第10話 出る杭は打たれる

 

せつ、この子に似合う服を」

「壇香さん、と君は……!」

 店にやってきたのは檀香と、いつか破落戸ごろつきに売り飛ばされそうになっていたところを雪藍が助けたガリガリに痩せていた女の子。

 慶鳳楼で良くしてもらっているのだろう、すっかり血色が良くなっていた。 「あ……」

 目線を彷徨さまよわせる少女に、やっぱり男はまだ怖いかと壇香に任せて隅に行こうとした雪藍を檀香が引き留め、耳打ちをした。

「名前が分からないみたいなんだよ、この子」

「えっ……」

「相当ショックを受けたんだろうね。アンタが付けておやり」

「そんな……犬猫じゃないんですから。思い出すまで待てばいいでしょう」

「そうは言ったっていつまでも名を呼ばれないのも可哀想だろう」

「それはそうですけど……」

 大人が二人こそこそ話しているのが気になるのだろう、少女は不安げに視線を彷徨わせていた。慌てて少女の背の高さに合わせてしゃがみこみ、雪藍は少女に話しかける。

 

「君の名前を呼びたいんだけど、呼ばれたい名前はあるかな」

 少女はふるふると力無く首を横に振った。


──困ったな。


 仮の名前とはいえ女の子の名前を決めるなんてそんなのは荷が重すぎると雪藍は眉間に皺を寄せていたが、ピンと壇香に指で弾かれた。

「いっ、」

「なーに難しい顔してるんだい。芸名を付けるのと同じことだろう、うちが預ってるんだからね。アタシが付けてもいいかと思ってたけど、助けたアンタが付けた方がこの子も喜ぶんじゃないかと思ってさ。アンタが名付けた妓女は売れっ子になるしねえ」

「壇香さん、まさかこの子を妓女にするつもりですか」

 冗談を口にした壇香に、本気で非難めいた視線を投げかけてくる雪藍の生真面目さにからからと笑いながら壇香は雪藍の口に砂糖菓子を放り込んだ。


「冗談だよ、十にも満たないガキんちょを座敷に上げるほど鬼婆じゃないよ。妓女になるかどうかはこの子が大きくなってから決めたらいいさ。アンタが名付けた方が喜ぶっていうのは本当だけどね。この子はずっと雪に会いたがってたから」

「そう、なんですか?」

 ちらりと雪藍が少女の方を見れば、少女は恥ずかしそうにサッと目を逸らした。


 可愛らしい子だな、と雪藍は微笑ましく思った。

 以前会った時は分からなかったが、すっかり元気になった少女は白雪のように美しい肌に血色の良い唇、ぱっちりとした目に長い睫毛と、美少女と言うに相応しい見目をしていた。

 何より、聡明そうな顔立ちをしている。

 雪藍は思い付いたというように、筆を取り出して桜色の錦の端切れにさらさらと『天麗華てんれいか』と書きつけた。


「麗華、天麗華はどうかな。麗も華も美しいものを表す字なんだ。美しく優しく、清く、皆に愛される人になって欲しい」

 ぱち、と少女が目を白黒させる。

「あ……嫌だった?待ってね、すぐに違う名前を考えるから──」

 雪藍の言葉に、少女が雪藍の服の裾を掴んで、ぶんぶん首を横に振る。

「気に入ったみたいだねえ。うん、良い名前だ。それにしても、『天麗華』か。アタシの妹が二人に増えちまったねえ」

 どことなく壇香も嬉しそうにその名を眺めて、遠慮してばかりの麗華の代わりにあれもこれもと衣服を買い付けて二人は店を後にした。


「相変わらずパワフルな女人ひとだ」

 やはり壇香に彼女を任せて良かった、と雪藍は麗華の様子を思い浮かべながら笑みを浮かべた。

「お祝いに何か買いに行こうかな。ああ、壇香さんに彼女が好むものを聞いておくんだった」

 困ったなと零した雪藍だが、店先で何かしらいいものが見つかるだろうと思い直して出かけることにした。


 路地を歩いていた時、不意に後ろから布を当てられ雪藍が「まずい」と思った時には既に遅く、雪藍は急速に意識を手放した。

「起きろ」

 冷水を浴びせられて無理矢理意識を覚醒させられ、雪藍は漸く自分の両手を縛られて店の中に倒されているのに気付いた。

「何、を」

 男達が雪藍を取り囲む。ぼうっと滲む視界で捉えた中には、以前麗華を無理矢理攫おうとしていた男の姿もあった。

「覚えてくれてたみたいで嬉しいぜ。前回やられた教訓に薬を使わせてもらった。何、暫くすれば効き目は切れる、死にやしない。、な」

 にやりと男が笑うのにゾッとしながら、雪藍は男達の目的を探った。


「報復か」

「それもあるがなあ、お前、派手にやったらしいじゃないか。王に楯突たてついたって?」

「……まさ、か」

 愕然と目を見開く雪藍を見て、ヒュウッと男が口笛を吹く。

 「物分かりがよくて結構なこった。王サマが『長く続く後宮の歴史にたかが庶民が口を出すなど万死に値する。手荒な真似をしても構わない、二度とそんな発言が出来ないようにしろ』と俺たちに命じたってわけさ」

「まさか。あれは、主上が自ら──」

「王城でどんなやりとりがあったかは知らんが、王の気まぐれは有名だろう。謝家は取り潰しが決まったらしいぞ。お前がでしゃばったせいで可哀想になあ。明琳とかいう娘は奴婢ぬひになるってな」

 信じがたい男の言葉に、雪藍が目を見開く。

「っ、な、」 

「女達を何処にやった?」

 明琳は逃げ果せたのか、良かった、と思ったのが顔に出たのだろう。腹部に強い蹴りを二度、三度と繰り返し入れられ、雪藍は痛みに呻いた。


「女を何処にやったと聞いているだろう」

 前髪を引っ張られて無理矢理半身を起こされ、女の居場所について口を割れと強要する男を雪藍は睨み付けた。

「知らないし、知っていたとしても教えな──っう、」

 ガン、と強い衝撃が雪藍の顔面を襲い、雪藍は地面に倒れ込んだ。

 口の端が切れて、鉄臭い味が雪藍の口の中いっぱいに広がる。男は地面に倒れ込んだ雪藍の腕を容赦無く踏みつけ、ミシミシと骨が軋む音が店の中に響き雪藍は声にならない悲鳴を上げた。

「何か勘違いしているようだが、俺たちは王命でここにいるんだ。早く吐いた方が身のためだぞ。殴るより骨の一本や二本へし折った方が口を割る気になるか?それとも、この店に火をつければ喋りたくなるか?ああ、いや、自分の所の店よりも、周りの店が燃える方が堪えるんだろうなあ、てめえみたいな偽善者野郎は」

「っ、それ、は」

 やめてくれと雪藍が男に懇願しようとした時、ひどく呑気な声が入口から聞こえてきた。

 

「雪藍、君が欲しがっていた莎士比亚シェイクスピアとかいう人の本、英国で手に入ったよ。向こうでも大人気で手に入れるのには中々苦労したんだが、感謝してくれ。友人のよしみで特別サービスだ。お代は髪留め用の織物でいい、珀蓮に贈るんだ。……一人で喋らせないでくれ、友よ。いるのは分かってるんだぞ。……雪?」



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