第13話 フラグ

「黒川ぁ! 二年の分際で白崎さんに手ぇ出すとは生意気な! この柔道部副部長の俺様が直々に成敗――グワー!」

「黒川先輩! 非道な手を使って白崎さんの弱みを握り我がものとする卑劣な所業、もはや看過できません! 一年生ながら剣道部の期待のホープであるこの僕が――グワー!」

「クロカワ、タオス、シロサキ、オレ、スキニナル、カンペキナサクセン――グワー!」


「おらぁおらぁ! そんなもんかよクソ雑魚のゴミカス共! その程度の実力でこの俺に楯突こうとか頭脳がマヌケか? 白崎を取り返したけりゃな、百万回転生してやり直して来いってんだ! (げしげしげし)」

「「「畜生! 覚えてろよ! (意訳)」」」


 ……アホくさ。コントかよ。

 ハイテンションの外道モードで本日の襲撃者を追い返すと、素に戻った俺は猛烈に虚しくなった。


 昼休みの屋上は恋人達の聖域という話はなんだったのだろう。

 いや、間違ってはいない。

 他の場所に比べれば、まだ屋上にはほんのちょっぴりの平穏がある。

 というか、どこに避難した所で日に何人かはこの手のアホがやってくるのだ。


 白崎に片思いをしている奴、数多にあるバカみたいな噂を鵜呑みにした奴、俺を倒せば白崎と付き合えると勘違いしたおめでたい奴、ただ単に俺みたいな醜い嫌われ者が目立っている事が許せない奴、その他色々な奴。うんざりだ。


 だが、挑まれたからには叩き潰さないわけにはいかない。さもないと舐められる。俺みたいな醜い嫌われ者は舐められたらおしまいだ。またあの頃の惨めな日々に逆戻り、それだけは絶対に嫌だ。


「ひゅーひゅー! 流石黒川きゅん! 頼れる私のマイダーリン! 全戦全勝、今日も絶好調だね!」


 近くのベンチで応援していた性悪女こと白崎がキャッキャとはしゃいで手を叩く。


「うるせぇ! 誰のせいでこんな目に合ってると思ってやがる!」


 それだって、最近は少し鎮静化してきていたのだ。それが今朝の一件で逆戻りだ。いや、余計に酷くなった気さえする。


「私です!」


 白崎はニコニコしながら手を上げる。悪びれた所なんかまったくない。本当に俺の事が好きならちょっとは申し訳ないと思うだろ? その時点でこいつの言葉が口だけなのは明らかだ。


「この性悪の嘘つきのクソアマが!」

「あぁん、もっと言って~」


 白崎は頬を染めてくねくねと身を捩る。ついでにこの女もぶっ飛ばしてやりたいが、そんな事をしたら思うつぼだ。絶対に弱みを握って万倍返ししてやるからな!


 ともあれ俺は白崎の待つベンチに戻る。

 別の場所に座ったって地の果てまで追いかけて来るだけなので仕方がない。


「てめぇはな! 俺を困らせるのがそんなに楽しいか?」

「えへへへ、実はちょっとね」


 白崎は照れ顔で塩一つまみのポーズ。

 ヤバいキレそう。


「待って! ストップ! 私だってね、こんな目に合わせちゃって悪いとは思ってるんだよ?」

「……ほぅ。そいつは俺が納得できる言い訳なんだろうな?」

「勿論だよ!」


 力強く頷くと、白崎は存在しないメガネを直すような仕草をする。


「まず一つ。私の為に黒川きゅんが戦ってる姿を見ると私って愛されてるな~って幸せな気分になります!」

「お前の為じゃねぇ。自分の身を守る為だ」


 白崎は耳を塞いであーあー言って都合の悪い事実をシャットアウトした。


「てめぇはガキかよ!?」

「そして二つ! 一週間の事前調査で黒川きゅんがものすご~~~く強い事は調べがついているのです。それによれば入学当初絡んできた上級生の不良集団五人を一人でのしちゃったとか。だからこのくらいの相手ならまぁ大丈夫かなと信頼しているのです。これも愛の形だね!」

