第4話
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朝は騒々しさとともにやってきた。
冴え渡る空気を真っ直ぐに切り裂く冬の太陽ではなく、無数の粒子で研磨された柔らかな陽光が降り注いでいる。そのことが故郷ではなく見知らぬ森にいることをシャシャに実感させ、強い違和感をもたらした。違和感は土地の問題だけではなく、耳慣れぬ喧騒のせいでもある。種々の鳥類が思い思いの音色で歌い上げるように鳴いている。それ自体は取り立てて不思議ではないが、どうにもその数が多すぎる。それも単一の鳥ではなく、聞き分けられないほど多くの種類がいるようだ。
また騒がしい土地なのだろうかとうんざりしたシャシャは身体を伸ばしつつ狐を見た。彼はシャシャのすぐそばで尾を身体に巻き付けるようにして眠りこけている。真っ先に水場へ行っただけあり、赤毛は汚れひとつなく照り輝いている。暢気な寝姿には少しだけ腹立たしさも感じるが、突っかかるより先にシャシャも泥を落とすことにした。
程近い水場へ行って戻るとさすがに狐もこの騒々しさに起こされたらしく、にやにやとしながら友人の帰りを待っている。まだ暢気に眠っている方がましだった。狐は口許をむずむずとさせながらも何も言わずにシャシャを見つめる。癪に障る。ほんの少しの間シャシャは狐が何か言うのを待ってみようとしたが、このにやけ面とのにらめっこにばかばかしさを感じて観念した。
「奥へ行く」
「一緒にね」
輝かしい赤毛は尾を軽快に振りながら楽しげに進む。シャシャとしては先行きに思案するとそこまで楽しくはない。腹ごしらえもしたいが話も聞きたいし、鳥が結束して暮らしているようなら面倒だ。せめて猛禽などがいれば小鳥は狩ってもよい。そんなことよりも心残りなのは兎の姿を見ることができなかったことだ。先へ進むためにも手がかりを得たいところだが鳥はいつも姦しいばかりで内容のあることは言ってくれないことが多い。
散漫な思考に溜め息を吐くと狐は耳敏く聞き咎め、ここぞとばかりに話しかける。
「シャシャは楽しくないのかい?こんなに不可思議な場所にいるのに?ぼくはこの先の鳥どもが何を教えてくれるのか楽しみで仕方がないよ。きっとばかなことばかり言うだろうが、ここまで来て何も知らないということもあるまい。何かひとつでも新しい話が出てくれば嬉しいね」
話ながら狐は顔をしかめた。同時にシャシャも顔を歪める。喧騒のせいではない。においだった。馴染みある草木のにおいの中に、ひとつふたつと独特の香りが流れている。歩むにつれてその種類は増していき、気に留めるようになる頃には雑多な薫香が周囲に満ちて空気の流れに応じて揺れ動いていた。嗅ぎ慣れないにおいは混じり合うことで甘いような苦いような得体の知れない何かになって、シャシャたちを捕らえていた。
「ぼく、もう嫌になったかも」
「早く通り過ぎよう」
「そう仰らずにゆっくりなさればいいのに」
「でもなあ、頭がもげそうだからなあ」
「だれだ」
何気ない調子で狐は返事をしたが、すぐそばに何かがいるのに気が付かなかったことにシャシャは戦慄した。視界の中には異物はおらず、誰何したものの見知らぬ土地で誰何する滑稽さがなおシャシャの背中を冷たくする。少なくとも体重のある、大きな獣ではない。においでわからずともそれなら音や影で気が付くはずだ。
狐はというとこの段になってやっと驚きがついてきたようで、尾を丸めて耳を小刻みに動かしはじめた。こいつはよくこれまで死ななかったものだと呆れる。雪豹はこいつを甘やかし過ぎていたようだ。
白黒の小さな影が樹上から狐の背に落ちる。狐は宙返りのように飛び上がり、シャシャは反射で距離を取った。狐の背から舞い上がったそれはまた落下すると、今度は礼儀正しくシャシャと狐のちょうど中間へ着地した。
