甘味と苦味

 一度解散して自宅に帰り、諸々の用事を済ませた後で、再び町の広場で集合した二人。

 紡はいつもの袴姿であったが……少し遅れてやってきた麟は、シャツにネクタイ、吊りズボンといった所謂『モダンボーイ』な出立であった。

 頭にはご丁寧に洒落た帽子まで被っている。


「麟、その格好は……」

「これかい?霧の帝都からの輸入物なんだけど、結構涼しくて良いよ。紡もどう?」

「俺が……?」


 紡は、目の前の麟が纏っている服を自分が着た姿を思い浮かべた。

 しかし、やはりどうしても想像上の自分は妙ちくりんに思えてしまい、いやいやと首を横に振る。


「俺は遠慮しておくよ……」

「そうか」

「……。」


 麟の頭から爪先までを、紡は順に見た。

 自分よりも背も高く、顔立ちも綺麗に整っている。

 今の異国の服も良く似合っており、正に美男子と呼べる風貌だろう。

 紡がそう思ったところで図ったように、通り掛かりに麟を見た女子が二人、きゃあ、と黄色い声を上げて何やら話をしながら去ってゆく。


「腹立たしいことだ……」

「紡?」

「いや、何でもない。行こう」

「ああ、うん」


 時刻は二時前、一日の中で最も気温が高くなる時間帯である。

 この日は道のずっと先を見ると、陽炎が立ち昇っているような有様であった。

 二人並んで、快晴の空の下を歩く。


「それで、宛てはあるのか?」

「うん。前からね、一度入ってみたいと思っていた店があるんだ」

「へぇ。どこだろう」

「確か、『カフェー・マスカレェド』といったかな……」

「かっ……!?」


 紡は、麟の口から出たその単語に思わず咽せかえる。

 げほげほと咳き込む紡を見て、麟は目を丸くしていた。


「ええと、ごめん。都合の悪い場所だったかい?」

「いや、別にそういう訳ではないが……」


 『自分が世界の崩壊を止めるべく敵と戦う戦士となるために契約を交わした人物』がやっている店だ、などと言えるはずもなく、紡は頭を掻きながら「気にするな」と伝えた。


 十四、五分ほど歩いて辿り着いた、見覚えのある扉の前。

 看板には『カフェー・マスカレェド』の文字、それからおあつらえ向きに『アイスクリームあり〼』と張り紙。


 麟が自ら進んで店に入ろうとしないので、紡は真鍮製のドアハンドルを握り、扉を押し開いた。

 ドアチャイムが鳴り、カウンターの奥にいた浅黒い肌の男性が来店した人物へと目を向ける。


「いらっしゃい。……おや?紡か、よく来たね。」

「こんにちは、お邪魔します」

「ゆっくりして行きなさい。そして、そちらは?」

「紡の友人で、龍門寺麟と言います。」

「麟か、よろしく。歓迎するよ」


 二人は男性……この店ではマスターと呼ばれている人物に挨拶を済ませ、通された窓際の席へと座る。

 窓からレースカーテンを押し退けて吹き込んでくる風が、汗ばんだ体に心地よい。

 店内には他にも二組の客がおり、おしゃべりしたり新聞や本を読んだりと各々の時間を過ごしている。


 紡がふと向かいを見ると、麟が物珍しそうにきょろきょろと辺りを見渡していた。


「……気に入ったか?」

「うん、凄く。とても良い雰囲気の店だ」

「ありがとう、そう言って頂けて光栄だよ」


 二人が言葉を交わしたちょうどその時、トレイに冷水の入ったグラスとおしぼりを乗せたマスターが席にやってきた。

 マスターはおしぼりと結露したグラスを丁寧に二人の前に置き、にこりと微笑む。


「ご注文はお決まりかな?」

「あの、アイスクリームをお願いします」


 麟が少し食い気味にそう答える。

 それこそが彼がここに来た目的そのものなのだから、無理もない。


「アイスクリームね。紡も同じで良いかな?」

「はい」


 紡が頷いて見せると、マスターはオーダーシートにペンで何やら書込み、またカウンターの中へと戻って行った。

 とりあえず、用意してもらったグラスを手に取り、水を喉に流し込む。

 冷たい水が、二人の乾いた喉を優しく潤した。


「生きてる……って感じがするな」

「違いない……」


 グラスを机に置き、二人は頷き合う。

 何をお冷やくらいで大袈裟な、と思うかもしれないが、運動を終えた夏の日に冷たい飲み物を飲んだ時のあの感覚は、何にも変え難いものなのだ。


「ところで、麟。合同練習の事なんだけど……」

「ああ、大丈夫。神代道場の方はまだ暫く難しいけれど……俺がそちらに赴く分には、問題ないよ」

「そうか、有難う。尾根山の門下生達の反応は予々、好感触だった」


 紡と麟は、互いに対立した剣の道場に通っている。

 それぞれの教える流派の中に、長所と短所が存在することを知った上で……それを補い合う為に二人は共に稽古を行なっていた。

 それから四ヶ月、互いが相手の流派の教えを一通り理解した頃、道場間での合同練習が出来ないかという話が出たのである。

 この四ヶ月間で、明らかに二人は自分達の技量が上がったことを実感していた。

