第6話

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 平原がしばらく続き、陽光は規則正しく巡った。

 遠くに山並が見え、時には林も見かけた。だがシャシャと狐に用のありそうなものは一向にない。日が昇り、また沈み、月が欠けてゆき、また満ちる。単調な繰り返しに飽かずただシャシャと狐は歩を進めた。狐は軽口を叩き明るくシャシャを励まし、シャシャもまた時には狐を勇気づけた。狐は時折、以前鼠に齧られた左足を気掛かりにしていたからだった。そんな時には決まって狐は照れくさそうにシャシャの背を尾で軽く叩くのだった。日は昇り、沈んだ。

 何度目かの満月が欠け始めた時だった。

 その時月は西の空に蒼白な面で横たわり、反対に東の空には太陽が眼を開きかけていた。平原は淡い濃淡を描きながら広々と続いて、遥かな山並からは漸く雪が姿を消した頃である。まだ幾つかの星が執念深く自分の中の存在を主張していた。

 その平原の、何処か知れないがそう遠くはない場所で、低い遠吠えが発せられた。その臓腑を締め上げられたような声は長く長く続き、これほど長く吠えたのなら平原中に届いたろうと思える頃に途絶える。ある程度の大きさのある獣の存在を感じるのは久々のことだったため、狐とシャシャは顔を見合わせ、四つの耳はその出所を探るために頻りに蠢いた。方角を定めると示しあわせたように駆け出し、やがて近くなったと判断した頃に低く身を潜めて忍び寄った。

 辺りには芳しいにおいが充満している。獲物のにおいがシャシャと狐の鼻腔を刺激する。地鳴りのような絶え間ない足音とともに、間抜けではあるが老獪そうでもある珍妙な鳴き声が勝手気儘に響く。平原を川のように分断する羊の群れであった。

 羊たちは皆礼儀正しく前を行くものの背を追っている。多くは白いが、茶や黒も混じって、一様に頭を垂れて歩んでいる。彼らは一心に何かに祈りを捧げるようでもあり、罪科を悔いるようでもあった。

「追おう、シャシャ。ご馳走だ」

「いや、人がいるはずだ。様子を見よう」

 数日、シャシャと狐はうずうずしながらもじっと身を潜めてこの一群を観察し続けた。人に出会せばご馳走どころか死にかねない。だがこのまま後をつけ続けるのも面白くはない。二頭は互いを急かし宥めを繰り返し辛抱強く期を窺った。しかしこの間に恐れていた人の姿を認めることはなかった。

「大丈夫なんじゃないかな?」

 狐は珍しく真剣な様子でシャシャに言う。これほど観察して何もなかったのだから、もしかしたら杞憂だったのかも知れない。シャシャも徐々にそう思い始めていた。二頭をからかうように太陽は日増しにその輝きを強めている。唾液は常にシャシャと狐を苛もうと押し寄せる。

 結局、話し合いの結果は最後に一晩様子を見て、明日の朝早くに各々食糧の獲得に乗り出すこととなった。

 その夜はあるかなしかの月が出ている薄曇りの空で、それを取り巻く星たちの方がむしろきらびやかなほどだった。初めは微かに、二度目はより近くで、鋭い犬の鳴き声が響く。大型の犬の低い唸りと警戒のための叫びだ。しばし間を置いて三度目が響き渡る。

「おかしい」

「何がだい?やっぱり人がいて、それに従うぼくたちの敵もいたってだけじゃないか」

 失望の色濃く漂うやさぐれた様子で狐は答える。耳は垂れ、尾も力なく地に寝そべっている。彼は全てのやる気を投げ捨てたようで、心なしか一回り体躯も縮んだように見えた。

「犬はいるが人はいない」

「まさか」

「よく聞いていろ」

 狐は最初無気力で半信半疑のまま、友に言われて仕方がなく耳を立てた。しばらく忙しなくそれを動かして、次第に瞳を輝かせ、空気を大きく吸い込むと勢い込んでシャシャに向き直る。