案の定それは鳥で、それほど大きくもなく危険はなさそうなことに安堵する。肩と腹は白く、他は七色に光る黒をしている。羽の端の辺りは木漏れ日を受けて青緑に輝き、この鳥自体が金属でできた精巧な作り物のように感じられる。
「鵲か」
「はい、鵲です。お客様がたは不思議な取り合わせですね。お食事ですか?」
「いや、聞きたいことがあってきた。長生きのものや見聞のひろいものなどはいるか」
狐はまだ驚きを落ち着かせることで忙しい。シャシャは先ほどの自分の間抜けさを恥ずかしく思いながら、それを示さないよう努めて冷静に訊ねた。鼠の里の例もある。鳥の集団とは極力かかわり合いにはなりたくない。
「どうでしょう、知りたいことにもよりますね」
「生きるものすべての王についてだ」
歌うように豊富な抑揚をつけて話す鵲の返事がやや遅れた。何事かは知っているのだろうが、また王をよく思っていないのかもしれない。シャシャはやや警戒しつつ鵲の返事を待った。
「知っていると、皆は思っていると思います」
「なんだ。曖昧だな」
「それがですね、話は少し複雑なのですよ。まずこの先に暮らす鳥たちは蝙蝠と長年戦争をしているのですが、いや、しているつもりなのですが、それは王のためです」
鵲の話はこうだ。この森で暮らしている種々様々な鳥たちは、かつて王から世界中の香木を与えられた。そしてその香木を守りそれらで巣を作っては来るべき王の帰還に備えている。帰還の暁にはこの地が楽園となるのである。しかし川を挟んだ森の東側に住んでいる蝙蝠たちは鳥の財宝である香木を狙っているため、しばしば争いが生じる。王に恥じない華やかで芳しい楽園を守るために、鳥たちは種の垣根を越えて団結して理不尽な強盗どもと戦っているのである。
「こんなようなことを、ここの鳥たちは信奉しています。誠に珍妙な思想ではありますが百年以上もこんなことを信じているので、もうことの真偽など関係がないのです」
「まるできみには関係がないような口振りだね」
「わたしは出戻りですので。雛鳥だった時分にはまだそんなものかと思ってもいましたが、今となってはなぜ仲間たちがあれほど熱心にこの営みを続けているのか理解できません」
「出戻り、なるほどね。それでその王っていうのは、どこからいつ帰還する予定なんだい?」
「さあ、そこまでは存じません。わたしが知らないだけかもしれませんが、伝わっていない可能性の方が高いでしょう」
「なぜ?」
「だって、春が来るのは夜と昼を数えて心待に待ちますでしょう。待ち遠しいものを数えず待つのは、それがいつだかわからないからなのではないですか?」
鵲はその小さな頭をひょこりと傾げつつ答えた。だとするとここで待つという手は消える。とはいえどこから来るかがわからなければ入れ違いも案じられる。どうしたものかと考えていると、鵲は再び口を開いた。
「大きな鳥なら長寿ですし、何か知っているかもしれませんね。鷲木菟とか、鸚鵡とか」
「どこにいる」
「奥で他の仲間と一緒に仮想敵を扱き下ろすのに必死ですよ。ご案内しましょうか」
「ちょっと待って。ぼくたちちょっと前にすごく面倒な鼠の相手をして疲れてるんだけど、彼らもそういう感じかな?」
「まあ、わたしは面倒なやつだと思ってます。あなた方にはどうでしょうね」
仮に鼠どもと同等の面倒さを有していたとしても、ここで避けて通るという訳にもいかない。シャシャが腹を決めるよう狐を尾で軽くつつくと、狐は軽い溜め息を吐いただけでそれ以上の文句は言わなかった。
鵲はぺらぺらと集落について話すついでに、まずは鸚鵡の元へと案内してくれた。日差しは徐々に強まり、その溢れ落ちた光を受ける度に鵲の背は青や緑に輝いた。
この案内役に言わせると、これから向かう鸚鵡は驚くべきことに八十年以上も生きていると噂されているらしい。鸚鵡と鸚哥を束ねる顔役で、色鮮やかな大きな身体は今も眷属たちを圧倒している。だがこの頃食が細くなったと案じている子孫もおり、そういう意味では今やってきたシャシャたちは幸運であると讃えた。
