二人の恋のその先に

和響

第1話

あや、ちょっといい?」


 突然の呼び出しに、私の心臓はどきりと動きを止め、氷のような冷たさが背筋をつたった。呼び出してきたのは、同じクラスの萌々寧ももねだ。


 同じ子供会で家も近かった私と萌々寧は、小さな頃からよく一緒に遊んでいた。保育園からずっと一緒の萌々寧と私は、一般的には幼馴染みというのだろう。


 幼馴染み、聞こえはいいけれど、実際はそんな仲が良さそうな関係ではなかった。


 萌々寧は男の子たちとオンラインゲームをしたり、ショッピングモールに出かけたりするのが好き。反対に私は家で本を読んだり、何かを手作りするのが好き。そんな正反対の性格をお互いに自覚し始めたのはいつの頃だっただろうか。私は幼馴染みだとはいえ、萌々寧のことが苦手だった。きっと、萌々寧は私のことが苦手というよりは、嫌いなのだと思う。


 そんな萌々寧からの突然の呼び出しに、私はひとつだけ思い当たることがある。大地だいち君のことだ。


 大地君とは同じクラスのイケメン男子で、萌々寧の元カレである。高身長、剣道部、おまけに最近では頭もいい。なんでも揃っている大地君のことを萌々寧はまだ好きなのだろうか。別れたのはもう半年以上も前なのに。なんなら、その後、萌々寧は誰かと付き合っていた気がする。


――はぁ、やだな。めんどい。


 そうは思うけれど、呼び出された以上無視はできないと、私は萌々寧について渡り廊下までやってきた。窓の外は寒々しく風が吹き、落ち葉が中庭を駆け回っているのが見える。もう直ぐ十二月。渡り廊下のクリーム色の床は心なしか寒々しく見えた。クリーム色じゃなくてグレーだったのかと思うほどに。


――もう、本当にやだ。チャイムがいますぐここで鳴ればいいのにな。


 しかし残念ながら昼休み。まだチャイムが鳴るには時間があった。渡り廊下の先には体育館がある。誰か一人くらい体育館に向かう人がいてもいいはずなのに、五時間目にどのクラスも体育館を使わないのか、誰も渡り廊下にはやってこない。つまり、萌々寧と二人きりで逃げ場所がない状態ということになる。窓の外に視線を貼り付けている私に萌々寧は攻撃を開始した。


「あのさ、綾ってさ、大地と付き合ってるわけ?」


 大地君のことは確かにずっと好きだった。大地君が中二の時に東京から転校してきて、私は一瞬で恋に落ちた。まるで小説の中の登場人物みたいなどこか陰りがあるイケメンは、小中同じ顔ぶれの田舎の中学校にはいなかった。でも、それは誰にもいえない私の秘密の恋であって、決して付き合ったりしているわけではない。


「付き合ってない」


――まだ。


 「付き合ってない」の後ろに脳内で「まだ」とつけるのには理由がある。夏休み、大地君から「好き」だと言われ、同じ高校に合格するまではお互い勉強を頑張ることにしているのだ。大地君はいつか小説家になりたくて、私は読書が好きだから、きっと私のことを好きになってくれたんだと、私は思っている。でも、それは誰にもいえない私と大地君、二人だけの秘密だ。


「じゃあなんで、大地は最近あんたの近くにいくの?」


「え?」


「休み時間の度に本を読んでるあんたの近くの席に座るじゃない」


「そ、そうかなぁ? 私、本読んでてそんなの気にしてないし、萌々寧の気のせいだよ」


「まじで? 嘘ついたらまじ許さないから」


「本当だって」


――まだ、付き合ってないもん。嘘はついてないよね。


「じゃあ大地のことは好きでもなんでもないんだよねぇ?」


「え?」


「大地のことが好きか嫌いかを聞いてんの」


 付き合ってないことには否定はできる。でも、好きという気持ちには否定ができない私がいる。「好き」の気持ちに嘘だと言いたくはない。


――でも……。


 ここで大地君のことが好きだと萌々寧に言えば、私はきっとクラスで仲間外れにされてしまう。また昔みたいに、「本ばっかり読んでて陰キャなやつ」と影で言われ、クスクス笑う気配を感じながら学校生活を送らなきゃいけない。私は萌々寧からそんな嫌がらせを受けたことがあった。小学四年生の時の話だ。


