第一話:死んでも仕事からは逃げられなかったみたいです②

 俺がそのとびらの先に入った途端とたん、今まで魂消たまげていたたましいがスッと身体からだに入り込んだような気がした。

 その扉の先に広がる空間くうかんはとてもおごそかで、それでいて堅苦かたくるしくなく、はじめて来るはずなのに長年ながねん住んでいた実家じっかのような安心感あんしんかんがある。

「ほら、シャキっとするっす」

「う、うん」

 背中をパンっと叩かれて背筋せすじを伸ばす。背筋の伸びた視線しせんの先には光りかがやく葉をしげらせる巨大な樹。

 なるほど。確かに生命せいめいと呼ぶのに相応ふさわしい。

昇華しょうか儀式ぎしきの手続きはこの先っす」

 とは言え、受付らしき場所と手に持った書類のせいで中途半端に現実感が抜けないが。

 強いて言えば生命の樹の周りを飛んでいる天使らしき羽の生えた人達が幾分か幻想的と言えなくもない。

 まあ、あの飛び交っている天使てんしたちは多分、仕事をしている人達だろう。つまりあの幻想的な光景こうけい社畜達しゃちくたちによって構成されていることになる。都内の夜景やけいと同じだ。

 受付に書類を提出ていしゅつした後に、また別の書類に署名しょめいをしていく、そんな事務的じむてき作業さぎょうを終えると、受付のその先、生命の樹の根本ねもとへと促される。

「この先は関係者しか入れないんで、俺は待ってるっすよ。サクッと行って来るっす」

「……わかった」

 なんとなく、そうじゃないかとは思っていた。生命の樹はこの天界をふくめたすべての世界せかい影響えいきょうおよぼす重要じゅうようなものだし、だれでも気軽きがるに近づいて良いものとは思えない。

 受付の人もついてきてくれるわけではないようで、一人で樹へと近づく。次第しだいに見えてきたのは重厚じゅうこう椅子いす数人すうにん人影ひとかげだった。その椅子に座っているのは後光ごこうまといし一人の男性。まだそれなりに距離きょりがあるというのにひとみはこちらへ向いており、すでに視線しせんは重なっていた。その周囲には純白の翼を生やした男とも女とも取れるような顔立ちの天使が静かに佇んでいる。

 およそ10メートルほどの距離で相対あいたいし、立ち止まると、

「そのまま、われもとまで来るが良い」

 と言われたので、気を引き締めながら眼の前まで移動し、かしずく。眼の前に居るのが天部のナンバー1であることは間違いないだろう。

 じっくりと見たわけではないが、それなりにひげもあり目つきも鋭い。格好もキトンを着ているためなんとも神様らしい姿に見える。

おもてをあげよ」

「はい」

「ふむ、其方そなた長瀬啓示ながせ けいしだな。良い目をしておる。良き仕事人の目だ」

「ありがとうございます」

 声は以外にも高めで、見た目に比べて若い印象を覚えた。

「早速だが、昇華しょうかを始めるとしよう。長瀬啓示、我の後ろにそびえる生命の樹セフィロートに触れよ」

「はい」

 特に話をするでもなく、彼に言われるがまま椅子の裏から続く祭壇さいだんへ登り、薄く輝く木の幹へ手を当てる。

「其方の新たな『せい』に祝福しゅくふくのあらんことを!」

「―っ!」

 髭の男性がそういった瞬間しゅんかんに俺の身体はまばゆい光に包まれた。

 反射的はんしゃてきに目をつむり光が収まるのを待つ。やがて光が収まり、俺は静かに目を開ける。すると―

「……これは?」

 特に、何か変わったような感じはなかった。姿形すがたかたちは何も変わってないように思える。少なくとも翼は生えてないし、天使の輪のようなものもない。

 凄い力を感じるとかそういったことも全くなかった。

 あれ?失敗した?

「えっと、これで終わりですか……?」

 不安になり目の前に居るに確認する。

「そうだ。儀式は成功した。君の魂は無事に天使へと昇華した。自覚しにくいだろうが肉体も得ている。それと幾許かの知識ちしきが宿っているはずだ。これは自覚できるんじゃないかな?」

 そう言われてみると、確かに先程さきほどまで知らなかった知識があった。まるで元から知っていたかのように馴染んでいる。

 例えば、この祭壇のある場所。ここはデミウルゴスのと呼ばれているようだ。生命の樹に直接ちょくせつ触れることのできる空間であり、重要な儀式などを行うためにある。また目の前に居るキトン姿の神様の名前も解った。彼の名はブラフ・アトゥム、この天部の最高責任者さいこうせきにんしゃであり、いわゆる最高神さいこうしんとして君臨しているようだ。