「まあ周りがそう言っているだけですので、本当のところは知りませんが」
辿り着いたのは筋張って捻れたような不可思議な格好の巨木の元である。
道中徐々に増えていく鳥たちは、種の多さと比例して色合いも雑多であるが一様に明るい色をしている。木々に紛れていなければ目が痛くなりそうだと、シャシャはぼんやりと考えた。それらは遠巻きに一行を見守りながらも、警戒した様子もなく暢気に朗らかな曲を口ずさむ。彼らの姿を見ている限り、確かにここは彼らにとって楽園なのだろう。
巨木は近づくと仄かな甘い香気を放っており、聞くとどうやら白檀らしい。この巨大な寄生樹はその昔王から授けられたという鸚鵡の長老自慢の邸宅であり、生木でも香りを放つことがその証であるという。とはいえ同じように芳しい巨木はこの森に何本か存在している。それぞれの木に住まう鳥たちが同じような主張をしていることから、彼らの性質を推して知る以上の価値はこの木にはないということが、鵲の意見であった。
「とにかく話が長く冗長です。お気をつけて、旅のお方たち」
最後にそう言い残すと、鵲は一際高い羽音を立てて姿を眩ませた。
鳥たちは飛べることを矜持にしていると、地を這う獣はどうにも思いがちである。だがどちらかといえば飛べることは彼らの命綱であって、彼らに安定をもたらす殆ど唯一の武器でもあった。つまり距離を取ることに徹底しているからこそ、彼らは暢気に高らかに歌い上げて、シャシャたちを拒む素振りを見せないのである。
鸚鵡の長老もそれは同じことだった。彼は白檀の手頃な枝にしがみついたまま、朗々と歌い上げるようにシャシャたちを出迎えた。
「やあやあやあ、ずいぶん悪どい案内役に捕まってしまったようで、我々のお客様がご不快だったのではと心配しておりました。わたくしこそがこの森で最も権威ある美しい鳥です、どうぞご安心ください」
赤い嘴をかちかちと鳴らしながら、思ったよりも低い声を張り上げている。まじまじ見ると、確かに美しい。夕焼けのように輝く体躯は壮健そのものといった風情で、尾の辺りはなだらかに赤みが濃くなっている。広げた翼は黄金で染めたように鮮やかな輝きで目が眩む。だが見かけの美々しさなどどうでもよい。正直シャシャにとっては小骨と肉の外側に、喰うのに邪魔な毛が密生しているだけである。
見上げるのは疲れるが、彼にとって安全だと思える距離を取ってやらねばこの老いた鳥は一言も話さないだろう。早々に割りきったシャシャは、その後も続く無意味な口上を遮って質問を投げかけた。
「すべての生き物の王と関わりがあると聞いた。王は今どこにいる」
「ずいぶんと急かし屋さんなお客様ですね。せっかちだとお友達に言われたことはありませんか?大事な宝物はごく親しい友にだけ見せるもの。秘密にしたい大事な話も、親しくなければお話できません。ですがどうしてもと仰るのなら、少しばかり話し相手になってくだされば考えないこともないと申しましょうか。何しろ久々のお客様ですから、わたくしたちも他所の話を聞いてみたいのです。ここは交換ということでいかがですか?」
鸚鵡の話の半ばですでにシャシャは無駄に長い台詞に当惑を隠せず、眉間に皺を寄せて長く息を吐き出した。狐はにやにやとシャシャを見ている。むっとしたが鳥と同等のお喋りをすることができるのはシャシャではなく狐だ。仕方がなしに視線を向けると、赤い毛玉は満面の笑みで助けてあげようと呟いた。
「全く仰る通りです。だがあいにくぼくの友達は口下手でして、ここはぼくが見聞したことについてお話ししましょう。皆様が見たこともない黒い巨獣の哀れな生涯や、何もない断崖で孤独に暮らす大鼠の物語はいかがですか。それとも純白の鹿が群れを従えるようになるまでのお話がよろしいでしょうか」