 だからこそ、これを自分たちだけがものにするのは勿体無いと感じたのである。


「でも……良いのか?こちらだけ稽古をつけてもらう形になっても」

「別に気にする事ないよ。いずれ、神代がボロボロに負けるようになれば、その理由を知って自ら教えを乞うようになるさ」

「そ、そうか……」


 くすくすと笑ってそんなことを言う麟。

 これまでの付き合いの中でも薄々感じていたことだが、麟はあまり父親が構える道場に対して誇りを抱いていないらしい。


「紡の先輩や後輩か。余り意識して見ていなかったけれど……尾根山は、門下生同士の仲が良いよな」

「まぁ、な。後輩に少し目上への敬意を欠きすぎた奴もいるけど」

「凝り固まった関係性より良いって」


 そんな話をしていると、小さな人影が二人の元へとやってくる。

 ギャルソンエプロンを腰に巻いた、十歳にも満たないであろうその少年は、アイスクリームを二つ乗せたトレイを両手で持ち、恐る恐るといった風に歩いていた。


「おまたせしました」

「ありがとう。これがアイスクリームか、思っていたのとは少し違った見た目だな」

「……」


 少年が机に並べるアイスクリーム。

 白い二つの半球体が、表面を少しだけキラキラ輝かさせながら可愛らしいガラスの器に乗せられている。

 器の端にはホイップクリームが綺麗に盛られており、その上にちょこんとミントの葉が飾られていた。

 しかし、紡はそのアイスクリームではなく、少年の顔をじっと見ていた。


「……なんですか?」

「ああ、いや!すまない」


 少年が仏頂面で問いかけると、紡は慌てて視線を逸らす。

 少年は怪訝な顔をして、目的の配膳を終わらせると、さっさとキッチンの方へと引っ込んで行ってしまった。


「知り合いかい?」

「知り合いでは、ないけど……多分、あの子のことは知ってる」


 約一年ほど前の迎撃戦で打ち倒した『凝華の怪物ディセンション』。

 その正体は、愛する息子が迎える運命を憂う一人の母親であった。

 紡と絃、それから霧の騎士ミストナイト達に打ち倒され、塵となった母に縋り付くようにして泣いていた少年が、あの場所に残されていたのを覚えている。

 ……そして紡には、彼の存在に紐付くとある事実のことも、忘れようがなかった。


「紡、考え込むのは後にしよう。アイスクリームは氷菓子だから、早く食べないと溶けてしまうよ」

「……そうだな。」


 少し表情を暗くした紡を見て、麟はわざと戯けたようにそう言って見せる。

 ……どうせ、今悩んでも何の手の打ちようもないことなのだ。

 紡は頷くと、用意されていた華奢なスプーンを手に取った。


 匂いは、余りしない。

 端の方のほんの少しをスプーンで掬い、目の前に持ってくる。

 氷菓子という割にはなめらかで、アイスクリームのかけらは白い痕跡を残しながらスプーンの上を滑っていた。


 落とさないように気をつけて、そっと口に運ぶ。

 最初に感じたのは、やはり冷たい感触。

 それから間を置かず、とろりと舌の上でとろけたアイスクリームが、濃厚な甘みを味覚に伝えてきた。

 バニラの風味が口の中に広がり、筆舌しがたい幸福感へと変わっていく。


「美味い……!」

「うん、本当に!」


 紡が驚いて麟の顔を見ると、麟も珍しく目を見開き、口元を手で押さえていた。

 それからは二人ともただ黙々と、手にしたスプーンを動かし続ける。

 綺麗に盛り付けられていたアイスクリームは、瞬く間に器の中からその姿を消してしまった。


「……ご馳走様でした」


 紡はそう言うと、手を膝の上に戻す。

 あっという間に食べ終わってしまったが、汗も引いたようで、随分と涼を取ることが出来た。

 向かいでは麟も、満足げな顔で口元を拭っている。


「おや、もう食べ終わってしまったか」


 マスターが二人の前に置かれた空の器を見て、小さく笑いながら席の方へとやってきた。

 麟はぺこりと小さく頭を下げる。


「すごく、美味しかったです。今日ここに来れて本当によかった」

「それは何より。…‥ちょっと遅かったかもしれないけど、こちらをサービスしよう」


 そう言って、マスターはテーブルの上に二つ、少し背の高いグラスを置いた。

 それぞれストローが刺さっており、中には濃茶色の液体が入っている。


 珈琲コーヒーだ、と紡は心の中で呟いた。

 何を隠そう、実は彼はこの飲み物が少し苦手なのである。

 ミルクと砂糖を多分に入れれば飲めなくはないが……そこまでしても別段旨味を感じることが出来ないのだ。


 ただ、目の前で麟はそのグラスを手に取ると、顔を近づけて言った。


「香ばしくて良い香りですね。頂きます」

「あ、麟!それ、まだ何も入って……」


 紡の静止も虚しく、麟はストローを咥える。

 間もなく、その管の中をコーヒーが通っていくのが見えた。


「おや、珈琲は好きなのかい?」

「……いえ、初めて飲みました。でもコクがあってとても美味しいです」