 経験の伴わない、いつ覚えたのかもわからない。知識だけが記憶にある感覚かんかくがなんとも気持ち悪さを与える。

時期じきに慣れるだろう。今は便くらいに思っておけば良い」

 と言われても、そもそも今までも肉体にくたいがないなんて感覚すらなかった。今だって天使になったって感じはしない。と言うかするわけがない。

 まるできつねにつままれたような気分だが、世話になったことに変わりはないので一応いちおう儀式に対する礼を告げて、デミウルゴスの間を後にした。

 戻りながら手を握ったり開いたり、身体の感覚を確かめるように動かしてみたが、やはり何が変わったのかがわからない。

 その後イスラと合流した俺は、再びイスラ付き添いの下、転生課てんせいか執務室しつむしつに戻った。

「おかえり」

 部屋に入ると、イナンナは視線だけで部屋に入った俺を確認すると再び手元に戻し、

「どうかしら?新しい身体は」

 そういった。仕事する手は止めずに。

「正直なところ、何が変わったのかがわかりません」

「ああ、それは当然のことよ。長瀬君は生まれながらの天使ってわけじゃないからね」

 イナンナは見ていた書類を脇にずらすと、一旦背伸びをして座り直してから、「長瀬君も天使に成れたみたいだし話そうか」そう前置きして天部の事や天部に住む者の事を話しだした。

 俺も立ちっぱなしではあれなので一言断ってから手近な椅子に腰掛ける。ちなみにイスラは俺を部屋の前まで案内したことで役目を終えたと言うことで元の仕事へ帰った。

「ある程度は知識として頭に入っていると思うけど、改めて説明せつめいするわね。であるこの天部の事を」

 長い、とても長い話が始まった。

「まず、この天部というものがどこにあるかというところから始まるのだけど、長瀬君は多元宇宙たげんうちゅうってわかるかしら?」

「なんとなく、ですが。平行世界へいこうせかいをもっと大きく、遠くから、文字通もじどお宇宙全域うちゅうぜんいきを指して複数ふくすうの似たような宇宙があるって論じられてるやつですよね」

「その通りよ。宇宙はいくつも存在そんざいする。長瀬君の住んでいた地球に似た世界もごまんとあるわ。そしてそれらの世界は全て宇宙ごとの法則ほうそくのっとって成り立っているの。…例えば、長瀬君の居た宇宙では例え別の銀河ぎんがだろうと、同一どういつ宇宙空間うちゅうくうかんの中にあるならば地球と同じ物理法則ぶつりほうそくが通用するのよ。でも平行宇宙へいこううちゅうでは違う。力の発生、音の伝わり方、何もかもが違うわ。そんな多元宇宙で世界は創られてるのよ」

 物理法則から違う世界と言われてもあまり想像がつかない。

「……理解力りかいりょくのなさを露見ろけんさせるようで申し訳ないのですが、それが天部のある場所ばしょとどうつながるのでしょうか?以前に天国と例えられていましたが、文字通り“天”にあるわけではないのですよね?」

「そうね。便宜上べんぎじょう天界と評しているだけ、文字通り天にあるわけでも無いし、なんなら全ての多元宇宙のにあるのよ。だからどの宇宙の法則とも違うし、どの世界にも干渉かんしょうすることができる」

「いまいち解らないのですが、この天部は全ての世界の指標しひょうというか、標準ひょうじゅんとなってるー……とかですかね?」

ちかいともとおいとも言えないわね。天界は全ての世界に適合てきごう出来るの、各世界が天界を基準にしてるのではなく、天界が各世界に合わせられる。まあ、全ての中道ちゅうどうにあるって意味では標準と呼べなくもないかもしれないわね」

 理解りかいをしようと努力どりょくしてみたが、ここまでの話で俺のあたまに思い浮かんだのは、国民的こくみんてきな小さな魔物まものつかまえるゲームに登場とうじょうする様々な魔物に姿を変えることの出来るスライムのような魔物の姿すがただけだった。

 そのものである本質ほんしつは変わらず、それでいて何にでも合わせられる。俺にはそれが存在の不確ふたしかなものに思えた。

「その点は大丈夫よ。天界は何物なにものにもまじわることがないし、おかされることもないから安心していいわ」

 この人、いや女神様はたまに人の心を読んでくる気がする。疑問に答えてくれるのは良いんだけども。

「―だからこそ天界に時間の流れと呼ぶべきものは無いし、各世界かくせかい影響えいきょうも受けないから、天界に住むものは身体からだちることもないのよ」

「朽ちることがないって不死身ふじみってことですか?」

「似たようなものね。私達、天界に住む者は天界に居るかぎ食事しょくじはいらないわ。水さえもね。睡眠すいみんだって必要ひつようがない。身体はつね正常せいじょう状態じょうたい維持いじされる。時間の流れが無いからとしを取ることもない。たしかに不死身みたいなものね。でも―」