「きみは天才なんじゃないか?どういうことだろう、羊の先導をするのが犬だけだなんて。ここ数日の様子じゃあ、別に今離れているだけっていう訳でもなさそうだ。奴はいったいどういうつもりでこんな馬鹿馬鹿しい真似をしているんだろう?」

「興味が出たのか」

「もちろんだよ!」

「じゃあどっちにしろ、羊はしばらくお預けだ。夜が明けて、犬の気が鎮まった頃にでも話しかけてみよう」

 こればかりは、シャシャにはどうしようもない。狐の好奇心を抑える術をシャシャは知らないし、日々の糧はこれまでどうにかなってきた。先ほどまでの脱力して萎んだ様子との変わり身の見事さに少し呆れながらも、シャシャには狐のこの切り替えの速さは好ましく感じられる。長い道程を付き合ってくれたこの仲間の希望であれば、多少は協力してもよい。

 斯くして夜は明け、気力に満ちた赤毛とともにシャシャは恐らくは変わりものの牧羊犬の姿を探した。その日も太陽は気勢を上げて地を照りつけている。雲すらこの勢いに押され夜とともに西へ逃げ出して、代わりに濃い影が羊の群れとシャシャたちに付き従う。

 目当ての彼は、狐の驚異的な働きによって直ぐに見つかった。彼は群れの先頭から中頃までをうろつき、頻りに後方へ視線を投げ掛けている。忙しなく気を配る姿はまるで本物の人か、産んだばかりの子を養う親のようだった。

「やあ、こんにちは」

 喜色満面の狐は一等朗らかに声をかけた。まだ距離はかなり取っている。やっと落ち着いたらしい牧羊犬の機嫌を損ねることを恐れた狐の発案からだった。狐は犬の真似でもするように大袈裟に尾を振っている。シャシャはそんな友の滑稽を通り越して見事な立ち振舞いに一瞬感動を覚えかけて、だがやはり滑稽だと思い直した。

「それ以上わたしの家族に近付くな」

 近くで見ると、何とも不自然な犬だった。垂れた耳に埃っぽい長毛を持ち、思っていたほどは大きくない。シャシャよりは大きいが、それも僅かな差である。白と黒と茶が雑に混ぜ合わされたような妙な毛色をしていて、風に合わせてその毛並みは再び混ぜられるように揺れている。彼は間違いなく自然以外のものが作り上げた作品だった。だというのに眉間から鼻にかけて深い皺を刻んで歯を剥き出すその顔は、狼のものと寸分違わない。狐の無駄のない利己的な体躯と並べてみると、いっそうその何か別のものの手が加わった生命の気色悪さが際立つ。

 足先から這い上がる薄ら寒さに、シャシャは毛を逆立てた。昔自分が家族だと感じていたものたちも、きっとこのように不自然だったに違いない。もしかしたら自分も、自然と己によってだけ規定されているとばかり考えていたが、このように何か別の意思によって歪められた生命なのではないだろうか。

 牙を剥き出す犬の背後では、同じように何かに手を加えられた作り物の命の群がひたすら歩いている。頭を垂れて許しを請うようにただ進んでいる。犬は再び唸りを上げた。

「去れ」

「あなたの家族に手を出すつもりなど毛ほどもありませんよ。そんなとんでもなく愚かな真似は頼まれたってごめんです。わたしたちはただ同じように旅をしている様子のあなたたちと、少しだけ道程を共にしたいだけなのです」

「去れ」

「ねえ、あなた、探しているのではないですか?」

 狐の言い方はほとんど確信しているようで、シャシャまで怪訝な顔をした。友は自信に満ちた表情を湛えている。何をとは言わなかった。だがまるでその在処を知っている様子だ。

「何を」

「見つからないのですよね。当然です」

 犬の真似事は効果がないと悟ったらしく、狐は狐らしく、狡猾で気儘ないつもの態度に戻っている。その態度の中には珍しくも微かな不快感があった。

「ところで、我々はどうやら同じ方角を目指しているようですね。奇跡的な偶然です。それではお先に」

 犬は面食らったような顔をしている。友はシャシャを目配せをすると、さっさと行ってしまった。その背を追う。横目で最後に見た犬は、途方に暮れたように耳を垂らしていた。

 シャシャは、赤く燃え上がる毛並みを眺めながらあの犬の情けない様と自分の身体を成り立たせる形質とについて考える。

 今までなぜ自分が忌避されるものかよく理解できていなかった。社交性の欠如であるとか性質の内向的なせいであるとか、無意識に他を避けようとする自分の態度であるとか、そういったことが根底にあるの考えようとしていた。混ざりものというのはひとつの口実であって、そういう解りやすいものがなければ、奴らはきっと何か別の名分を即座に生み出すだろうとすら考えていた。

