第5話

 戻ってきたハシボソさんは、何かの書類を持っていた。再び俺にベッドに腰かけるよう促したので、大人しく従った。

「鷹木さん、師範はどこまであなたに害虫や黒服の話をしていますか?」

 そして面接のように聞いてきたので、思わず背筋を伸ばして答えた。父からこの間聞いたことの全部を。

「わかりました。では補足させていただきます。イモムシやチョウを狩ることを、僕たち黒服は害虫駆除と言っています。そしてイモムシにこころを喰われた人のことを花嫁と呼んでいます。これは覚えてください」

「あ、はい……」

「花嫁の方々は余命が極端に短い上に身体的に異常もあり、黒服が全力でお守りしています。黒服の存在理由は害虫駆除と花嫁をお守りすることです。駆除が優先されることが多いですが、それは花嫁のこころを喰ったイモムシやサナギ、チョウを駆除すれば花嫁の余命も記憶も元に戻り、身体機能もリハビリすれば完治した報告もあるからです」

 そこでハシボソさんは自分のズボンの裾をまくり上げ、俺に足首を見せた。そこには俺や父さんのとはまた違ったかたちの羽の痣があった。

「そして黒服になれるのは、チョウの純白の鱗粉に触れ、異能を持った人間です。この痣は触った鱗粉の持ち主と同じところに出てきます。僕は相手との距離が視覚的に見れる能力ですが、鷹木さんは何か違和感はありませんか」

 言われて両手を握ったり開いたり、周りを見渡してみたが、特になにもない。

「いまは特にないです、ね」

「では今後出てくると思います。何か気づいたことがありましたらすぐに言ってください」

「あの──」

「どうしました?」

「父は、どういう能力を持っていたんですか?」

 単純な疑問だった。でもハシボソさんは何かを考えた後、立ち上がった。

「やはり先に師範に会いましょう。鷹木さん、ついて来てください」

 書類を小脇に挟み、ハシボソさんは足早に部屋を出ていったので、慌ててついていった。右も左もわからない場所で置いてけぼりは困る。


 コンクリート壁が続く薄暗い廊下を進み、突き当たりのエレベーターに乗って下に降りる。

 ハシボソさんは何か考え事をしているのか黙ったまま。俺の方も見ない。

 エレベーターで一階に降りると、そのまま従業員用通路を抜けて大きな葬儀場の脇に出た。何百人も入れる広さの中、ポツリと祭壇に棺がのせられいる。

「鷹木さん、師範はこの中にいます。その……覚悟をしたら声をかけてください。損傷が、酷かったので……」

 棺を前にして、やっとハシボソさんは口を開いた。そしてまた目頭を抑えた。

 俺にはまだ実感がなかった。だからすぐに棺の窓を開けてもらった。

「父さん…………?」

 中には確かに父さんがいた。ハシボソさんにお願いして棺を全部開けてもらうと、頭はある。だから顔を見て父さんだとわかった。だけど、見える限り体はバラバラだった。足りていない。右肩から手首まで、胸から下の胴体、指も数本、左腕、両足すらも無い。さすがにこれでは死装束を着せることが難しかったのだろう。父の体には白い布を、布団のように被せているだけだった。

「ハシボソさん、父さんは、父は誰に殺されたんですか?」

 あまりにも惨い状態の父に、腹の底から何かに火がついたのを感じた。

「他の黒服からの報告では、師範は青髪のチョウに殺されたと……能力と逃走経路は不明です」

「タテハ……アイツだ……」

 不気味な笑みとふざけた声を思い出して、何かが切れた気がした。

 怒りが込み上げてきて頭が真っ白になりそうだったのに、気づいたらそんな怒っている自分を冷静に見ている自分がいた。そして不思議なくらい落ち着いた。

「父の仇は必ず俺がとります」

 静かなホールに俺の声が響いた。ハシボソさんは黙って頷いてハンカチを差し出した。いつの間にか俺は涙を流していたらしい。全然気づかなかった。

「その殺意だけで十分です。鷹木さん、いいえ……あなたは今からネロと名乗ってください。あなたを黒服の一員として歓迎します」

 ハシボソさんは俺に深く頭を下げた。


 その後、父の顔をただジッと見ていた。俺の気が済むまでハシボソさんは葬儀場に誰も入れないでくれた。静かなホールに、時計の秒針が動く音が響く。

「ありがとうございます。もう……もう、大丈夫です」

 やっと気持ちが落ち着いた。父の顔を目に焼き付けて、俺は最後の別れを済ませた。そして従業員用の通路に移動した。

「あなたが黒服に入るにあたって、師範の息子という肩書きは邪魔になります。まだ顔が見られないようにしてください」

 ハシボソさんはそう言って俺が隠れたのを確認してから、ホールの正面扉を開けた。

 こっそり従業員用通路から覗いてみたら、何百人もの喪服を来た老若男女が泣きながら父の棺の周りに集まっていた。もしかして、ここの人たち全員が黒服だというのだろうか。

 あまりの人の数に圧倒されていると、ハシボソさんが顔を引っ込めるよう注意しにきた。

「あの、あの人たちは全員黒服の人たちなんですか?」

 ハシボソさんは驚いたように目をぱちくりさせた後、泣き腫らした目でくすりと笑った。

「当然です。それにあれが全員ではありませんよ。あそこにいる全員は師範に鍛えられた門下生たちです。他にも僕たちの上司にあたる幹部が三人。幹部補佐も三人。青髪のチョウを捜索中の黒服も含めると、もっといますよ」

 あまりの人数に、開いた口がふさがらない。

「黒服になったら最初は師範に鍛えてもらい、異能を使って戦えるように訓練します。花嫁の余命が短いので、短期間で無理矢理鍛えてもらうのですが、師範の時間圧縮の能力を持ってすれば問題ないことでした。とても厳しい稽古を三日やったとしても、たったの三時間に圧縮された時の辛さは、今でも忘れられません……」

 そう言って俺をさっきの部屋へ連れ戻す。また、無言のままコンクリート壁の暗い廊下を二人で歩いた。

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