第6話
黒服に入るにあたり、俺は知らなければならないことが多い。父のことも、知らなかったことばかりだ。
父を師範と呼ぶ人たち。その人たちに紛れて、俺は父の葬式に参加した。息子ではなく、黒服の一人として。ハシボソさんは家族葬でなくていいのか、と言ってくれた。俺は首を横に振って、先程のたくさんの黒服の方々を思い出す。
「みんなで送りたいじゃないですか。俺一人だけだと、きっと父も寂しいと思うので……」
粛々と葬儀は執り行われた。終始誰かの涙する声がする。父は、こんなに慕われていたのか。父との思い出を巡らせていたら、いつの間にか葬儀は終わっていた。火葬場へ移動する準備のため、ハシボソさんにロビーで待つよう言われ、大人しく寂しいロビーのソファに座って待った。
すっかり暗くなった外をぼんやりと見ていたら、不意に声をかけられた。声の方を見ると黒服の人が三人立っていた。
「はじめまして。キミはたしか師範チャンのお子さんよね?」
背の低い、恰幅のいい女性が俺の顔を遠慮なく覗き込んできた。カラーコンタクトを付けているのだろうか。見慣れない薄緑色の瞳に思わず仰け反った。
「こら。ワタリ、御子息に失礼ですよ。すみませんね、彼女ったら好奇心旺盛で」
「ああーん。もっと師範チャンの面影を見ていたいー! ミヤマっちのケチー!」
目の前から女性が離れて次に見えたのは、困ったように笑いながら女性の首根っこを捕まえている長髪の中性的な人。見た目も声も性別がわからない。俺より多分身長は高いが、どっちかわからない。
「はあ……二人とも、御子息を困らせるな。まずは自己紹介からだろうが」
ぎゃいぎゃい騒ぐ二人の後ろから、眼鏡をかけた男性がため息まじりに注意した。すぐに二人は騒ぐのを止めて俺の前に並んだ。
「やだー。恥ずかしいなー」
「いやはや年上として恥ずかしいところを見せてしまったね」
「あ、いえ……驚いただけなんで、大丈夫、です」
あまり見たことのないタイプの大人の対応に慣れていないため、どう返していいかわからなかった。
「初対面の無礼を許してほしい。どうにも二人はきちんとした社会人ではないのでな」
面目ない、と頭を垂れる二人を小突きながら、眼鏡をかけた男性は俺の前に立った。
「お初にお目にかかる。俺はホシという者だ。後ろの馬鹿二人はワタリとミヤマと言ってな、三人で不本意だが黒服の幹部を務めている」
黒服の幹部と聞いて俺は反射的に立ち上がったが、ホシさんに肩を掴まれてそのまま座らされた。
「まだ座っていろ。ハシボソから話は聞いている。黒服として俺たちを上司と認識しているのは褒めてやるが、今はまだ黒服の新人としてではなく、師範の御子息として対面している」
眼鏡の奥の鋭い眼光に、俺は何も言えずに口を閉じた。
「ホシ、御子息が怯えているよ」
「大丈夫だよ〜。ホシは顔面ヤクザだけどすっごく優しいんだよ〜、ミスしなければね」
「顔面ヤクザとは言ってくれるな、ワタリ。後で覚えてろ」
「やだ〜秒で忘れます〜」
三人の異様な組み合わせに圧倒された。これでコミュニケーションや連絡のやり取りができているのだろうかと疑問に思うほど、この三人はタイプが違った。
だけど、三人はお互いの顔を見合った後、揃って俺に頭を下げた。
「え……?」
黒服の幹部の三人が、俺に頭を下げている。その状況の意味がわからない。
「この度は急なことで……心よりお悔やみ申し上げます」
深々と下げられていても聞こえたのは、ホシさんの悔しそうな声だった。顔を上げた時、ワタリさんは泣いていた。
「師範チャンはアタシ達の大切な部下だったのに、こんな、悲しいことになるなんて……屈辱よ〜」
涙を流し続けるワタリさんにミヤマさんがハンカチを差し出した。
「私たちが幹部として遺族に御挨拶するのは当然のこと。だけど……これより君は黒服に入った新人」
「義理は果たした。冷たいようだが黒服には時間がないんだ。今から貴様は俺たちの部下として害虫駆除をしてもらう。ハシボソから名前を当てられただろう。改めて自己紹介をしろ」
なんという切り替えの早さだろう。ワタリさんも泣き止んでいる。これが大人というものか。
父の仇を討つため、半端なことはできない。俺はお三方の前に立ち、姿勢を正した。
「本日付で黒服にさせていただきました。ネロと言います。よろしくお願いします」