「そんな愛があってたまるか!」

「愛の形は人それぞれだから。ウィンクウィンク!」


 パチパチと下手くそなウィンクを左右で飛ばす。俺はそれをキャッチしてくしゃくしゃにして地面に捨てて踏んずけて踏みにじった。


「あぁ!? ひどい!?」


 白崎が這いつくばってボロボロになったウィンクをかき集め丁寧に埃を払って愛を込めるようにチュっとキスしてもう一度こちらに投げる。


「酷いのはどう考えてもお前だからな!?」


 俺はそれを叩き落として以下略。


「三つ! 私みたいな超絶可愛い美少女ちゃんが誰か一人のものになったら、そりゃこういう事態になっちゃうわけで。うんうん、止む無し仕方なし。黒川きゅんと添い遂げるって心に決めたその時から覚悟は出来てるんだよ」


 ペロッと短い舌を口の端から覗かせて親指を立てるクソアマ。


「それで終わりか?」


 ジロリと睨む俺を誤魔化すように、怒涛の勢いで白崎がまくし立てる。


「四つ! そんな私の彼氏が務まる人なんか黒川きゅんしかいないでしょ? 五つ、だからこれはきっと運命の出会いなの! 六つ、黒川きゅんを困らせちゃうのは辛いけど……。七つ、黒川きゅんが困ってる姿を見るとゾクゾクしちゃう自分もいるって言うか。八つ、あぁ私っていけない子、なんて罪作りな女の子なんでしょう!」


 俺は無言で腕を伸ばして白崎の頭を鷲掴みにした。

 以前は避けられたが、この一週間でこいつの回避パターンは既に見切っている。


「いだだだだだだだだだ!? 砕ける!? 砕けちゃう!? マジで、ちょっと!?」

「問題にならない程度にお前を痛めつける方法なんか幾らでもあるんだからな」


 マジでこの辺でちゃんと釘を刺しておかないと舐められすぎてヤバい。

 暴力では俺の方が上だという事をはっきり理解させておかないと。


「あああががが、でもおおお、黒川きゅんに頭撫でて貰ってるって思えばあああああ、結構悪くないかもおおおお!?」

「だぁ!? 気色悪ぃ!」


 急激に白崎の頭が汚らわしい物に思えて手をはなす。

 敗北感に、俺はげっそりして頭を抱えた。


「九つ。大変だけどさ、これはこれで青春してるって感じがして楽しくない?」


 顔面に薄っすら手形を残した白崎が、ニッコリ笑って俯く俺を覗き込んだ。


「……楽しいわけあるか。俺は誰とも関わらず平穏に生きたいんだ」

「だめだよそんなじじ臭い事言ってたら! 人生は有限なんだから、楽しまないと勿体ないよ!」


 勝手な事を言うと、白崎は保冷バッグを広げて個包装のどら焼きを六つ取り出した。


「十。本日の迷惑料です。どうかお納めください」


 ベンチの上に正座して、土下座のポーズで頭を下げる。

 最初に屋上に襲撃者がやってきた翌日から、白崎は迷惑料と称して俺にお菓子を貢いでいた。そんなもん人前で食えるかと断ったが、周りのカップルはみんな仲良くお菓子食べてるから大丈夫だよとか言われた。


 確かにカップル共の中には弁当を食べ終わるとイチャイチャしながらお互いにお菓子を食わせ合っている奴らもいる。そんな連中と一緒にされるのは嫌だが、俺はイラつくと無性に甘い物が食べたくなるタチでもある。これだけ迷惑をかけられて何も得がないのはバカらしいし、白崎と付き合っている事になっているこの俺が今更お菓子程度で騒がれるとも思えず、長年の禁を破って昼休みの屋上はオッケーという事にしてしまった。


