第29話 これが僕の人生にとっての大きな転換期になるかもしれないんだ

 レストランで食事を終わらせた倉持晴希は、天羽彩葉と一緒にエレベーターに乗っていた。

 先ほどのお会計は、すべて彼女の方が払ってくれたのである。

 彩葉は高校を卒業したら、奢ってくれればいいからと優しく言ってくれた。


 けど、何から何までも彼女に頼りっきりである。

 やはり、弟のようにしか思われていないのかもしれない。

 エレベーターに乗っている際、晴希はそればかり考えていた。


 右隣には、ドレス姿の彩葉がいる。

 彼女は綺麗だ。

 昔から一緒に遊び、今では家庭教師として遊びに家に来てくれるほどの仲。幼馴染と呼べる存在である。


 昔のことを振り返り考えれば、より一層に、美人になったと思う。

 でも、そんなこと、気恥ずかしくて自発的に言い出せなかった。

 晴希は無言のまま、彼女と一緒の空間にいる。

 そんな中――


「ねえ、は、晴希……」


 戸惑いがちな彩葉の声が聞こえる。

 エレベーターの右側の壁に軽く背を付けた彩葉は、晴希の方へ視線を向け、下の方の名前で呼びかけてきたのだ。

 晴希も彼女の方を見た。


 今まであだ名で呼び会う仲だったのに、急に下の名前で呼び合うとなると、少々抵抗がある。

 付き合いたての彼氏彼女のような関係みたいで、胸の内が擽られるようだった。


「今からちょっと時間ある?」

「……あるけど」


 もしかして、誘いなのかな?


「でも、晴希、明日も学校だよね?」

「うん」

「無理だったら、無理って言ってもいいからね」


 彩葉は申し訳ない態度を見せ、悲し気な表情で難しいため息を吐く。


 彼女は誘ってきているのだ。

 断る姿勢を見せてはいけないと思った。


「あ、彩葉は……明日大丈夫なの?」

「私、明日は午後からだから」

「そうなんだ……じゃあ、時間には余裕がある感じだよね?」

「でも、晴希が無理って言うなら強制はしないけど」

「僕は大丈夫だよ。時間はあるから」

「本当? 体大丈夫? 無理しなくてもいいからね」

「無理なんか、してないし。むしろ、彩葉と一緒に居たいから」

「一緒に?」

「う、うん」


 晴希は言った。

 ここぞとばかりに、ハッキリと発言したのである。


「わかったわ。じゃあ、ちょっとだけ、私に付き合って」


 彩葉の表情が一瞬、緩んだような気がした。

 晴希は迷うことなく、同意するように首を縦に動かしたのだ。


 その頃、目的地に到着したようで、エレベーターの扉が開いたのである。

 二人は衣服のレンタル店のあるフロアで降り、今着ている服と、元々着ていた服と交換するためにそこへ向かうのだった。






 二人は元の服装に着替え、ビルを後にする。

 外に出ると、辺りは暗い。

 会社帰りや、学校帰りの人らを見かけることが多かった。

 二人は人混みをかき分けるように進む。


「彩葉はどこに向かうの?」

「ちょっと、良いところ」

「良いところって?」

「それは行ってからのお楽しみ」


 晴希の右手を触り、導いてくれる彩葉。

 彼女は頬を紅葉させ、恥じらいを見せつつも、どこかへ連れていきたい場所があるようだ。


 どこだろうか?

