欲しいんですの」

「え、私がですか?」

「ええそうですとも。先生以外に誰がいらっしゃるんですの?」

 尊子はさもおかしそうに微笑んだ。

「遺言の内容をきちんと実現するのが遺言執行者のお仕事でしょう? 引き受けた以上はちゃんと仕事をしてくださらないと、ね? それじゃよろしくお願いしますね。比良坂先生?」

「いえ、あの、説得はちょっと、あまり自信が」

「申し訳ありませんが、説得は遺言執行者の業務の範囲外です」

 葛城は横からさわやかにそう告げると、ばっさりと話を打ち切った。

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