「こんな事で許されると思うなよ」

「うん。私も許されるとは思ってないよ。でも今は、こんな事しか出来ないから」


 頭を下げたまま白崎は言う。

 今更そんな態度を見せられたって騙される俺ではない。というか、時たまとってつけたみたいにそれっぽい事を言ったくらいで騙されたらアホだろ。どうせこの女も俺が本気になったらあっさり掌を返すに決まっているのだ。


 俺はフンと鼻を鳴らし白崎の手から冷たいどら焼きをひったくる。

 普通のどら焼きよりも若干軽い。

 保冷バッグから出てきた事を考えても、ただのどら焼きではないのだろう。


 これ以上の考察は邪道だ。

 未知のお菓子はまっさらな気持ちで楽しむに限る。

 パッケージも出来るだけ見ないようにして、俺は封を切ってどら焼きの一つに齧りついた。


「――っ!?」

「どう、美味しいでしょ?」

「うるせぇ黙れ」


 なんだこれは。なんなんだこれは! 俺が今まで食べた事のあるどのどら焼きとも違う。というか、これは本当にどら焼きなのか? しっとりした皮は求肥を練り込んだみたいにもちもちしている。中身にはさっぱりした餡子と共に上質の生クリームが入っていた。和菓子でもあり洋菓子でもある不思議な存在。これはどら焼きの革命だ!


 俺は一瞬で虜になり、あっと言う間に六個全てを食いつくしてしまった。ちなみに他のは抹茶クリームやプリン、チョコレートクリームなんかが入っていて、どれも文句のない味だった。


「……はぅ」


 っと、思わず幸せな溜息が漏れ出す。

 ハッとして我に返ると、頭を上げた白崎がうっとりキラキラ、生暖かすぎる視線を俺に向けていた。


「お菓子を食べて幸せになってる黒川きゅん、かわゆすなぁ~」


 眩しい程に顔をニコニコさせて、堪らない様子で上半身を左右に揺らしている。


「ぐるるるるる、うるせぇ黙れぶっ飛ばすぞ!」


 恥ずかしくなり、俺は白崎を睨みつけた。パフェの件で既に俺の甘党っぷりは白崎にバレている。とは言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。それもこんな風に赤ん坊を見るような目で見られたら。本当にこの女は、俺の嫌がる事を的確にしてくる。


「はぁ~……照れてる姿もかわゆいのぉ。どうして黒川きゅんはそんなに可愛いの?」


 ぽぉ~っとうっとりして白崎が言う。勿論演技だ。この俺が本気で可愛く見えるなら、脳になんらかの異常がある。例外があるとすれば母親だけだ。あの人だけは心から俺を愛しているから、こんな俺でも可愛く見えるらしい。


 とりあえずもう一度頭を握ってやろうかと右手を上げるが、白崎が警戒して頭を守ったからやめにした。白崎は無駄にすばしっこい。不意打ちならともかく警戒されている状態では捕まえるのは難しい。

