第5話 落とされた爆弾
久しぶりに悪夢を見た。
中学生の頃の、俺が最も酷くイジメられていた時の夢だ。
クラスメイトの真面目で優しい委員長。いつも俺を庇い、励ましてくれた女子だ。
ある日俺は彼女に告白され、付き合う事になった。夢みたいだと俺は浮かれ、母親にも大喜びで報告した。
クラスメイトには内緒の、二人だけの甘い秘密だ。
恋は人を盲目にする。俺は無邪気に彼女を信じ、せがまれるまま自撮りを送った。
彼女の要求は日に日にエスカレートしていった。私、実はエッチな女の子なの。毎晩黒川君の事を想像していけない事をしているの。だからねぇ、裸の写真を送ってくれない?
大好きな彼女のお願いだ。こんな醜い俺の身体に価値を見出してくれるならと、俺は喜んであられもない姿を送った。
翌日、黒板には俺の送った自撮りがずらりと張り出されてあった。
委員長とのやり取りは筒抜けで、学校中の人間が知っていた。
「あんたみたいなキモい奴を好きになるとか、本気で信じたの?」
その日初めて女を殴った。
罪悪感なんかこれっぽっちもなかった。
そんな事より、母親を呼び出された事の方がよっぽど辛かった。
目覚めた俺は泣いていた。
その事が無性に悔しかった。
お前は何も変わってないと言われた気がした。
結局お前は、一生惨めな醜い嫌われ者のままなのだと。
「違う」
声に出して俺は涙を拭った。
俺は白崎の脅しには屈しなかった。
たとえ恥ずかしい動画をばら撒かれる事になろうとも、俺はあの女に負けなかったのだ。
俺は醜い嫌われ者だ。
でももう、惨めではない。
惨めにはならない。
俺を惨めにしようとする奴は、片っ端からぶちのめしてやる。
そして俺はささやかな平穏を勝ち取るのだ。
大丈夫だ、この程度の失態は挽回できる。
仮病を使いたくなる気持ちをグッと堪えて、俺は起き上がった。
一階に降りると、いつも通り母親が朝食を用意して待っていた。
厚切りのトーストとベーコンエッグと濃い目のココア。
俺はトーストにこれでもかとジャムを塗り付け腹に納めた。
そしたら少しは気が晴れた。
糖分はいつだって俺に力を与えてくれる。
白崎の出方を見て、叩き潰す。
それだけでは足りない。
二度と俺に舐めた真似を出来ないように、俺という恐怖を魂に刻んでやる。
「どうしたの? なんだか気合が入ってるみたいだけど」
「なんでもないよ母さん。ごちそうさま。行ってきます」
母親に心配をかけたくない。
俺は既に、一生分以上の心配を母親にかけてしまっている。
平静を装って家を出る。
さほど距離は離れていないので、学校までは徒歩で通っている。
悪戯されると面倒だから自転車は使っていない。
というか、そもそも乗れない。
公園に行くとイジメられるから練習できなかったのだ。
通学路にはうちの学校の生徒が何人か歩いていた。
学校に近づく程、その数は増えていく。
全員が、眠そうな顔をして携帯を弄っている。
俺も同じで、日課となったソシャゲのログインボーナスを回収していた。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
「…………ッ!」
異様な光景に、危うく俺は声をあげそうになった。
その場には、数十人の生徒が歩いていた。
全員が、示し合わせたみたいに俺の事を見つめている。
驚愕に目を見張り、バケモノでも見るような目を俺に向けている。
白崎が俺の動画をばら撒いたのだろう。
戦争の始まりだ。
挑むように鼻を鳴らして、俺は臆せず歩き続けた。
†
教室に着く前に危うく心が折れそうになった。
目に入る全ての生徒が俺に注目し、ひそひそ話をしているのだ。確かにパフェを食う俺の姿は滑稽を通り越して冒涜的ですらあったが、そこまで騒ぐほどか?