赤毛は生き生きと語りはじめた。火が取り巻く鉱山で暮らす熊の悲恋や海を臨む断崖で延々と独り言を続ける鼠など、嘘か真か判別の付かない話がその殆どだが、足踏みし跳び跳ねて躍動感たっぷりに語る狐の様子からはとても嘘とは思えない。鸚鵡も鸚哥も皆狐とともに泣き、笑い、うっとりとその物語に聞き入っている。
雪原の物語は栗鼠の姉妹が子熊を捕らえる冒険譚で、岩山の物語は九匹の蛇が愚かにも絡まってしまい鷲から必死で逃れるというものであった。どうも狐は環境と生物だけ本物で、あとは作り物の話で乗り切ろうとしているらしい。本当にあった喜びも悲しみも、狐はおくびにも出さなかった。
日暮れまで狐は活劇を続けた。聞き手も語り手も同様に疲れ果てそろそろお開きにしようとなった時に、鸚鵡が感極まったという様子で黄金の翼をはためかせて叫ぶ。
「全くもって素晴らしい物語の数々!わたくしたちは十分に楽しませていただきました。なんと世界の広いことか、なんと不思議で趣深いことか!今度はわたくしの番です、明日はぜひこの森の神秘と誉れに満ちた歴史をお話しましょう」
待ち望んだ申し出に狐はやはり満面の笑みで応える。
「この狐の生涯の名誉となるでしょう」
やや離れた水辺近くにその日の寝床を見繕うと、狐はじっと水面を見つめた。梟の鳴き声がそこかしこでこだましている。木々が遮るせいで星も月も殆ど見えず、シャシャはどうにも落ち着かない気になる。この世のありとあらゆるものから見放されたような、そんな気持ちだった。
「鸚鵡は本当のことを言うだろうか」
「どうかな。本当だと思い込んでいる物語かもしれない」
「おまえの物語のようにか」
「ぼくはちゃんとわかってるよ」
薄く笑った狐は、もしかしたらシャシャに責められているように感じているのかもしれない。
「彼女の話はしたくない。きみの兎の話も。それは大事なことだから。でも彼らにとって王の話も同じかもしれない。だから口実をあげるんだ」
狐は、昼間よく見せるいかにも軽薄そうな薄ら笑いとは違う顔をしている。彼の目は周囲の暗さを引き込んでいつもよりも黒々としており、何も存在しないかのような真っ黒な水面をぼんやりと眺めている。
沈黙が耐え難く話しかけただけだった。騒々しい場所に長くいすぎたせいかもしれない。何となく気を許しはじめた狐が、饒舌に嘘を吐く姿を見たからかもしれない。ちらりと頭を掠めたこの考えは、シャシャを非常に不愉快にした。気を許したつもりはなかった。それに嘘くらい必要であれば誰だって吐く。隣にいるのはたまたま王に用があるだけの狐で、たまたまどちらも大切なものを失っただけだ。少しの共感と同情心は連帯感を生んだ。その連帯感というものが、これほど己を蝕むものであることをシャシャは知らなかった。
なにしろこれまで友と呼べるようなものはいなかった。側近くに置いたのは兎が初めてで、兎はやっぱり何を考えているのかわからなかったが、それでもよいと思っていた。兎が本当はどう考えていようと、シャシャは兎が捧げると言ったものと同等以上のものを兎に捧げてもよいと思っている。狐は違う。別にこれに何かを捧げるつもりはないし、ただの道連れでしかない。ただ雪豹を失った狐の居所のなさや、共有する目的への熱意を信頼している。
「なんだい、恐い顔をして」
「いや、別に。ただ考えていた」
「何を?」
「おまえはおれにとって何だろうかと」
狐はじっとシャシャを見つめると、無表情で尾をぱたぱたと振る。その部位だけ別の生き物のようだった。
「何って、そりゃ友達だろう。でなければ仲間だ。ぼくはきみが好きだし、ぼくたちは同じことのために苦労している。それで十分じゃないのか?」