 混血であるということの本当の意味が今になってやっと解る。不自然が命を持って動き回り、やがて自分を侵食するであろう予型が混血なのだ。そして飼い慣らしとは、何世代もの間研磨を続けて自然が築き上げた存在を内側から破壊して、自然と己自身以外に従属するように強制する理不尽なのだ。命は自己の存続のためだけに費やされ燃え尽きていき、それは自然の範疇で行われる。それが本来のあり方であるのに、自分の命以外の何かのために費やすよう設計され直したものが薄気味悪いのは当然だった。最初から、間違って生まれてしまった。

 実のところ、シャシャには夢があった。目標や目的という明確なものではない。漠然と、もしそうであればと願いいつか実現するのではないだろうかとぼんやり感じる類いのものだ。

 場所は多少厳しい環境であっても構わない。名前を得た兎が再び明確な存在としてシャシャの隣にあって、静かに平穏に暮らしている。かつて兎が尊重してくれたようにシャシャも兎を尊重し、雪豹が教えてくれたように些細な出来事であっても共に経験していくのだ。時々は狐が訪ねてきたりもよい。ビーユーもきっと兎と仲良くできるだろう。理不尽に脅かすことも脅かされることもなく、ただ生きることを慈しむことのできる未来がを夢見ていた。何と愚かだったことだろう。

 あの犬も、シャシャも、同じものだ。見知らぬ、出会わないかも知れない何かのために費やすように設計された命そのものが、他から見たときの姿だ。命の振りをした紛いもの、清流の中に流し込まれた毒、命の歴史に微かに付けられた瑕疵、最初から間違って出来上がった過ちの記憶そのものだった。何もかも最初から間違っていた。

 それから二度月が昇った。二晩とも牧羊犬は臓腑のねじきられるような遠吠えを絶やさなかった。長く何処までも届くように張り上げたその叫びは何処へも届かなかった。彼だけが叫び、狐はその度に嘲笑うような顔をする。

「あいつが気に食わない」

 二晩めに、狐はやっと白状した。

「シャシャ、どうかぼくを軽蔑しないでほしいんだけど、これが同族嫌悪だっていうのはよくわかっているんだ。あいつのあの窶れて拠り所のない様を見ていると、彼女を喪ったばかりのぼくを見ているようで気持ちが悪い。ぼくが今窶れて草臥れていないことが敗北のようで情けない。だからどうしてもあいつを馬鹿にして、傷付けたくなるんだ」

 遠吠えが聞こえる。シャシャも狐ももうその声を気に掛けはしない。きっと彼の引き連れる羊たちも気に掛けてはいないだろう。

「ぼくは、自分がこんなに加虐的な奴だったなんて知らなかった」

 自分の悩みでいっぱいだったシャシャは意外な気持ちで友を見遣る。 確かに窶れてもいなければ草臥れてもいない。むしろ毛艶よく丸々としていて、見事な体躯をしている。あまり狐を見比べてみたことはないので確信はないが、彼は美しい獣だと思う。それはもしかしたらシャシャが自分の不気味さに絶望しているせいで感じる美しさかも知れない。

「おまえは美しいよ」

「何だい、急に」

 これ以上悲しいことはないというような顔で狐は笑った。それでもその四肢はしっかりと地面を捕えて、尾は長く自由に波打っている。緻密に磨き上げられた優秀な生物の姿だ。

「ぼくは、あいつとぼくを認めたくない。死んだか去ったか知らないがいなくなったものの言葉を律儀に守っていることも気に食わない。彼女に何も言い残されなかったぼくも許せない。死んだ彼女に忠誠を誓えないぼくには、もう彼女を悼むこともできないんじゃないかと恐ろしい」