あるいはそれだけ白崎の影響力が大きいという事なのだろう。学校一の美少女が俺を処刑しろとGOを出したようなものだ。動画の内容などそれほど関係ないのかもしれない。
正直、厄介な敵だった。相手が男なら単純な暴力で事が済む。女でも、あからさまな嫌がらせやイジメ行為なら対処はしやすい。だが、ただパフェを食っている動画を流されただけでは、強気な手は打ちづらい。白崎を敵に回す事自体、全校生徒を相手にするようなものだ。
だからと言って引く気はないが。
逆に言えば、この戦争に勝てば俺の高校生活は安泰だ。
ラスボスを倒したようなものだからな。
そんな風に自分を慰め、どうにか教室にやってきた。
案の定クラスの連中は大騒ぎをしていた。
疎ましい邪魔者の恥ずかしい動画が回って来たのだ。
全員で一丸になって俺を潰そうとしてくるだろう。
そう思っていたのだが、予想していたような反応はなかった。
全員が俺を振り向き、言葉も出ないという様子で押し黙っている。
困惑していると、鬼の形相をした佐藤が詰め寄ってきた。
「てめぇキモ川! 白崎さんと付き合ってるって、どういう事だよ!」
「……はぁ!?」
性懲りもなく佐藤が胸倉を掴んでくるが、この際それはどうでもいい。
「俺が白崎と付き合ってるって、どういう事だよ!」
「惚けるんじゃねぇ! 白崎さんがそう言ってるって噂になってんだ! 昨日お前に告白してオーケー貰ったって! それで学校中大騒ぎだ! どうせてめぇの事だ! なにか卑怯な手を使って白崎さんの弱みでも握ったんだろ!」
「……なるほど。そういう事か」
やられた。
あの女、なんて真似しやがる。
白崎の影響力なら、嘘だって本当になる。
嘘告が失敗したから、強硬手段に出たのだろう。
「ふざけやがって!」
佐藤を張り倒すと、俺は二組に突撃した。
「白崎! てめぇ、どういうつもりだ!」
学校一の美少女にして難攻不落の高嶺の花に彼氏が出来たのだ。
二組には事情を聞きに来た大勢の野次馬が押し掛けて大混雑していた。
その全員が親の仇でも見るような目で俺を振り返る。
そんな事で怯む俺じゃない。
「なに見てやがる! ぶっ飛ばされてぇか!」
逆に脅し返し、道を開けさせる。場数が違うんだよ場数が!
「あ、ダーリン! わざわざ朝の挨拶をしに来てくれたのぉ~? 私、うれぴっぴだっぴ!」
俺を見つけると、白崎は満面の笑みを浮かべ、スキップで近寄ってきた。
「誰がダーリンだ! このホラ吹き女が! てめぇ、そこまでして俺を貶めたいのか!?」
頭を鷲掴みにしてやろうと手を伸ばすが、白崎はひらりと避けやがった。
「違うってば。私はただ、黒川きゅんの事が好きなだけ。恋に貪欲な普通の女の子だっぴ!」
「まだ言うか!」
どれだけ手を振り回しても、白崎は宙を舞う木の葉のように掴みどころがなく捕まえられない。
「んも~。ダーリンってば、私達の関係、フライングで話しちゃったからってそんなに怒る事ないでしょ? 本当黒川きゅんってば照れ屋さんなんだからぁ~」
背後に回り込むと、白崎は周りの連中に聞かせるような大声でわざとらしく言った。そうやって、間違った事実を広める作戦なのだろう。
「違うって言ってんだろ!? 黙らねぇとぶっ飛ばすぞ!」
「いいとも! 黒川きゅんの愛の鞭なら大歓迎。さぁ熱烈に、ばしーんといっちゃってください!」
拳を振り上げる俺に、白崎はワクワクしながら両手を広げた。
やられた。
また嵌められた。
ここで手を出したら、俺は無実の彼女を殴り飛ばしたDV男だ。
釈明の余地なく一発停学だろう。
そこまで見越して挑発してきたに違いない。
なんて恐ろしい女だ。
舌打ちを鳴らして拳を下ろす俺に、白崎がニンマリと悪魔の笑みを浮かべる。
くるりと背を向け、ギャラリーに説明するようにして言った。
「ほら、みんな見た! 黒川きゅんはぱっと見は悪魔みたいだけど、本当は平和的で優しい人なんだよ? 私が怪我しそうになった時だって、颯爽と駆けつけて助けてくれたんだから!」
「……それがお前の目的か?」
「ワッツ?」
白崎が振り返る。
「そうやって俺のイメージをぶち壊して、ささやかな平穏を奪うつもりなんだろ!」
白崎はキョトンとすると、呆れた顔でポンと俺の肩を叩いた。
「黒川きゅん。今時鈍感系なんか流行んないよ?」
「うるせぇ! 俺は絶対騙されねぇからな!」
「シャラップ! 私だって絶対諦めないんだから! 誰がなんと言おうが黒川きゅんは私の彼ピッピなの! こういうのは声が大きい方が勝つんだから。やーいやーい!」
顔の横で手をひらひらさせ、白崎が小躍りする。
「こ、の、ア、マぁあああああ……」
拳を握って呻る。
いい加減マジで手が出そうだ。
そこでチャイムが鳴った。
「ほらー。なにしてる。チャイムなってるぞ。お前ら自分の教室に戻れよ~」
教師の登場に、やむなく俺は一時撤退を余儀なくされた。
「白崎、覚えてろよ!」
「キュン! ダーリンの事、忘れるわけないじゃん! 黒川きゅんこそ、私の事忘れないでね! むーチュッ!」
白崎の投げキッスを叩き落としてげしげし踏みつけると、鼻を鳴らして一組に戻った。
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