第5話
うーん、、、目が覚めると頭が痛い。
目の前には白い床と天井。
なんの匂いもしない狭い空間。
あぁ、ここはお風呂場だ。
そういえば、浴槽に頭が赤い魚の唯愛がいたような。
浴槽を見上げると、その姿はなかった。
しかし覗き込むと、赤い魚がヒラヒラ泳いでいた。
「おーい、唯愛?」
魚に声をかける。返事はない。
「唯愛ってば。」
魚は声なんて届いていないように、水を張った浴槽をスイスイと泳いでいる。
なんだよ。
やっぱりさっきまでのは悪い夢だったのか?
普段あんな会社で勤めているから、あんな夢見たんだよ。
ついには精神までやられてきたか。
魚に声をかけてるなんて、流石におかしすぎる。
唯愛、人間が魚なわけないだろ。
だって、さっきの夢で見た赤い魚は人間の頭くらいの大きさがあった。
今浴槽で優雅に泳いでいる魚は、金魚や鮒のような大きさだ。
そもそも、唯愛が魚になる瞬間を見ていない。
さっきの魚だって、唯愛の声がしたからそう思っただけで、そもそも錯覚かもしれない。
だって頭が魚で、体が人間、そんなもの存在しないのだから。
だからこの浴槽で泳いでいる魚も何も関係ない赤の他魚なのだ。
浴槽で勝手に泳がせるなり、少し大きな水槽に移すなり、ほっとけばいいのに
なぜかその魚を1人にしておいてはいけない気がした。
「俺の会社に嫌な奴がいてさ、休日でもこれ見よがしに連絡くるの。
でも、休日に働かなきゃいけないなんて、自分の無能を晒しているようなもんじゃん。でも言わなきゃやってられないんだろうね。」
俺は魚に話しかけていた。
会社の愚痴、最近の楽しみのプロ野球、
「本当は俺もかわいい彼女が欲しくて、せっかく東京にいるんだから、休みの日は遊園地でも公園でもどこでもいいからめいいっぱいやりたいことやって笑っていたい。」
なんて願望までいいだした。
魚は何を言っても返事をせず、スイスイと泳いでいる。
自分の口からは言葉が止まらなかった。
普段あまり口を開いていないから、パワーが有り余っているのかもしれない。
「唯愛とだって、いろんなとこにいきたい。
本当は夜だけじゃなくて、昼もあっていろんなことしたい。」
「したらいいじゃん。ずっとここにいるんだし。」
突然唯愛の声がした。
魚から?
「唯愛、唯愛?」
魚に向かって声をかける。
「ここにいるよ。」
魚からではなく、もっと遠いところから声が聞こえる。
どこ?でも状況的にはこの魚しかいない。
不安になった。
辺りをみわたしても、白い壁と床。
僕は魚を置いて、浴室を出ようとする。
浴室の戸に手をかけても、戸はうんともしない。
叩いて、蹴って、もがいた。
なんとかここから出よう。
「大丈夫だよ。」
唯愛の声がする。
魚よりもっと遠いどこか。
魚と2人、閉じ込められた僕。
気持ちが悪くなってきた。
酸素が足りない。水が欲しい。
頭が混乱しすぎている。
どこから声が聞こえるんだ。
誰?唯愛じゃないの?この魚は何?
「全部落ち着いたら、好きなことしよう。」
声が響く。
苦しい苦しい苦しい。
なんなんだ。これも悪夢?
どうしてこの狭い空間から出られないんだ。
「そんなに暴れないで。そばにいるから。」
唯愛の声。やっぱりこの魚が唯愛なのか?
それともこの浴槽自体が彼女なのか?
助けてほしい。
気付いたら俺は涙を流していた。
泣いた。声を出して。
なんで泣いたかは、はっきりとわからなかったけど
泣くとなんだか体の中に溜まっていたいろんなものが流れ落ちていって
浄化されていく気がした。
何か温かいものに包まれた気がした。
それは気のせいかもしれない。
白一面の浴槽は、防犯上の設備から窓はないのだから。
それでも僕は何かに守られた気がした。
狭い空間だからだろうか。
ここなら、風間部長も、あの薄暗いオフィスも、ふらつくような夏の暑さも、したかった願望も、都会への憧れも、全て全て忘れられる気がした。
そしてまた僕は眠りについた。
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