 イナンナは相変あいかわらず俺の方を向いている。でも、このときの目は少なくとも俺をとらえていなかった。俺より後ろ、はるか遠くを見ている。そんな目をしていた。

「どんなに身体が正常でも、精神せいしんまで正常になるわけじゃない。きてる以上いじょうはストレスからのがれることはできないの。とくに私達はたりべたりする習慣しゅうかんがないから尚更なおさら。だから精神がおかしくなってしまう者が一定数は居るわ。かくいう私も何百年なんびゃくねんと寝てないけど」

 何百年っていうのは地球で計算した場合の時間ね。と付け加えられた。最後さいご一言ひとこと冗談じょうだんめかした口調くちょうだったが、とてもじゃないけど笑えなかった。

 何百年も寝てないとか、考えることをのう拒否きょひするレベルだ。

「とんでもない世界でしょ?」

「え、えぇ……。そうですね。とても……」

「そんなとんでもない世界なら、住んでる人だってとんでもないのよ。私やブラフは“ヒト”ので『神』として崇拝すうはいされているわ。ちなみに天使も一部の者はあがめられてるわよ。イスラとかもね。……はい、ここで問題もんだい。イスラの性別せいべつはなんだと思う?」

「え?」

 唐突とうとつに与えられた問題に少しあせりながら考える。イスラはどことなく童顔どうがん中性的ちゅうせいてきな顔つきだったが声質こえしつ体格たいかくは男としか思えなかった。身長しんちょうだって170cmある俺より高かったし。

「男ではないのですか?」

「はい、残念ざんねんでしたー。不正解ふせいかいでーす。答えは無性むせいでーす」

 真面目まじめな顔つきのまま、手でバッテンを作るイナンナに少しだけイラっとしたが、なんとか抑えて理由わけを促す。

信仰しんこうによって姿形すがたかたちがある程度決まっている私達ちがって、天使には決まった姿が無いの。だから自分じぶん意思いしで男にも女にもなれる。じゃあ天使がどうやって姿をたもっているかというと、これも意思なのよ。大抵たいてい場合ばあいは生まれた瞬間しゅんかんに目に写った姿が自分の姿となり、その後、自我が強く成るにつれて個々の姿になっていくわ。だから長瀬君みたいに元々姿を持っていた者は天使になっても変化を感じられないのよ。無意識むいしきに、元の、ヒトと同じ姿を取り続けるからね」

 それが変化の感じられない理由だとイナンナは言った。

「その気になれば長瀬君も姿形を変えられるわよ。例えば、そうね…。とりあえず女性の姿になってみたらどうかしら?」

「え?」

「だから、姿を変える練習よ。女性になってみなさい」

 そんな簡単に言われても。

「どうやったら良いですか?」

 宴会えんかいの盛り上げ役で仮装かそうくらいはしたこと有っても変装へんそうすらしたこと無い俺には姿を変えるなんて想像そうぞうもつかないよね。とはいえ、イナンナに見られている手前てまえなにかしなければと考えを巡らす。

 飲み会の上司くらい無茶振りだ。

 とりあえず、女形と言われてもいまいちイメージが湧かなかったので、目を閉じながら好きな女優じょゆうさんの姿を思い浮かべて、必死に頭の中で『変われ』と唱え続けてみた。すると、次第に身体に違和感がで始めえう。

 わざわざ見たり触るまでもなく、明らかに胸が大きくなり着ているワイシャツに潰されているような感覚がある。そして、体格たいかくも一回り小さくなったのか、服が少々大きくなったように思えた。

「出来てるわよ」

「みたいでーっ!?」

 みたいですね。と答えようとした俺は自らののどから出た声に戸惑とまどった。

 明らかに男のものではない、少し高めで大人っぽさを感じる女性の声。俺はこの声に聞き覚えがある。あのたまにTVで見かける女優さんの声だ。かがみを見たわけではないが、間違まちがいなく俺は女優さんの姿になっているのだろう。

 しかし驚いた途端にまた身体が変化した。それが慣れ親しんだ自分自身の身体なのはすぐに解った。

「天使は本来、雌雄しゆうを持たない。もしくは雌雄混合な存在なのよ。今でこそ自分の意思で姿を持っているけれど、昔は相対あいたいしている相手に合わせた姿になることが多かったわ。当然、姿を変えられるから、長瀬君が想像する天使のように翼を生やすこともできる。で、なぜ変わったか判らないって事についてはね。人として過ごしてきた長瀬君は記憶の奥底おくそこで自分の姿を覚えているからなの、特に意識して姿を変えようとしていない限りは、素の人としての姿を保つのよ。だから天使になったからって姿は変わらなかったし、天使としての力は目に見えるものじゃないから何も変わっていないように感じたって訳よ」

