第31話 ジャンヌ・ダルク

少女は生まれながらにして聖女であった。どんな平民より恵まれたその能力は人々に重宝された。


次第に少女は聖女としての自分の役割に責任を感じるようになった。治せなかった時、患者が困った顔をしてしまった時、彼らは皆少女を責める、それはまだ年端も行かない少女にとっては辛い経験であった。


「おい!なんでこれが治せないんだ!」「ちょっとこれを治してもらわないと困るのよねぇ」

対価を払っていないのにこんなにも責める人々に呆れ、どうしようもない自分の無力さに嘆いた。


そのせいで少女の心は徐々に摩耗していった、そして少女は我慢できずに逃げ出した。逃げて逃げて逃げた先で、腐った街グレイスに辿り着いていた。


だがその街での生活ももちろん楽なものではなかった。街を歩けば平気で死体が落ちているし、腐卵臭のする街道には何度も吐いたし、気味の悪い連中に絡まれたこともあった。


だけど一度力を見せれば彼らは皆少女を褒めたたえた。それは嬉しかったけれど、少女は知っていた、人間は分け与えられた幸福に慣れ始めると図に乗り出すということを。


「ありがとなジャンヌちゃん、なんか治った気がするよ」「なぁに治せなくても気にするなよ、俺にとってはかすり傷さ」


だが意外なことにこの街の人々は誰も少女を責めなかった。もちもん嫌な顔をする人はいたけれど決して口に出すことは無かった。


「皆、優しい」


少女はそう思った。しかしその優しさが逆に辛かった。治してあげられなかった時、少女は夜通し泣いた。ごめんなさい、ごめんなさいと自分の中で謝り続けた。


そんな時、少女の中にもう1人の存在が現れた、その存在はどこか空虚でモヤのように実体がないものだった。


「私があなたの身代わりになる」


その存在はそう言った。少女は自分の中に現れたその存在にジャンヌという名前をつけた。この名前は少女の名前から抜き取ったものであった。


「あなたは全てを受け入れてくれるの?」

「はい、あなたの為ならば」


少女はその言葉にすがった、人を治せなかった責任感もこの街で起きる酷い事件による不快感も悪意も全部その存在に押し付けた。そのおかげで少女は聖女で居続けることができるようになっていった。


だがいい事ばかりでは無かった。少女がジャンヌに負の感情を押し付ければ押し付けるほど、彼女の中のジャンヌの割合が高くなっていく。


そしてついに昼は少女、夜はジャンヌという割合にまでジャンヌは成長してしまった。なおも増長する悪意に危機感を覚えた少女はターゲットを悪人に絞りジャンヌに殺させた、悪意の発散のためである。


その方法をとることによってしばらくは均衡を保っていた。だがそこにイレギュラーが現れた。ジルという少年である、少女は初めて恋心というものをその少年に抱いた。


ドキドキして胸踊るその感情に少女は浮き足立っていた。少年のまるで英雄のようなその姿に惚れたのだ。しかし少年にはすでに恋している人間がいた、少年自身がその感情に気づいているかどうかは分からないが少年の心は間違いなく少女ではなくその人間へと向けられていた。


少年がその人間についての話を生き生きとする度に少女の心はきつく締められるように苦しくなった。少女はその苦しみさえもジャンヌに押し付けてしまった。


そして均衡が崩れた。今までなんとか悪人を殺すことで保っていたものが決壊してしまったのだ。


だがジャンヌは少女のことを心から心配していたため身勝手に人を殺すなんてことはしなかった。


ジルを除いては、ジャンヌにとってジルは少女の心の傷の対象でしか無かった。だからターゲットになってしまったのだ。


「やめてジャンヌ!ジルを傷つけないで!」

「だけど⋯⋯」

「お願い!」

「⋯⋯了解した」


なんとかダルクの必死の願いによってその場を引いたジャンヌだったが納得は行って無かった。


そのせいかジャンヌが暴走してしまうのはそこからそう遠い未来ではなかった。


クルティカ、この男の底知れぬ悪意に晒され優しい少女の精神は崩壊した。その弾みによって少女の精神はほとんど消失し、ジャンヌの精神だけが残り、そしてその多量の悪意によって暴走した。


それが悪意の塊ジャンヌ・ダルク、今、カイナの目の前に立っている存在である。


「殺す」

「あなたは、誰?」


カイナが鉄格子越しにジャンヌを見ると、ジャンヌは拳を振りかざし、鉄格子をまるでプリンのように引き裂いた。


「!」

これにはカイナも驚きを隠せない。


「殺す」

目の前に立った鬼の面被ったジャンヌは腕を振り上げ、そして下ろした。


「っ!」

魔術も使えず足も縛られた状態の今のカイナでは避けることが出来ない不可避の攻撃。目の前に迫った恐怖から反射的に目を背ける。

(ジル様っ!)

カイナが最後に思ったのは愛し人への情景であった。


(助けて!)

そしてその心の叫びは英雄かれに届いた。


「間に合った」

「え」

いつまでも訪れない自らの死に疑問を感じながらもゆっくりと目を開ける。そして彼女は見る、その姿を。


「もう大丈夫だ、俺がいる」

「ジル、様」

ジルはカイナの前に立ち、ジャンヌの拳を細い爪のようなもので受け止めていた。だがその体は震えており拳を受けて止めるのが容易ではないということを如実にものがたっていた。


「どう、してっ」

カイナが今にも泣きそうな震えた声で聞く。こんなに弱々しい声をカイナから聞いたことが無かったジルは少し意外そうな顔をするがカイナの体の状態を見てすぐに納得した。

「すまないっ、今はそんなに余裕がなくてなっ!」

ジルがジャンヌの拳を逸らし、地面に叩きつけた。その数瞬の隙を狙い渾身の蹴りをジャンヌの鬼の面に向かって放った。


ジャンヌは冷静に顔の前で腕を重ね威力を軽減させる。それでも蹴りの威力は強かったようでジャンヌの体は数メートル程吹き飛ぶ。


「さて、また会ったな殺人鬼」

「殺す」

「はっ、やってみろ」


ここに英雄対殺人鬼の再戦が始まった。





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