 お姉さんに連れられ、向かう良いところと言ったら、エッチなお店しか思いつかなかった。

 心が汚れているのかもしれない。


 そんな如何わしいことばかり考えている晴希は、彩葉に向けられる顔がなくなりつつあった。

 晴希は俯きながら、導かれるように彼女の後ろを歩く。


 けど、彩葉とシてみたい。

 彼女と手を繋いでいると、そういった心境に陥ってくるのだ。


 穂乃果とセックスしてから、何かが変わったような気がする。

 晴希の心の持ちようというか、女の子に対する考え方に異変が生じたのかもしれない。


 そうこう考えていると少し歩いた先に、とあるビルの看板と明かりが見えてくる。


「ここよ」

「ここって……入ってもいいの?」


 彩葉が紹介してくれた場所は、居酒屋らしき看板のある七階建てくらいのビル。

 居酒屋と言っても外観だけを見れば、少し明るい雰囲気を放つ場所である。

 よくよく建物の看板を見れば、カラオケなども含まれていることが分かった。


「未成年でも入れる場所があるの。入ろ、晴希」

「いいのかな……」

「いいのよ。私、お酒は飲ませないようにするから。それとも……嫌だったら、カラオケにする?」

「……うん、学校関係者の人に見られたら面倒だし」

「だよね。ごめんね……嬉しいことがあって、私。ちょっと気分が高ぶっていたわ」

「嬉しいこと?」

「うん……」


 彩葉は明るい笑みを浮かべている。夜の光に照らされている彼女の姿は、普段以上に綺麗に見えた。


「どんなこと?」


 晴希はドキドキした心境のまま、彩葉に問う。どんな嬉しいことがあったのだろうか?

 聞いてみたい。でも、知るのも怖く、不安定で心が締め付けられるように苦しくなった。


「……わからない?」

「焦らすの?」

「焦らしているわけじゃないけど……晴希って、鈍いのね。まあ、いいわ。早く入ろ」


 彩葉は一瞬、寂しそうな横顔を見せ、そのまま晴希の右手を引く。

 ビルの中に入り、エレベーターのところまで向かう。


 彩葉とのやり取りは曖昧な形になった。けど、これでよかったのかもしれない。わからないからこそ、よく感じることだってある。

 晴希は左手を軽くに握って、右手に感じるお姉さんの肌触りにドキドキしていたのだ。


 気づけば、エレベーター前。

 彩葉が壁に設置されたボタンを押すと、上の方から下がってくる。

 数秒後、その扉が開いたのだ。


「ねえ、楽しかったね♡」

「ああ、じゃあ、次はどこに行こうか」

「でも、明日も学校でしょ?」

「別にいいだろ。あの場所に行こうぜ」


 扉が開くと同時に、聞き覚えのある声が響き、晴希はドキッとし、彩葉の陰に隠れる。


 その声の持ち主は高屋敷漣と黒木日葵のような気がした。

 二人の声が遠ざかっていくと、晴希は彩葉の陰からこっそりと顔を出す。ビルから出て行く人らの背を確認した。


「……」

「どうしたの? 知り合い?」

「……ま、まあ、そんな感じ」


 なんで、こんな時に?

 と思い、晴希は二人が今からどこに行くのかを知りたくなった。


「ごめん。彩葉。ちょっと予定を変更してもいい」

「変更? さっきからどうしたの?」

「今、ちょっと知りたいことがあるんだ」

「知りたいこと?」

「うん。今じゃないと難しいんだ」

「そんなに重要なこと?」

「そうなんだ」


 晴希はビルの外へと向かっていこうとする。

 彩葉は閉まるエレベーターの扉を見届けた後、晴希を追いかけた。






「ねえ、どこに行くの」

「しッ、静かにして」

「もう、何、真面目になって――⁉」


 晴希は、隣に駆け足でやってきた彩葉の口元を抑えた。


「ん――⁉」

「今、大事なところなんだ」


 とあるビルの間の通りに彩葉を連れて移動した晴希は、口元から手を離す。


「はあ……重要なこと……?」


 彩葉は呼吸をしながら聞いてくる。晴希は彼女からちょっとばかし睨まれていた。


「うん。だから、静かにしてて」

「……晴希って、そんな顔を見せるんだね。でも、急に口を塞ぐなんて」

「ごめん……でも、しょうがなかったんだ。それと僕だって、真剣な時だってあるよ」


 晴希は申し訳ない表情を見せながら言った。


「……あの二人の裏事情さえ掴めれば、穂乃果との関係性を一旦、区切りをつけられるかもしれないんだ」

「そうなの?」

「うん」

「わかったわ……晴希のためになるなら協力するわ。あの二人を尾行して、情報を集めるってことね」


 彩葉は協力してくれる意思を示してくれたのだ。

 家庭教師をしてくれているだけあって理解力が早い。


 晴希と彩葉はビルの間から出、再び二人の後をつけるのだった。

 浮気をしている決定的な証拠さえ掴めればいい。

 それを穂乃果に伝えること。

 あとは、穂乃果の判断に委ねることになるだろう。


 漣と日葵の件を解消したら――

 正式に彩葉と付き合う。


 晴希は、そう決心を固めるのだった。

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