第二章 御子神家の人々②

 ほどなくして執事から、「晴絵様と秋良様が病院からお帰りになりました」との報告がもたらされたので、小夜子たちは夏彦一家と別れ、まずは御子神秋良が滞在しているという客室へと赴いた。

 その道すがら、葛城一馬が「お前、なんであんな無茶な要求であわあわしてんだよ。普通にすっぱり断れよ」といらたし気に吐き捨てた。

「それともまさか、遺言内容を他の相続人に従わせるのも執行者の仕事のうちだとか、本気で勘違いしてたわけじゃないだろうな」

「いえ、してませんよ! してませんけど」

「けどなんだよ」

「弁護士の仕事でしょうって言われると、なんとかしなきゃいけないような気になってしまうといいますか」

「……お前、そういうところだよ」

 深々とため息をつかれて、小夜子は思わず視線を落とした。実のところ、比良坂小夜子がポンコツである一番の理由はそれだった。

 小夜子には祖母のような鋭いぜつぽうもなければ天才的なひらめきもなく、探偵顔負けの調査力や周囲を魅了するコミュニケーション能力も持ち合わせていない。まさにないない尽くしのない尽くしだが、中でも一番に欠けているのは「己の判断に対する自信」といっていいだろう

 小夜子は昔から他人と意見が食い違うと、自分の方が間違っている気になってしまうのが常だった。ことに尊子のような押しの強いタイプに断言されるともう駄目だ。

 内心「あれ? 確か条文はこうなっていたし、判例の解釈もこうだったよね?」と思いつつも、相手がこれだけ自信たっぷりなのだから、もしかすると自分の方が間違っているのではなかろうか、いや間違っているに違いない、と不安が膨れ上がっていく。そして迷走しかけたところを葛城一馬に一喝されて何度修正したことか。

「お前、予備試験も司法試験も一発合格だったよな」

「はい、一応」

 祖母の予想問題がぴたりと当たったおかげだが、一応合格は合格だ。

「だったらもうちょっと自信持ってもよさそうなもんだけどな。比良坂貴夜子の孫が一発合格してうちの事務所に来るって聞いたときは、てっきり『明日の判例は私が作る! ひれ伏せ愚民ども!』みたいな奴かと思ってたわ」

「ご期待に沿えなくて申し訳ありません」

「いや、そんな奴に来られてもうつとうしいからいいんだけどな。かといってお前みたいに卑屈なのもうざったいし。……普通でいいんだよ、普通で」

 普通が一番難しい、と誰かが言った。

 果たして自分は葛城の求める普通の弁護士になれるときが来るのだろうか? なにか絶望的な未来が浮かびそうになったので、小夜子は深く考えないことにした。




 夏彦夫妻の説明によれば、次男の御子神秋良は五十を過ぎていまだ独身で、父親の援助を元手に事業を起こしては失敗することを繰り返しており、その借金の穴埋めとして父の遺産を当てにしているとのことだった。

 その情報をもとに秋良との会談に臨んだわけだが、案の定というべきか、御子神秋良は説明を聞くなり激高した。

「冗談じゃない。そんなふざけた遺言があってたまるか!」

 秋良は夏彦とは正反対の長身で大柄な男性で、怒鳴るとなかなかに迫力がある。

「申し訳ありません!」

 小夜子は反射的に謝ってから、おそるおそる「それでつまり、秋良さんは遺留分を請求するということでよろしいでしょうか」と確認した。

「それはもちろん請求するが、そもそもこんな遺言は認められない。親父は前に遺産は兄弟で平等に分けるって言ってたんだよ! それなのに、こんなのは絶対おかしいだろ!」

「え、そうなんですか?」

 突然飛び出した新情報に小夜子があたふたする一方、葛城は冷静に問いかけた。

「ちなみにそうおっしゃっていたのはいつ頃ですか?」

「ええと、あれは確か夏斗が生まれた年だから、今から──」

 小夜子と葛城は思わず顔を見合わせた。先ほど会った青年は、どう見ても二十歳近かった。

「……失礼ですが、単にお父様の気が変わっただけの話では?」

 小夜子がおずおずと問いかけるも、「親父はそう簡単に気持ちを変える人間じゃないんだよ!」との返事。

 そう簡単に変える人間じゃなくても、二十年近くも経っていれば変わることもあるだろうというのが小夜子の率直な感想だったが、むろん口にはしなかった。

「ええと、それで秋良さんの主張としては、つまりこの遺言書は」

「ああ、偽物だよ。兄貴か兄貴の嫁さんが偽造したに決まってる。筆跡鑑定をすればすぐわかるはずだ。それで偽物だってわかったら、当然無効になるんだろ?」

「遺言無効確認訴訟を起こして、認められれば無効になります。ただその、筆跡鑑定だけで無効と認められるのはちょっと難しいんじゃないかと思います。あれってそんなに確実なものじゃあないんです」

「そうなのか?」

「はい。鑑定人によって結果がまちまちだったりしますし、まだ科学的に確立された手法ではないんです」

 小夜子が「ですよね?」とばかりに隣に目をやると、葛城が面倒くさそうにうなずいたので、自信をもって説明を続けた。

「ですから裁判で認められるためには、他にも色々と間接証拠を積み上げる必要があります。例えば先ほどおっしゃっていた、お父様の生前の発言と遺言内容が矛盾している点などは有力な証拠になるはずですが、他にお父様の発言を聞いている方はいらっしゃいますか?」

「いると思うが、分からない。俺が親父から聞いたのは、二人きりの時だったからな。でも絶対に俺以外にも同じことを聞いた人間がいるはずだ。弁護士さん、なんとしても証人を探し出してくれ」

「え、私がですか?」

「ああそうだよ。他に誰がいるんだよ」

「え、でも私はそういうのはちょっと」

「遺言執行者の仕事だろう? 仕事はちゃんとやってくれなきゃ困る」

「いえ、でも、それは」

「それは執行者の仕事の範囲外です」

 そこで葛城が横から口をはさんで、すっぱり話を打ち切った。

 そして当然のことながら、小夜子はその後こってり絞られた。

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