第1話

 自分自身の人生すらわからないのに、他人の人生がわかるわけがない。

 頭ではわかっているのについ聞いてしまうんだ。俺はこの先どうなってしまうのか。どうすれば幸せになれるのか。あの時、どうすれば良かったのか。

「そんなんわかるんやったら、わたしも知りたいですわあ」

 数日前に医務室に就いた若いドクターが点滴の様子を見に来た。

「点滴中くらい頭も休めはったらどうです? 無い頭を振ってもカラカラとしか鳴らへんよ」

「うん。そうだね……頭使うの、苦手なんだ」

「さすがのわたしでも馬鹿は治せへんわぁ〜」

 意地悪な笑い声が静かな医務室に響く。俺もつられて口角が上がった。

「ドクター、点滴、あとどれくらいかな」

「ん〜……あと一時間くらいやな」

 せっかく横になって点滴をしているのだから寝てろって言いたそうなドクターの視線を無視し、白い天井を見た。無機質な白色。汚れがすぐに目につく色だ。

「ドクター、俺の昔話に付き合ってくれないかな」

「暇やからええですよ。イケメンとか出てきます?」

「憎たらしいほど出てくるよ」

 ドクターはいそいそとパイプ椅子を俺の横に持ってきた。

「俺が大学生だった頃なんだけどさ──」



 雲ひとつない晴天に恵まれた母の命日が、俺の人生の転換期だった。

 墓参りも十年通えば慣れるもので、父と二人で無言で母の眠る墓石を掃除した。最後に持ってきた花束を分けて墓石の左右の筒に挿す。

 ちらりと見た父の背中は、少し小さく感じた。もう五十九歳になるから、そう見えるのかもしれない。

 父は母と俺のために無理をし過ぎてきた。大きな病気をしたことのない人だけど、これからはわからない。火をつけた線香を立てながら、静かに手を合わせて毎年願う。

 母さん、まだ父さんを連れていかないでください。

 そっちは寂しいかもしれない。母さんは父さんを待っているかもしれない。けど、まだ俺が父さんに今までの苦労分、何かを返せるまでは、そっちに連れていかないで。

「相変わらず、悠真は母さんと長く話すな……」

 父の鼻をすする音に顔を上げると、俺のおでこを親指で押してきた。

「うわっ!? なに?」

「眉間にシワがよりすぎだ」

 父の手で見えなかったけど、多分父は泣いていたのかもしれない。それを俺に見せないようにしてきた。

 俺が父が泣くところを、見たことがない。母の葬式の時もだ。

「今日は食べて帰ろう。なにが食べたい?」

 珍しく父が外食しようと提案してきた。俺はすぐに母と三人で行ったことのある老舗のうどん屋を指名した。

「いいぞ。悠真も飲める年になったし、昼酒の楽しみを教えてやろう。あそこの一品はどれも美味いからな」

「やった! じゃあ俺、桶と柄杓を戻してくる」

 俺はすぐに走り出した。周りに人がいないから、思いっきり走ることができた。


 桶と柄杓を元あった場所に戻し、父の元に戻る時、この墓地にしては珍しく若い男性を見かけた。長いことここに毎年来ているが、初めて見る人だった。最近墓をたてたのだろうか。

 静かな墓地に、青髪は目立つ。紺色に近いが、それでも近所で見ない髪色だ。ついチラチラと見てしまう。

 そんな俺の視線に気づいたのか、青髪の男は俺に近づいてきた。

「ねぇねぇキミ、鷹木さん家の墓どこにあるか知ってる? 鷹木小春さんが入ってる墓なんだけど」

「は……?」

 一瞬、なにを聞かれているのかわからなかった。思わず後退りした。

「最近になって墓の場所を聞いたんだけどさ、ここ広いからわからなくなっちゃったんだよね」

「その墓に何の様ですか」

「えー? 一応手を合わせに来たって感じ? で、キミ場所わかるの? わからないの?」

 面倒臭そうに両手を頭の後ろに組む男に見覚えはない。母の知り合いにしては若い。俺とあまり歳は変わらないように見える。母の友人の子供は聞いて知っている限り俺より年上がほとんどだ。親戚にこんな人はいない。つまり、怪しい。

「知ってるも何も……俺の母の墓です。あなたは母とはどういった関係ですか?」

 父の元に戻っては案内をするようなものだ。俺はズボンのポケットに入れているスマホを取り出して男を牽制した。

「不審者なら、警察を呼びます」

 だが俺の牽制に臆することなく、男は俺をじろじろ見て笑った。つり上がった口角で見える犬歯が不気味だ。

「へぇー。鷹木小春さんの子供かぁ……名前は? もしかしたら同い年かもね、何年生まれ?」

「俺の質問に答えてください」

「つれないなぁ……いいじゃん。誰が墓参りに来ようとさ」

 ずいっと顔を近づけられ、キツい香水の匂いに顔が歪む。男にしては甘ったるい匂いをつけている。

「オレたち仲良くできる気がするんだけどな」

「ふざけんなっ!」

 俺が声を荒げたとき、男の動きが止まった。さっきと違って俺を見ていない。男の視線を辿って俺の後ろを見ると、喪服の青年が立っていた。

「今すぐ離れれば見逃してやる」

 喪服の青年は真っ直ぐ男を睨み、周囲の温度が下がったように感じた。嫌な汗が首筋を流れた。

「それ、オレのセリフなんだけど? カラスは引っこんでろよ」

 男が一歩を踏み出す前に喪服の青年が俺の前に出た。一触即発の状況だ。下手に声を出せない空気に、俺は固唾を呑んだ。そんな時だった。

「息子から離れてもらおうか、イモムシくん」

 背後から聞き慣れた安心する声がした。

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