 今でもよくわからないのは、私の一体何が悪かったのかということだ。休み時間に本を読んで、休みの日には家族で出かけるか、手芸センターで買ってきた材料で何か作って楽しんでいるだけだったのに、萌々寧はそれが気に入らなかったらしい。「遊ぼうよ」と誘いにきたのを断ったのが気に入らなかったくらいしか、思い当たる節はなかった。下校の道々、嫌な言葉を吐き捨ててくる萌々寧がその時から私は苦手になった。正直、もう絡んできて欲しくないほどに、苦手だ。でも、今は逃げられるような状況ではない。


「なに黙ってんの? 大地のことが好きか嫌いか聞いてんの」


「えっと……」


 言葉に詰まる。どうして萌々寧はこんなにも昔から威圧的な態度で私に接してくるのだろうか。他の人にはきっとこんなに嫌な感じでいないはずなのに。私にだけはいつもこうやって攻撃的だ。それが幼馴染みだというのであれば、私は幼馴染みなんかいらない。なんでも言いたい放題言って平気だと思ってるなんて、友達でもない。何か言わなくてはと、汗をかき始めた手をギュッと握りしめた。萌々寧の攻撃は自分の思う結論が出るまで終わらない。


「ねぇ、聞いてるんだけど。大地のこと、好きなの?嫌いなの?」


「嫌いじゃない……、あ……」


 大地君のことを嫌いなわけないじゃないかと思う、もう一人の自分が勝手に言葉を出していた。


「嫌いじゃないってことは、好きってこと?だよね?」


「いや、違くて、嫌いではない。でも……」


――好きじゃないなんて言いたくない!


「でも……」


「はぁ? でもなんだって?好きかどうか聞いてんだって」


「あ……、す…きじゃない……」


 頭の先から身体の中の大事な何かが、ずどんと音を立てながら足元に落ちたような気分だった。だからなのか、妙に身体がふわふわとしている。窓の外で吹いている冬型の風で吹き飛んでゆくくらいに、抜け殻のような自分の身体の輪郭だけが感じられる。


 萌々寧は、そんな私の様子と回答に満足したのか、「ふうん、よかった」と言って、渡り廊下を教室がある方向へと引き返して行った。


 窓にもたれかかり、私はずりずりと床に座り込んだ。じわじわと目には涙が滲んでくる。私は心の中で、「大地君が好き大地君が好き大地君が好き大地君が好き」と何度も何度も言っては、「好きじゃない」と言ってしまった自分を打ち消した。


――誰にも言えない恋だけど、私は大地君のことが好きなんだよ。大好きなんだよ?



 私が恐れていたようにクラスの中では私に対しての女子の視線が冷たくなっているような気がしたけれど、昔のようなことまでは発展せず、私は思っていたよりいつも通りの日常を過ごした。


 でも、心の中ではいつまた萌々寧から仲間外れにされるのか、ずっとそれを恐れていた。大地君が私の近くの席に来るようなことがあれば、席を立ってトイレに行ったし、なるべく大地君のことを見ないように努力した。


 年が明けてしばらく経った頃、萌々寧は転校して行った。ずっと病気で入院中だったお父さんが亡くなって、お母さんの実家に引っ越すことにしたらしい。萌々寧が最後に学校に来た日の夜に、私のRINKに萌々寧からメッセージが届いた。


《 ずっと嫌なことしてきてごめん。綾とずっと本当は友達でいたかった。》


 お母さんから聞いた話だと、萌々寧のお父さんはもうずいぶん前から入退院を繰り返していて、一人っ子だった萌々寧は、いつも一人で家にいたそうだ。あの、私が遊ぶのを断った日も、もしかしてそんな日だったのかと思ったら、胸が苦しくなった。なんでそうやって言ってくれなかったのかと思ったけど、休みの日に家族で仲良く出かけていく私を見て、言う気になれなかったのかもしれないと思った。保育園からずっと一緒だったのに、萌々寧の内側を知ることなく私たちはお互い傷付け合っていた。


 萌々寧は、誰にも言えない寂しさの中で生きていたのかもしれない。


 私は、涙を手で拭いながら、萌々寧に、《 ずっと友達。幼馴染みだよね。》と返信をした。萌々寧のお母さんの実家は隣の県だけど、またいつか会える日が来るかもしれない。そう思いながら私は萌々寧にRINKした。







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