「えっと…?」

「つまり長瀬君の身体は長瀬君のままだから大丈夫ってことよ」

 俺は決して頭が良い方ではなかったけれど、普通に中堅大学を卒業する程度の頭脳ずのうは持ち合わせている。……はずだが、解ったのは天使は雌雄同体しゆうどうたいで変身できるってことくらいだった。

「申し訳ないけど、話をすすめるわね。次はこの転生科の使命について、業務内容には軽く触れたと思うのだけど覚えてるかしら?」

生命の樹セフィロートが分けることの出来なかった魂を手作業で仕分けて、転生の手続きをする。でしたっけ」

「そうそう。それがこの転生科で一番量の多い業務よ。長瀬君もしばらくはこれだけをやってもらうことになるわ。とはいえそれはあくまでも業務の一端いったん、転生科の主任務は別にあるわ」

「それが各世界の管理…ですか?」

「この天界を含めた。ね。各世界の管理を担当してる奴らから文明、生態、環境などあらゆる報告が上がってくるの。それを元に生命の数を調整ちょうせいしたり、他世界からの魂を送り込むことで文明に刺激しげきを与えたり、世界に対する驚異きょういに対抗するための力を与えたり、過度な力の抑制よくせいをしたり。世界の維持、発展のために必要なことの大半を転生科が担っているわ」

「ちょ、ちょっとまってください!いくら時間の概念がないと言っても、そこまでの業務をこなすには人が足りなさすぎませんか?」

 このオフィス(?)にあるデスクは三つだがイナンナの座っている以外の二つに関しては書類棚が置かれていたりで使用できるような状態にはない。だから俺が始めに来たときからここはイナンナ一人の部署だと思ったし、それにイスラもイナンナが一人で切り盛りしているって言っていた。

「あと二人居るのよ。ただ、その二人はデスク業務じゃなくて実際に各世界におもむいて直接的に管理業務を行っているから、業務室ここには滅多に来ないのよ。殆どは念話ねんわでやり取りしてるからね。私は責任者だから基本的に業務室に居なければならないから、他の二人には頑張ってもらってるのよ。まあ、そのうち会う機会もあると思うわ。この業務室で行うのは転生者管理がおもだから大丈夫よ。現に私一人でもやれているしね」

 でも前にいつ休息を取ったか覚えてないみたいなこと言ってましたよね!?と思ったけど、口に出すのは諦めた。

 寝なくても食べなくても死なないなら休息がなくても問題は無いってことだし、イナンナはもう病気の域に居るのは間違いないと思ったから。

「まあ、精々頑張って頂戴。私が少しでも楽できるように」

「最後の一言が余計ですよ」

 その後は天部の仕組みに関することをサラッと流すように話されて、そのまま俺は業務開始となった。

 どうやら天部では働いた業務量に対して報酬がもらえるらしい。報酬はポイントとして個人の生体情報に蓄積ちくせきされていき、ポイントを使用することで各世界の金銭きんせんを手に入れられるとの事。仕事が休みのときは各世界に降りてある程度の自由行動が許されるので、その際に使う路銀の入手法だそうだ。

 ただ、俺らはほぼ仕事詰めになるのでポイントは貯まる一方になると言っていた。なので詳しい説明をしても仕方がないと。

 その話を聞いて俺はふと、自分の死ぬ前に通帳にいくら入っていたのか気になった。仕事詰めで対して使っていなかったからそこそこ溜まっていたはずだ。葬式代と墓を買う金くらいはあると思うのだが。

 それと、常に同じ仕事をするわけではないらしい。

 各世界の管理者による管理が甘かったり、杜撰ずさんだったりすると罰として一定の間、転生科に来て業務をこなさなければならないとかでその期間は別の仕事をするとのこと。

「それじゃ、早速だけど初めてちょうだい。基本は天使の知識で判ると思うけど、どうしてもわからなかった聞いて」

「わかりました」

 結局、休みなどは無いに等しいようだ。まあ、今は休息云々よりも、目の前にある書類の山を片付けるほうが先決せんけつであるが。

 次々と運ばれてくる書類を善悪で仕分け、一つ一つ手続きして、生命の樹に流していく。どれほどの量をこなしたのかは考えないことにした。

 イナンナの言っていた通りで身体的な疲れは一切感じないので、心を無にしてひたすら書類と格闘かくとうしていく。



 これが俺の新たな使の始まりだった。


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