第33話 僕は…いや、俺はもう決めたんだ…だから言うから

「今日はありがとね」


 電灯が、夜の道を照らし始める頃。

 街の外れのところで、諸星穂乃果が言った。

 彼女はちょっとばかし、瞼に涙を滲ませている。


 穂乃果と向き合うように見ている倉持晴希は、そのことに気づいていた。が、余計なことは口にしなかったのだ。

 彼女は苦しかったのだろう。

 心で抱えていることが解消されたのだ。

 それに、高屋敷漣との決別があった。


 穂乃果は、心のどこかでは別れたくなかったのかもしれない。

 だから、泣かないように堪えているのだ。

 本当は、もっと感情を吐き出したいと思っているに違いない。


 けど、そんなことをしてしまったら、漣との良い思い出に押し潰されそうになるからできないのだろう。

 晴希はただ、軽く手を握ってあげることしかできなかった。


 一応、童貞を卒業したはずなのに、まだ、どういう風に対応をすればいいのかわからない。

 たった一人の女の子すらまともに慰めてあげられない時点で、やはり、まだまだなのだろう。


 そんな自分に、惨めさを感じつつ――


「穂乃果? そろそろ、帰ろ。僕が途中まで送って行ってあげるからさ」


 一言だけ伝えた。


「……うん」


 穂乃果は、簡単に目の雫を右手で拭うと、晴希の方をハッキリと見た。


 二人は横に並び、手を繋ぎながら夜の道を歩き始める。

 ただ、それだけだった。

 穂乃果の家へと繋がっている道をなぞるように歩き続けるのだ。


「ねえ、晴希……晴希も、フラれた経験あるでしょ?」

「う、うん……なんで、そんなことを聞いてくるの」

「何となく……」


 穂乃果の声のトーンが下がり、俯きがちになる。

 もしかしたら、彼女はフラれた思いを共有したかったのかもしれない。


 けど、晴希は肯定的には受け入れられなかった。

 だから、それ以上、話を広げることはしなかったのだ。






 日葵からフラれた。

 馬鹿にされ、見下され、キモい陰キャだと、心に傷が残るほどだ。


 そんな時、穂乃果と出会った。

 本当は誰にも、フラれた現場なんて見られたくないものである。

 けど、それがよかったのだろう。


 酷いフラれ方をしたあの日、穂乃果と出会ったからこそ、何とか心をつなぎ留められたのかもしれない。

 どんなに苦しかったとしても、穂乃果が助けてくれた。


 今は、立場が逆転しているのだ。

 穂乃果が、漣との恋人関係を断ち切り、悲しんでいる。


 最初の内は、漣のことなんか嫌いだとか、堂々と公言していたものの。いざ、その時になってみれば感情というのは変化するものだ。

 別れるということは、人生の大きな決断だと思う。


 悲しんでいるのなら助けてあげるのが恋人だ。

 晴希にはできるのだろうか?


 右を見る。

 手を繋いでいる穂乃果が歩いているのだ。

 晴希は彼女を見、決心を固めた。


「僕は……いや、俺は、穂乃果の正式な彼氏になるから……だから、泣くなって」


 晴希は堂々と言った。

 少し、心には迷いがあったものの、言い切ったのだ。


「別に、泣いてなんか……」


 穂乃果は一旦立ち止まり、手を握っていない方の手で目を拭う。

 強がってみせてはいるものの、心内はボロボロになっている。


 晴希は彼女の仕草を見て、そう思った。


「今日くらいは泣いてもいいよ」

「……」


 穂乃果は黙り込んでしまう。

 晴希は一旦、手を離し、彼女の頭を軽く撫でてあげたのだ。


 すると、穂乃果は表情を変え、頬を赤く染めたのち、また俯きがちになる。

 泣いているところを直接見られたくないのだろう。


 彼女は体を微妙に揺らしていた。

 声は出さずとも、体に表れている証拠だ。

 見せたくないのならいい。


 今は、過去のことを忘れるくらい泣いた方がいいに決まっている。

 晴希はただ、穂乃果の気分がよくなるまで、一緒にいてあげたのだ。


 二人は夜の電灯に照らされ、その時間を過ごす。

 状態がよくなっていき、涙目の穂乃果は顔を上げる。

 晴希を見、恥じらいを見せつつ、軽く笑みを見せてくれた。


 心の中にあったものを全部晒したことで、先ほどよりも気分がよくなったのだろう。


「穂乃果の家って、あっちの方でしょ」

「うん」


 この前、彼女から聞いたことがあった。


 晴希は穂乃果の左手を優しく握り、歩道側の方を歩かせるように、晴希は車道寄りの方を歩いて進む。

 夜なだけあり、車の移動が少しだけ激しい。


 晴希は穂乃果を守るように進み、彼女の家に届けてあげたのだ。

 家には親戚の人のような人がいて。晴希は、その人に穂乃果を任せ、軽く説明をして、そのまま自分の家に向かって夜道を歩くのだった。






「今日は色々なことがあったな……いや、この頃か」


 日葵からフラれてから大きく変わった。

 人生が少しずつ変化しているようだ。

 晴希は正直ワクワクしていた。


 今まで全くうまくいかなかった日々が、昔のように感じる。

 昔の自分ではない。

 晴希は勇気をもって、拳を強く握った。


 穂乃果と先ほど家に送り届け、夜道を歩いている。

 穂乃果には、ハッキリと付き合うと宣言したのだ。明日からが楽しみだったりする。


 勢い任せで言ってしまったものの後悔はなかった。

 自分で決めたことなのである。

 もう後戻りなんてしない。


 自信をもって生きようと思い、明日に希望を抱いていた。

 後は――


 あのことを、彼女に伝えるだけである。

 彼女とは、近所に住んでいる女子大生の天羽彩葉のことだ。


 いつ言おうか。

 メールとかでやり取りをして、早めに伝えた方がいいのだろうか?


 晴希は思う。

 やはり、早く伝えた方が、モヤモヤした感情を拭えると結論付けたのだ。

 そして、制服のポケットからスマホを取り出し、操作する。


 気づけば自宅前に到着し、玄関に入る前に、メールを打ち込んでいく。

 晴希は自分の思いを記したメール文を構成した。

 確認し、送信しようとする。

 が――


「晴希……」


 背後から明るく。そして、ちょっとばかし落ち着いた口調の声が背後から聞こえる。


 ふと、振り返ると、そこには彩葉の姿があった。

 今、メールを送ろうとしていた人物との遭遇。


 丁度いいといえば、丁度いい。

 都合がいいのかもしれなかった。

 晴希は彩葉と向き合い、瞳を見やる。


「俺さ……」


 晴希が言いだそうとした。

 けど、彩葉の表情が一瞬、変わったのだ。


「晴希って、いつから俺って言うようになったの?」

「……今日から」


 晴希は一瞬、ドキッとした。


 心が、胸の内が薄っすらと熱くなっていく。

 この気持ち。どうしたのだろうか?


 彩葉に、穂乃果と付き合おうと伝えようとしていた。

 けど、そう言おうとすればするほど、心が痛むのである。

 言わなければいけないのに口から声を出せない。


「晴希、何か言おうとしていなかった?」

「いや、なんでもない……よ」


 どうして、本当のことが言えないんだ……。


 一言伝えればいいだけ。

 たった、それだけなのだ。

 彩葉と対面すると、過去の思い出が脳裏をよぎり、心が締め付けられる。


 でも、言おう。

 たった一言を――

 そして、晴希は、それを口にしたのだ。


 今日から穂乃果と付き合うことになったと――






 ただ、その時見た彩葉の表情を、晴希は忘れられそうもなかった。

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