第52話 許せない事

「がんばれ、がんばれ、がんばれ、がんばれ、はい息継ぎ~!」

「ぶはぁ!? あばばばばば!?」


 白崎に両手を引かれ、俺は必死に脚をバタつかせている。

 合図を受けて顔を上げるが、思いきり水を飲んでしまい溺れかける。

 うぉ!? やばい! 死ぬ!?


「はい落ち着いて~。焦らなくても足はつくからね~」


 暴れる俺を抱きしめるようにして立たせると、白崎が俺の背中を優しく叩いて水を吐かせる。


「ぶへぇ、げほ、げは!? だ、大丈夫だって!?」


 ツンとする鼻の痛みに涙目になりながら、俺は慌てて白崎から距離を取る。


「しょぼん……。私は黒川君の為を思って頑張ってるんだけどなぁ……」

「わ、悪かったよ……。でも、こんなの恥ずかしすぎるだろ!?」


 ウォーターパークアトランティスには色んな種類の屋内プールがある。人気があるのはコース状になった流れるプールで、不人気なのが水泳用の四角いプール。

 それで俺達は二組に別れ、不人気プールで練習している。


 まぁ、西園寺は早々に泳ぎの練習を諦めて、流れるプールで一ノ瀬に浮き輪を押させてキャッキャしているのだが。


 ……それはともかく、俺は自分で思っていた以上にダメダメだった。


 そもそも水に顔をつけるのが怖くて、慣れるまで一時間もかかってしまった。

 それでも白崎に励まされ、なんとか泳ぐ練習を始める所までは漕ぎつけたのだが。


 かれこれ二時間程白崎に手を引いて貰っているが、同じ事の繰り返しでまったく上達する気配がない。身体は全然浮かないし、息継ぎもまともに出来ない。水を飲んで溺れ、白崎に助けて貰ってばかりである。


 情けなさすぎて自分が嫌になる。

 よくもまぁ、白崎はこんな恥ずかしい奴を彼氏だと言い張るものだ。


「それがいいんじゃん!」


 俺が何度失態を晒しても、白崎はニコニコ笑顔でむはむは幸せそうに鼻息を荒げるだけだが。


「黒川きゅんの可愛い所い~っぱい見れるしぃ~、どさくさ紛れに好きなだけ触れるしぃ~、弱気な所を助けてあげて好感度はうなぎ上りだしぃ~、良い事尽くめだよ!」


 ブイ! っと満面の笑みでブイサインを向けて来る。

 ……まぁ、白崎がいいなら俺はいいんだが。


 って、いいわけあるか!


「……俺はやだよ。こんなんじゃ、白崎だって一緒に居て恥ずかしいだろ……」

「全然? 私は黒川きゅんと付き合ってるの。他人の目なんかどーでもいいよ? でも、私の事を気にしてくれる黒川きゅんは可愛くて大好き! もう、本当に来てよかったぁ~」


 白崎はたまらない様子で水面をパシャパシャする。

 ……本当に変な女だ。

 なんて思っていると。


「おいおい、見たかよあれ」

「見た見た、小学生かっての。ねぇ! そこの彼女! そんなダセェ奴放っておいて俺らと一緒に遊ばない?」


 いかにもナンパ目的といったチャラついた二人組がプールサイドから声をかけてくる。

 ムカつくが、その通りなので言い返せない。

 高二にもなって女の子に手を引いて貰って泳ぐ練習をしてるんだから、小学生の方がまだマシだ。


「……はぁ? なにおじさん、マジキモいんだけど。お呼びじゃないから、どっか行って」


 白崎が別人みたいな顔と声で中指を立てた。

 ……いや、え? お前誰だよ。


「な、はぁ!? キモいのはてめぇの彼氏の方だろ! そんなブサイクと一緒に居て恥ずかしくねぇのかよ!」

「ブサイクじゃないし。ちょっと顔が悪魔に似てるだけだし。あと、私はちょっとじゃなくて超可愛いから。おじさん達みたいなモブじゃ釣り合いません。ウザいからさっさと消えちゃって」


 見せつけるように俺の腕に抱きつくと、ナンパ男に向かってシッシと手を振る。


「おい白崎、やめとけって」

「やだ。私はいいけど黒川君の事を言われたらムカつくもん! ていうか、なんで黒川君は怒んないの! いつもみたいに怒鳴ってビビらせちゃえばいいじゃん!」


 そりゃ、俺だってあんなナンパ野郎なんか怖くはないのだが。


「……だって、せっかくみんなで遊びに来てるのに、喧嘩なんかしたらぶち壊しだろ……」


 一応今回の目的は、頑張ってくれた白崎を労い、落ち込んでいる一ノ瀬達に元気になって貰う事なのだ。……まぁ、結局俺の泳ぐ練習に付き合わせてしまっているが。ともかく、俺のせいで下らない喧嘩をして台無しにしたくない。