その夜もやっぱりシャシャは兎のことを考えて眠りについた。友達とは何だろうかとも考え、狐に何の返答もできなかったことを兎に聞きたかったが、兎の姿は見えなかった。声が聞きたい。あの高くも低くもなく、静かに話す声が聞きたい。足元に何もなく今にも深い谷底へ落ちるような、そんなどうしようもない不安を抱えて眠った。
翌朝も鳥たちの調和がとれているようなそうでないような重奏で目が覚めた。狐はさして気にならないようでまだ眠りこけているが、それを叩き起こして鸚鵡の元へ向かう。陽光を受けたきらびやかな鳥たちが赤や青の翼をうちならして平和な朝を讃えている。掻い潜るようにして再び辿り着いた時には長老もシャシャらの訪れを待ちわびていた。
「やっと来られましたな、異邦の方々。それでは今日は我々の歴史をお話ししましょう。わたくしがこの地で暮らした年月は九十に届くほどですが、王がいらしたのはそれよりも遥か昔々のことでございました」
黄金の風切り羽が一枚ひらりと抜け落ちた。
大昔ここはありふれたただの森であった。緑鮮やかな住みよい土地ではあったがそれだけのことで、香木の群生する鳥の楽園ではなく、鼠や鼬や蝙蝠や蛇がいた。幾種かの鳥たちもまたこれらと共に生きていたが、卵を食われ雛鳥を食われ、油断のならない日々を強いられていた。
そこへある時、人の姿をした王がやって来る。王は森から彼らを虐げる四つ足を駆逐し、鳥たちと約束をした。いずれ、遠い先のある日に王は再びやって来る。その日までこの地を守り、王のための都を飾り立てておくように、そうすれば永遠にここを鳥たちの楽園とし何にも侵されることはない。そう言って王は種々の香木をもたらし、これで都を築くようにと言い付けたのである。白檀は鸚鵡に、沈丁花は木菟に、伽羅は冠鶴に与えた。以来それぞれの種が代々この香木を守り、集まってきた他の鳥たちも雑多な香木の欠片や香り高いものを集めている。
しかし王が去ってしばらくすると、川を越えて息を潜めていた蛇が、今度は蝙蝠たちを連れてきた。蝙蝠はこの森を乗っ取れば王から永遠の栄誉を与えられるだろうと唆す蛇の言葉に騙されて、ずっと鳥たちの楽園を付け狙っている。そのため長い間鳥たちと蝙蝠の間で戦いが続いているのである。
「今蝙蝠たちは力弱く頻繁には攻めてこれません。それは一重にわれわれの結束と王への敬愛のお陰であって、ひとたびそれが緩まれば一挙に攻勢をかけることでしょう。我々はこの幸福と未来の名誉をかけてこの地を守り抜かなければならないのです」
シャシャは狐と顔を見合わせた。正直大した話は聞けていない。鳥どもの自己認識はともかくとして知りたかったのは王の来し方である。鼠の言った王の姿が人である点はどうやら裏付けられたが、肝心などこから来て今どこにいるのかがわからない。
「王はどこへ去ったかは伝わっていないのか」
「これ以上のことは何も伝わっておりません。この森のどの鳥に聞いたところでこれ以上の答えは返ってきませんでしょう」
鸚鵡は腹立たしさを隠そうともせず、ぶっきらぼうに言い放つ。どうもシャシャはこのお喋りな鳥とは反りが合わないようだった。代わって狐が世辞と愛想を織り混ぜて他の質問を投げ掛けると、鸚鵡はそちらには何ともにこやかに応じる。少しばかり気にくわない。
それでも言葉選びが好意的であるという以外は特段目新しい話は引き出せなかった。致し方がなしにすごすごと水辺へと戻ると狐は疲れた様子でシャシャに次はどうするのかと訊ねる。このまま西へ進んでいくか、それとも待つか。西というだけでどこまで西なのかも不明瞭である。王の話が点在するこの辺りが正解に近いようにも感じる。
「それなら蝙蝠に話を聞いてみるというのはいかがでしょう?」
「鵲か」
「はい、鵲です。ご無沙汰しておりました」
彼はまたもや狐の背に着地し、狐はまたもや踊るように跳ね上がった。みごとな垂直の跳躍に合わせて鵲もまた舞い上がり、狐の着地にやや遅れて青黒い光沢のある尾を地につける。今度もまた、ちょうどシャシャと狐の中間に陣取った。