ホシさんは満足そうに口角を上げた。
「ハシボソに世話を任せている。一刻も早く一匹でも多くの害虫を駆除できるよう励め」
そう言ってホシさんは玄関から出て行ってしまった。
「師範チャンのお子さんってのは隠したままにしててね〜。いろいろ面倒だと思うからね。じゃあ、またね〜ネロっち〜」
「本名で呼び合うのも御法度なので気をつけてね。では、失礼するよ」
後を追うようにワタリさんもミヤマさんも行ってしまった。
なんとも台風のような慌ただしさだった。俺はソファに座って息を吐いた。
その後の火葬も滞りなく終わった。父はお骨箱に納まり、俺の腕に抱えられている。
「もう深夜ですし、送ります」
夜遅い葬儀だったから当然だがもう日付が変わろうとしていた。ハシボソさんのお言葉に甘えて、俺は車で送ってもらうことにした。社内で幹部の三人と話したことを言うと、運転をしながらハシボソさんは笑った。
「驚いたでしょう? あの方々はいつもああなんです。黒服には時間が無いので、害虫捜索や黒服の管理など多忙なのですが、必ず黒服と花嫁、その身内の葬儀には参列されるのです。特にホシさんは師範と仲が良かったですから……貴方が黒服になったことも含めて、特に気になったと思います」
「あのホシさんと父が……」
父が師範をしていたこともだが、あのホシさんと仲が良かったというのも想像できない。良くてヤクザに絡まれる気弱な父の姿だ。
「次の交差点は右でいいですか?」
「あ、はい……」
気がつけば見知った道を走っていた。家の近くの道。そこで俺はふと思った。
「俺……ハシボソさんに家の住所とか言いましたっけ?」
「いいえ?」
カーナビは使っていない。ハシボソさんはさっきの一回しか道を確認していない。
「ああ、師範をよく送り迎えしていたからです。特別、盗聴器や発信器などをご自宅に仕掛けているわけではないのでご安心を」
笑いながら言う冗談が普通ではない気がしたが、笑って返した。盗聴器や発信器などの発想はなかった。
「今日の明日で申し訳ありませんが黒服の仕事を教えますので、明日の昼にお迎えにあがります。ああ、親族へのご連絡や学業やバイトのことならホシさんが手を回しているので、勝手ではありますが休学、休業にさせていただいてます」
家の前に着いて車から降りた時、ハシボソさんがさらっと言った。
「黒服には時間がありません。明日はその説明からさせていただきますので。では、おやすみなさい」
「え? ちょ、待ってください!? うわっ、早っ!」
聞き返そうかと思った。休学に休業、加えて親族への連絡もホシさんがやったとは一体どういうことなのか。わからないままハシボソさんは猛スピードを出してあっという間に見えなくなってしまった。安全運転だと思っていたけれど、一人だとスピードを出す人なのだろうか。
「……明日また聞こう」
お骨箱を大事に持ち直し、ポケットから鍵を探し出し玄関の扉を開けた。
いつもなら明るい部屋。今は真っ暗で、当然だが誰もいない。しんとした部屋の明かりをつけて居間のテーブルを見ると、父が用意してくれていた夕食がラップして並んでいた。
父の得意な豚肉を輪切りの赤ピーマンに巻いて炒めたもの。トマトとレタスのサラダ。昨日の残り物のポテトサラダ。鍋には豆腐とわかめとねぎの味噌汁。炊飯器にはご飯も用意されていた。
お骨箱をいつも父が座っていた席に置き、俺はいつものように炒め物をレンジで温め直し、ご飯と味噌汁をよそう。そしてお骨箱と向かい合うように座って手を合わせた。
「いただきます……」
テーブルの上にポツリと置かれたお骨箱は、何も言わずにただそこにあるだけだ。
俺は黙ってご飯を口に放りこんだ。父さんが得意で、俺が大好きな炒め物を一口食べる。昨日作りすぎたポテトサラダも、健康のためにバランスよく食べろと口すっぱく言われたサラダも、不揃いに切られた豆腐の味噌汁も、口にするたびに、視界が滲んだ。これが父が作ってくれた最期のご飯だと噛み締めるたびに涙が零れた。
ここでやっと、俺は父が死んだのだとちゃんと実感した。俺しかいない家は、とても酷く静かで俺の泣く声しか音がなかった。
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