「もう! なにそれ! 可愛すぎ!」


 そんな俺の言葉に、白崎はむぅ! っと頬を膨らませて肩パンを放ってくる。

 なにが可愛いのか俺にはさっぱりわからないが。

 本当に白崎の感性は謎である。


「はぁ? ガキがなに格好つけてんだよ」

「てか、どうせそっちのクソ女も金目当でご機嫌取ってるだけだろ。じゃなきゃ、お前みたいなキモイ顔のガキがそんな女にモテるはずないしな。性悪ビッチとバカなブサイクでお似合いのカップルってわけだ!」

「はいはい、負け惜しみはわかったから――」

「おいおっさん。今なんつった」


 プールから上がると、俺はクソナンパ共と対峙した。


「あ、あれ? く、黒川きゅん?」

「謝れよ。白崎はそんなんじゃねぇ。なんの得もねぇのに俺の為に水泳の練習に付き合ってくれてんだよ」

「あぁ? ガキがなに粋がってんだ!」


 茶髪男が俺を突き飛ばそうと手を伸ばす。

 俺はそいつを掴んでぎりぎりと力をこめた。


「白崎に、謝れって、言ってんだよ!」

「いだだだだだだ!?」


 悲鳴をあげて茶髪男が膝を着く。


「な、てめぇ!? なにしやがる!」


 金髪男が殴りかかろうと拳を振り上げる。

 いいだろう。そんなに喧嘩をしたけりゃ相手をしてやる。

 いつも通り一発貰ってやって、その後はボコボコだ。

 そう思って待ち構えていると。


「とりゃ!」


 後ろから駆け寄ってきた西園寺が金髪男の海パンを足首まで下げた。


「なぁ!? なんだぁ!? ――うわぁ!?」


 驚いた金髪が海パンに足を引っかけてひっくり返る。


「監視員さんこっち! 変なおじさんがあたしの友達に乱暴してます!」


 向こうでは一ノ瀬がスタッフさんを呼んでいた。

 それで俺は我に返った。

 ハッとしてナンパ野郎の腕をはなす。


「ちくしょう!」

「覚えてろよ!」

「――お、おい! 白崎に謝れよ!」


 俺は叫ぶが、結局逃がしてしまった。


「まったく、これだから野蛮な人間は。それにしても今のボクは大活躍じゃなかったかね?」

「いや危ないから! 西園寺はあたしらみたいに丈夫じゃないんだから無茶すんなし! てか、黒川も大丈夫だった?」


 大丈夫じゃない。俺は罪悪感で落ち込んでいた。


「……ごめん。なんか急に頭にきて……キレちまった……」


 こんなはずじゃなかったのに。

 白崎の事を悪く言われたら、母親の悪口を言われたみたいにプチンとキレてしまったのだ。

 折角の楽しい休日が、これじゃ台無しだ……。


「はぁ? なに落ち込んでんの? 黒川が怒んなかったら、代わりにあたしが殴ってたし!」

「黒川君のバカー!」


 後ろから怒られて、俺はびくりと身をすくめた。


 そりゃそうだ。

 喧嘩はしないと言った舌の根も乾かぬ内に喧嘩をしてしまったのだ。

 怒られたって仕方がない。

 この前だって喧嘩をして怒られたばかりなのに。


 白崎の為だなんて言い訳はしない。

 だって白崎は怒りを抑えてバカの相手はしなかったのだ。

 立派な奴だ。すぐ暴力に頼ろうとする俺とは違う。


 あのまま黙っていれば避けられたかもしれない喧嘩を、俺は自分から買ってしまった。

 バカと言われても仕方ない馬鹿野郎だ。


 俺は醜い嫌われ者だが、もう一人ではない。

 白崎やみんなは、こんな俺を心配してくれる。

 無茶ばかりしていては、いつかこいつらを危険な目にあわせてしまうかもしれない。

 そこの所を考えて、俺はもっと自分を抑える事を学ぶべきなのだろう。


 ともかく白崎に謝らないと。


 そう思って振り返る俺に、プールから上がった白崎が鼻を押さえて言うのである。


「いきなりかっこいい事しないで! もうちょっとでプールが血の海になる所だったでしょ!?」


 …………はぁ?


――――――――――――――――――――――――――――


 ナンパ経験のある方はコメント欄にどうぞ。

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