「鸚鵡の長は嘘は吐かなかったようですが、あまりにも一面的過ぎます。あれは彼らの間だけの伝説ですからね」
鵲の黒々とした瞳には、侮蔑のような表情が滲んでいる。その真っ黒な眼に、唐突に兎のにおいが鼻を掠めたような気がした。微かな心音と、ほんのりとだが確かに温かい毛皮の感触がどうしても懐かしくなり、シャシャはそれらを欠いた現実がどうでもよいもののように感じる。鼠たちはわめきたてるだけで有益なことは言わなかったし、鳥もまた真偽のわからない主観をがなりたてている。今度はまた蝙蝠だ。
兎と同じように光を吸い込み外へ漏らさない鵲の瞳を覗き込んで、シャシャは意を決した。どれほど下らないものとの付き合いであろうと、兎との約束を守るためであれば否やはない。
「それで、なんで鵲くんはぼろぼろなんだい?」
やっと落ち着きを取り戻した狐の言に、シャシャもまたじっくり鵲に眼を向けた。瞳にばかり気を取られて気が付かなかったが、なるほど羽や尾にはむしられたような瑕疵が点在している。鵲は気まずそうに身を縮めると、生きていればそういう時もあるとだけ答えた。それからあからさまでない程度に明るい声で、蝙蝠の元に案内すると告げる。陽気そうに飛び上がるとシャシャと狐を先導して森の東へと進んだ。
その背をまじまじ見てみると、冷たい光沢で見事に磨き上げられた金物のようだった体躯が、瑕疵のせいで生き物のそれに堕ちている。痛ましいというよりも残念だ。よくできたものを壊された憤りがシャシャの眉を潜めさせる。
浅瀬になっている辺りを選んで渡り森の東側へと着くと、鳥の森とは異なり何もかもが息を潜めている。沈黙の制する森は植生が全く同じであってもこれほど別物のように感じられるものなのかと、シャシャは感心した。その静まり返った森を進む。木漏れ日と湿度と流れる空気が、ひっそりと身を潜める生き物たちがあることを伝えている。だが互いにそれほど興味があるわけではないようで、鳥や鼠の時のように視線を感じることはない。彼らはただ己の命だけを見つめている。そしてまだその埒外にあるシャシャや狐に対しては、無関心を決め込むことにしているらしい。
シャシャにとってはその無関心は心地好い。ここでは自分だけが爪弾きなのではない。皆が皆、互いを爪弾きにしている。誰も無用な手出しをせず自分の命の面倒を見るのでそれこそ懸命になっている。そうだった、生きているとは本来こういうものだったはずだ。用のないものに進んで関わりあって、その方向性や濃淡で何かが変わるほどひとつひとつの命は確かでない。古巣の森は豊かだった。そのせいで余計なことばかり考えていた。全うに生きるだけであれば、これでよかったのかもしれない。
鵲はひときわ木陰の濃い辺りに来ると、唐突に止まった。
「この先をしばらく進むと蝙蝠たちの塒があります」
「きみはまた雲隠れかい?」
鋭く緑に照り返す翼を畳んだ鵲は、気まずそうに首を傾げる。狐は彼をじっと見つめ、尾を地面に跳ねさせている。シャシャは最近気が付いたが、言いたいことを我慢しようか悩んでいる時に狐はよくこうする。かちかちと嘴を鳴らす鵲もまた、言いたいことを我慢しているように見えた。
「一応わたしも鳥ですので、好かれてはいないのですよ」
結局それだけを呟いて鵲は飛び立った。三枚の風切り羽が置き去りにされて、しばらく空気と共に揺蕩ったがそれもまたどこかへ流されて行く。羽が抜け落ちたのは、鵲が傷を負っていたせいだろう。
シャシャと狐は夕刻まで蝙蝠を探したが、その日は彼らに出会うことはなかった。蝙蝠たちが塒に使っていそうな洞穴も大木ももぬけの殻で、どの生き物も姿を見せない。とうとう太陽までも過ぎ去ってしまった。
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