 それより俺は気になることがある。


「……で、このどら焼き、どこの店のだよ」


 絶対に聞きだしてリピートしたい。その為に、俺は努めてさり気なく尋ねた。

 人の顔色を読む事に長けた悪女には意味がなかったらしいが。

 ニンマリと、白崎が意地悪な笑みを浮かべる。


「さーて、どこでしょうか?」

「……」


 プイっと俺をそっぽを向いた。

 どら焼きの出所は気になるが、白崎にドヤられるのは死んでも嫌だ。


「うそうそ。拗ねないでよ。普通にコンビニで売ってる奴だよ。ノーソン」

「はぁ? 嘘つくなよ。こんなうまいどら焼きがコンビニ産のわけねぇだろうが」

「あれれ~? 甘いもの好きの黒川きゅんがそんな事言っちゃうの? 最近のコンビニスイーツはバカに出来ないんだよぉ~?」


 隙あらば煽って来る。本当に嫌な女だ。


「フン。そんな嘘、パッケージを見ればすぐバレるんだよ!」


 まぁ、先に気付けという話だが。

 甘いもので胸いっぱいで思考が鈍っていたのだろう。

 ともあれパッケージを確認すると、見覚えのあるロゴが入っていた。


「そんな、馬鹿な……」

「ね? 言ったでしょ? でしょでしょ?」

「うるせぇ! てか、甘い物嫌いなのになんでそんな事知ってんだよ!」

「それは勿論、黒川きゅんの為に必死に勉強したから――」


 頬を赤らめて照れる白崎をじっとりと見つめる。


「――ではなくて、普通に甘い物好きな友達に教えてもらったの。頼れる私の親友ちゃん!」

「はっ、そんな事だろうと思ったぜ」


 内心でホッとする。甘い物に関する事で白崎に後れを取ったら恥だ。

 甘党のプライドが傷つく。


「けど、こんな美味いお菓子コンビニで出したらダメだろ。街のお菓子屋さんが潰れちまうぞ」

「あはははは、それ、親友ちゃんも同じ事言ってた。コンビニスイーツが地域のお菓子屋さんをダメにしちゃうんだって」


 笑い事じゃない。街のお菓子屋さんが潰れたらお菓子の多様性が損なわれるしお菓子業界も縮小する。そうなれば良質なコンビニスイーツの開発だって難しくなる。長い目で見れば大損失だ。お菓子文化が後退すれば人の心は荒み、戦争が起きて世界が滅ぶ。俺を見ろ。甘い物で理性を保ってなかったらこれまでに五、六人は殺してる。マジで。


「そうだ。今度黒川きゅんの事その親友ちゃんに紹介しても良い?」

「いいわけねぇだろ。何万回でも言ってやるが、俺はお前の事を彼女だなんて認めてないんだからな!」


 ここまではっきり言ってやってもこれっぽっちもめげないのが白崎の恐ろしい所だ。


「黒川きゅんの気持ちはどうでもいいし。将来的に絶対私の事好きになるし、絶対に幸せにする自信あるもん。そんな事より――」


 そんな事じゃねぇだろ!? 

 マジでこいつ頭ん中どうなってんだ!?


「――その親友ちゃん、ちょっと過保護な所があるって言うか、昔から私の事守ってくれるナイトみたいな子で、私が急に彼氏作ったから色々心配してるんだよね。だからちゃんと黒川きゅんの事紹介して、大丈夫だよって安心させてあげたいの」

「知らねぇよ。お前の友達だろ。そんなもんそっちでなんとかしろ」

「いやー、一応努力はしたんだけど。催眠アプリで洗脳されてるとか、惚れ薬を飲まされたんだろとか、悪魔の力でうんたらとか、全然信じてくれなくて」

「そいつ、バカだろ」

「ちょっとね。でも、すご~~~く良い子なんだよ! そこは間違いないから! 黒川きゅんと結構似てるし、絶対気が合うと思うの!」

「……それ、遠回しに俺の事バカにしてんだろ」

「ちょっとね。でも、すご~~~く良い子――」


 右手を伸ばす。白崎は間一髪で避けやがった。


「ちぃっ!」

「ふっふっふ。そう何度も捕まる私じゃないのだよ。ていうか、これは黒川きゅんの為でもあるんだよ? 今朝の事でその子ちょっと誤解しちゃって、黒川きゅんの事襲っちゃうかもしれないし」


 襲うってなんだよ。魔物かなんかか? 

 まぁ、この女の親友だ。どうせイカレた狂信者なのだろう。


「上等だよ。そしたら返り討ちにしてやる」

「駄目だよ!? 私の親友なんだよ! それにその子、ものすご~~~く強いんだから! 黒川きゅんだってただじゃ済まないよ!」

「はっ! 強いったって女だろ。そんなもんに負けるかよ。そっちこそ、その親友とやらに伝えとけ。俺をその辺の雑魚と一緒にして舐めてかかると大怪我するってな」

「言わないよ! もう、黒川君格好つけちゃって! どうなっても知らないからね!」


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