第17話

 ジルが帰って数十分後の現場にて


「ん?なんだあれ」

「どうした?」

「いやなんかあそこにでっかいネズミみたいな⋯⋯」

 働いていた二人の男がレンガを片手に遠くに目を凝らすとネズミのようなものを見つけた。

「なぁあれって⋯⋯」

 片方の男が瞬きをしてもう一度開いた時には先程までそばにいた男の首は無かった。

「は」

 そしてそれを見ていた男もまた目の前の状況を理解することすら出来ずにその生涯を終えた。

「きししししししししししし」

 二人の男を殺したネズミは口から血を垂らして笑みをこぼす。まるで殺しを楽しんでいるかのように。灰色の毛皮は荒々しく逆立っており、その図体は優に熊を超えていた。一般人が見れば卒倒するような鋭く赤い眼光もそのネズミの巨大さを増長させていた。


「なんだありゃぁぁぁぁ!」「はっはっはっ!でけぇネズミ!」その光景を見ていた殺された男たちの同僚は殺された男達のことなどには目もくれず突然現れたネズミに興奮していた。

「なぁ、ここらが俺らの死に場所なんじゃないか?」

「あぁそうだぜきっと!」

「おい待て!お前ら!」

 リートンの声など聞かず男達は真っ直ぐにネズミに向かっていく。狂気だった。一度罪を犯し、そしてその罪を精算せずに生き延びてしまった人はきっと狂ってしまうのだろう。

 生まれながらにして人は皆善人などということは言わないが、人は皆生まれながらにして純粋なのだ。だから周りの環境がその人間の生き方を決めてしまう。

 しかし、人はその人生で、時に自分の価値を見失ってしまうことがある。自分はなぜ生きているのか、なぜあんなことをした自分が生きてしまっているのか、何をして生きればいいのか、そういう考えが価値を見失うきっかけになる。


 だからきっと彼らは今、死に場所を探してる。

 そんな人間が集まる場所、それがグレイスなのだ。

「お前ら⋯⋯」

 リートンは目の前で自分の元で働いていた男達の首が飛んでいくのをただ見ているしか無かった。


「さぁ最初の試練だぜジル、俺の血を飲ませて強くした強化された魔獣、倒してみろ」

 人間の首が飛んでいく光景をクサナギは屋根の上に上り、見物していた。


 ・


「何が起こっている⋯⋯」

「早く職場に行った方がいい、災害が君を待っている」

「⋯⋯っ!」

マーリンの言葉の端々から感じるその威圧感に押され、俺は職場へとひた走った。


「何が、一体何が⋯⋯」

走っていても街の様子に異変はない。変なのは俺がいた職場から歓声のようなものが聞こえてくるくらいだ。

「なんなんだ一体、なんでゲミルミスが⋯⋯」

訳が分からなかった。今日俺がいた時はなんの変な所もなかったじゃないか、くそっ!意味が分からない。


「あれは」

俺の職場ではなんだか人だかりができているようだった。遠くからだからかよく姿は見えないが後ろ姿だけ見ると俺と一緒に働いていた奴らで間違い無さそうだ。

「っ!」

人だかりが近くなると、耐えられない威圧感が俺を襲う。

「これはっ!」

クサナギの時と同じような冷たくまとわりつくような気迫。あの人だかりの先に何が⋯⋯

歩みを止め、人だかりをかき分けて中心へと進む。ガタイがいいヤツらばっかりだったのが幸をそうし、脇の下をくぐり抜けることですんなりと中心までたどり着くことが出来た。


だが、その中心にあった光景は俺が絶対に見たくないものだった。

「いっけぇお前ら!そこだそこ!」

「あーおっしい!もうちょっとだったのに!」

「次誰行く?じゃあ俺行くわ!」

「あのネズミ倒せたら英雄だぜ!気張れよお前ら!」

異端だった、目の前で光景俺の常識では考えられないような異端のものだった。

人だかりの中心にいるあの巨大なネズミに向かって一緒に働いていた仲間が飛び込んでいく。


「おい!やめろ!」

俺の横にいたやつも飛び出そうとしていたため、両手を使って必死に止める。

「邪魔だ、どけ!この機械を逃したら俺はいつ死ねばいいんだ!」

「ぐっ!」

手を振り払って男はネズミの元まで走り、そして無惨にも首を弾き飛ばされた。


「おい、ジル!」

「メルか⋯⋯」

息を切らした赤髪の少年メルが俺の隣に現れた。

「逃げるぞ、お前はまだまともに見える」

メルは俺の手をしっかり掴み後ろに引っ張ろうとする。

「にげ、る?」

また、逃げるのか?


「いやだっ⋯⋯っ」

あんなネズミに負けたくないと一歩踏み出した瞬間、ネズミの魔獣から強烈な威圧が飛ばされた。その威圧に臆して、踏み出した歩をまた元に戻す。


負けたくない⋯⋯もう逃げないと誓ったはずなのに、立ち向かうのが怖い。

なんで、こんなに臆病になってしまったんだ。ずっと負けっぱなしだ。ヴィルに負けたあの日から⋯⋯。

「おいどうした!早く逃げるぞ!」

「あ、あぁ」

そしてネズミに背を向け、後ろを振り向く。


「あ、カ、イナ」

人だかりの隙間から見えたのは心配そうな瞳で俺を見る、カイナの姿だった。

今の俺は⋯⋯、困難から逃げているだけだ。逃げて、逃げて、逃げて、その先に何がある。その先にカイナがいなくちゃ、俺にとってはなんの意味もない。


「俺は⋯⋯もう逃げない」

「は」

メルの手を振り払って、もう一度ネズミを睨みつける。

「メル、お前は先に逃げてろ」

「は!?お前あいつに立ち向かうつもりかよ!無理だ!俺らみたいな弱者じゃ!どう足掻いても!」

「足掻いてみなくちゃ分からない」

「お前はバカか!?現実を見ろよ!」

メルが俺の胸ぐらを掴み、怒号を飛ばす。


「じゃあお前はその現実とやらにずっと縛られて生きていくんだな、俺はずっと逃げてきたから、だから⋯⋯今度こそは理想をつかみにいく」

「くっ、勝手にしろよ!」

メルは胸倉から手を離すと人だかりをすり抜けながら、遠くへと逃げていった。


目の前にはネズミの手によって次々と殺されていく一緒に働いていた男達、そしてそんな男達を嘲笑うがごとく、ネズミは男達を食い荒らしていく。


『俺がこの街を変える』

リートンにあの時言った言葉、ようやく実行できそうだ。

「勝負だネズミ野郎、魔術・系統・雷・神雷」






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