「彼女は、違うだろう」

 狐に配慮してこれまでシャシャは雪豹の話に口をつぐんでいた。喪った大事なものを、知ったような顔で話されなくはないだろうと思っていたからだ。だシャシャは舌が痺れるような緊張を持って言葉を紡ぐ。

「彼女は過去に生きていた」

「きみと同じようにかい」

 犬はまだ叫びを上げている。シャシャは答えられない。狐の顔は歪んでいた。彼女によく似た黄金色の瞳をしている。だが彼女の純粋な黄金色と違って、狐の瞳には赤みがかった透明な輝きがある。

「悪かった。忘れてくれないかな」

「ああ」

「たぶん、そろそろあの牧羊犬もやってくるよ。ぼくはあいつを憎まないように最大限の努力をするつもりだけど、もしかしたらだめかも知れない」

「構わない。おれはおまえと旅をしているんだから」

 更に二晩が経ち、狐の予言は成就した。

 悠々と前を進むシャシャと狐はその接近に気が付かない振りをしながら進む。太陽はまだ昇りきらず月の亡霊が名残惜しげに空を揺蕩っている。その後を追うようにして二匹もまたゆったりと歩を進めていた。

「ほらほら、焦っているだろう?」

 にやついた顔をまっすぐ前に向けたまま狐が小声で言う。シャシャもまた少し可笑しくなって、やはり小声で黙るように促した。下手に出るまでは知らん顔を決め込むことにしたのは、狐の発案だった。

 牧羊犬はしばらくシャシャたちの後ろで逡巡していたが、やがて意を決したように大声を張り上げた。

「わたしはドニという!」

 まだ振り返るには早い。聞いていない素振りで歩き続ける。

「先だってはすまなかった!」

 シャシャは足を止め、狐はまだ数歩進む。

「気が立っていて、あなた方に不要な敵意を持ってしまった。悪いことをしたと反省している。それで、その、もし良ければあなた方の名前を教えてくれないだろうか」

 牧羊犬は尾を下げてじっと待っている。元から垂れた耳はやはり垂れており、行儀よく返答を待つ姿は、やはりシャシャをぞっとさせた。埃っぽい長毛は羊に似たとでも言うようにややうねりを持って風に吹かれている。

 シャシャは黙ったままの赤毛を見る。彼は善良さの権化のような慈悲深い顔をして爽やかに微笑んでいた。真っ直ぐに立ち上がった耳をしっかりと犬の方へ向けて、燃え上がる赤い尾をゆったりと一度振ると、穏やかな声を出す。

「残念ながら、あなたにお教えする名前はないのですよ。あなたと違って、わたしはそういった習慣を持っていなかったもので」

 勿体ぶった歩調で狐は犬に歩み寄る。犬は狼狽えるような様子でそれを待っている。彼は一度シャシャにも助けを求めるように顔を向けたが、シャシャは無視した。関心がなかったせいでもあるが、犬の扱いに関しては友に一任しようと決めていたからでもある。この取り決めをした時に狐にはいつもそうだとからかわれた。

「ですが、あなたの真摯な謝罪は受け入れてもいいでしょう」

 この言葉に牧羊犬の体躯は少し大きくなったように見えた。同時に尾が命を吹き返す。

「とはいえ友の意見を聞かなければねえ」

 犬は再び萎んで、シャシャに目を向ける。憐れっぽさを感じる目線だった。これが狐であれば信用できなかったが、この実直そうな生き物にそれほど細やかな真似ができるとも思えない。狐の底意地の悪さに半ば呆れながらもシャシャは返答した。

「シャシャという」

「よろしく、シャシャ」

 ドニは羊たちを家族と呼び、しばらく共に進むことを改めて提案した。狐はやはり勿体ぶってそれを了承して、それからはぽつぽつとドニからここへ至る経緯について話を聞いた。

 何とも要領を得ないというのがシャシャの感想だった。ドニはもともと小さな集落で暮らしていたらしい。そこへ災厄が来た、と言うのが彼の主張だった。この話の時にすでにドニは混乱していて、なかなか先へ進めない。ただ尾を丸めて首を振ることが幾度か続いた。