「な……」


 マスターの問いに微笑んでそう答える麟を見て、紡は絶句する。

 『コクがあって美味しい。』

 紡にはそれが、あの苦いものを飲んで出る感想だとはとても思えなかった。


 石像になっている紡に気付いたマスターは、「ああ」と手を打つと、トレイの上に残したままであったミルクと砂糖の入った小さな壺を彼の前に並べた。


「悪かったね、そういえば前も……」

「いえ、要りません……っ!」

「ええ?」


 紡はぎりり、と奥歯を噛み締め、絞り出すような声でそう言った。

 マスターは困惑した表情を浮かべ、麟は不思議そうに目をぱちくりと瞬かせている。


 歳も同じ、剣の腕も拮抗している麟が苦汁ブラックコーヒーを飲んだのだ、自分だけが甘えるわけにはいかない。

 そんな事を思い、紡はグラスを手に取った。

 ……要は目の前の二人に、自分のことをお子ちゃまだと思われたくなかったのである。


 ストローを脇に避け、グラスの淵に口を付けると、息を止めて一気に飲み干す!

 途中で間を置けば、味覚が刺激されてしまうような気がして……とにかく冷たい液体を嚥下することだけに集中した。


 麟はそんな紡の事をぽかんとした顔で見つめていた。

 やがて、紡は氷だけになったグラスを机の上に置く。


「ご、ご馳走様でした……!」

「なんというか……良い飲みっぷりだったね?」


 マスターは笑いを堪えるように咳払いをひとつすると、カウンターからピッチャーを持ってきて、紡にお冷やを差し出す。

 明らかな気遣いに、紡は少しだけ恥ずかしくなりながらも……大人しくそれを受け取った。


「そろそろ、キッチンに戻ろうかな。また何か欲しいものがあれば遠慮なく呼んでくれ」

「はい。ありがとうございます」

「それでは、ごゆっくり。」


 一礼するマスター。

 カウンターの奥へと帰っていく彼に、二人は軽く頭を下げた。


「それにしても、紡」

「……うん?」

「何も、張り合わなくてもいいのに」

「べ、別にそんなのじゃない!」


 紡は慌てて否定するが、麟はそんなものはお構いなしに、くすくすと笑う。

 見栄を張り、無理をしてブラックコーヒーを飲んだのが事実である以上、紡にそれ以上語れることはない。


「君は、本当に分かりやすいなぁ」

「それ以上言うな……」


 羞恥に顔を赤らめてそっぽを向く紡。

 彼は、この場に絃が居なくて本当によかった、と心から思うのであった。


「良いじゃないか、苦手なものや嫌いなものがあっても。」

「……みっともない姿は見せたくないんだ。親しい相手には、特に」

「親しい相手……か。嬉しいな」


 何気ない紡の言葉に、麟は微笑む。


「だけど、俺は知りたいよ。紡が苦手なこと、困ってること。」

「何で、また」

「だって知らないと、助けになれないじゃないか」


 麟のそんな発言を聞いて、紡は彼の方へと視線を戻す。

 少し傾いてきた陽光。

 レースのカーテンに遮られたその光が、麟の艶のある髪を淡く照らしていた。

 ……確かに自分もつい数時間前に、『麟が弱い部分を見せてくれると、信頼されているようで嬉しい』と、そう思ったところなのだ。


「紡。君は何か、大きな隠し事を抱えてるだろ。……違うか?」


 紡は、射抜くような麟の視線にはっとする。

 何度も試合を重ねる中で見てきた眼だ。

 まるで、獣を思わせるような……ただただ、強い意志を持った眼差し。


「……」

「紡が陰で心を砕いてるのだとしたら……俺に何か、力になれる事があるならば。聞かせて欲しいんだ」


 言葉を失う紡を知りながらも、麟はそう続けた。

 剣を交える時と同じ。麟は、紡に敵意を抱いているわけではない。

 ただ真っ直ぐに、自分の想いを伝えているだけだ。それは紡も理解している。

 麟が、心から自分に手を貸したいと思っている事も、痛いほどに伝わってきていた。

 それでも……親しい友人だからこそ、云えない事だって存在するのだ。


「時が来たら、話すよ。」


 紡は揺らがぬ瞳で正面を見据え、応える。


「……分かった。約束だ」


 麟は納得はいかない様子であったが、紡の態度を見て言葉を収めた。


 紡は、心の中で小さく謝る。

 ……きっと、その『時』は来ないのだろう。

 人智を超えた博打に、大切な友人を巻き込んで良い筈など、無いのだから。


「悔しいな」


 そんな風に小さく呟く声は、紡の耳には伝わらなかったことにしておこう。

 麟は窓の外に目を向け、もくもくと青空に立ち上りつつある入道雲を眺める。


 二人の間で、グラスに残った氷が滴を流し、からりと音を立てた。

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アイスクリーム はるより @haruyori

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