「わからない、わからないんだ」

 ともかく、ドニが家長と呼ぶ羊飼いはその災厄を生き延びて、残った僅かな羊たちとドニを連れて荒廃した集落を後にしたという。

「それで、もともとは何処を目指していたんだい?」

「何処だろう、西へと向かっていたのは確かだけれど」

 狐はシャシャに視線を向けた。シャシャもまた少し頷く。

「ドニ、生き物たちの王の話をその羊飼いから聞いたことはなかったか」

 牧羊犬はただきょとんとした顔でシャシャを見ている。山猫を知らないドニ曰く、シャシャは恐ろしく大きい猫らしい。腹立たしい感想だったが二度と言わないことを条件に水に流した。

「王だって?なんだい、それは」

 ドニは、裏も表もなさそうな薄っぺらい表情で首を傾げて言い放つ。狐は焦った様子で続けざまに訊ねた。

「ではなぜその人は西を目指していたんだい?どこか目的があったんだろう?誰かに会いに行くとか、誰かがやってくるとか、そんなことは言っていなかったかい?」

 それからもシャシャと狐はこれまで聞いた話をかいつまんで伝え、知っていることはないかと頻りに確認をしたが、結局ドニからは何も聞けなかった。期待に添えず申し訳ないと、困惑した顔の犬は呟く。失望を抱えながらもシャシャは、この犬が知らないだけできっと羊飼いは王を探していたに違いないと考えていた。

 いつの間にか陽光は彼らの目線の位置まで傾いていて、風はいっそう強く吹いている。羊たちはただ黙々と歩んでいる。それまでずっと先頭近くでシャシャたちと共にいたドニは、 家族たちの様子を見てくると言い残して後方へ消えていった。おそらくこの辺りで夜を明かすつもりなのだろう。シャシャたちもまた、各々の感情を整理して身体を休める時間を必要としていた。

 やがて巨大な群は完全に停止し、頃合いを見計らったようにして月が顔を出した。漠とした草原と遥かでそれを区切る山脈に、のし掛かるようにして月は現れた。眼球のような真円の月が冷気を運ぶようにして冴えざえと冷たい風が流れている。シャシャはその姿に視線を注ぎ、狐もまた何か考え込むようにぼんやりとしていた。

 間近で接した犬は、シャシャにはやはり気色の悪いものだった、意外であったのは狐がこの問題には無頓着であることで、てっきり友もまたこの異常な命に不安感を抱くものであると思っていた。羊もまた自然の産んだものではない。不自然に選別されて連綿とそれを繰り返した果ての不毛な存在たちの群を、同じように想像もできない過去からゆっくりと生み出された人工の犬が家族と呼んでいる。奇妙と言う他ない。同じように意図的に歪められた水溜まりのような命の流れから追い出された自分の存在は、本当はどこに位置するものなのだろうか。

 月面に無数に蔓延る微かな影たちが、ゆらゆらと踊るような気がした。それは真っ白な蝙蝠の落とす影であり、群なして復讐を叫ぶ鼠たちの足跡でもある。輝かしい生命の正道から溢れ落ちた不完全なものたちの呼吸が、シャシャの感覚器を麻痺させていくようだった。疎外される側のおまえたちというのは、シャシャに限っては適切な表現だったと思う。だがそれは何からの疎外だったのだろう。繰り返し起きた疎外の経験の、いったいどれを指し示していたのだろう。

 狐は妄言であると考えたようだが、シャシャはあの蝙蝠の言わんとすることをよく知っていた。あの亡霊は、呪われろと言いたかったのだ。自分の生命と尊厳を損なう全てのものに対して、自分が受けた傷と同じ傷をひとつひとつ刻んでやりたかったのだ。今横で自分を軽んじる同胞、脅かす他の生き物たちだけが対象ではなく、すでに滅んでしまった祖先すべてがこの間違った存在の元凶でもある。それらすべてが、呪われろ。全くもって馬鹿馬鹿しい限りだが、それはシャシャと蝙蝠が共有した願望でもあった。

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