第1話 花と錦の集う街

 ──華南かなん、商家と花街が賑わう麗しい町。


「今日は娘の衣装をお願いしたい。後宮こうきゅうで恥をかかないような服を」

 天錦堂てんきんどうお得意様のしゃ家の旦那がほくほく顔で「娘が後宮に上がることになったのだ」と店主のえい雪藍せつらん慶事けいじを告げるが、肝心の娘、しゃ明琳めいりんの顔は暗い。


「明琳?どうかした?」

せつ様、私、私、後宮になど行きたくありません……!」

 今年十五になったばかりの娘、明琳めいりんが涙ながらに雪藍に訴えかける。雪藍も今回の後宮入りが本人の気持ちをないがしろにされていることに気付き、そのかんばせにかげりを見せた。


 王は男色家であると噂されているが、後宮に入った以上は王にみさおを立てなければならない。つまり一度後宮に足を踏み入れてしまえば、王から去宮を命じられるまで誰にも愛されることなく日々を過ごさなければならないということだ。

 しかし、現王は逆心ありと見るや容赦なく処刑する非道な人間だと聞く。

 明琳が逃げ出せば謝家は家ごと断絶される恐れもある。

 雪藍はしばし思案し、卓上の書状に目を留めた。

「分かった。私が何とかする、心配しなくていい」

「何とかって、どうやって……」


 謝家の旦那が「余計なことをしてもらっては困る」と言いたげなのを察して、雪藍はとん、とその玉のように白い指先で書状を指差した。

「先程志家の若様が置いていったものです。明日王宮で剣技大会が行われるそうですが、『優勝者には王が望みを一つ叶える』と。明琳を後宮に上げないようにという願いくらいは叶えてくれるでしょう」

「し、しかし……」

 謝家の旦那はまだ渋っている。明琳が王に見染められることを夢見ているのだろう。雪藍は明琳が後宮入りした時のメリットとデメリットを並べ、旦那の説得を試みた。


「旦那様、考えてみて下さい。これまで数多の美女が後宮入りしましたが、誰一人として王の目に留まった者はおりません。皇后の元へも一度もお渡りになったことがないとか。男色家だという噂です」

 皇后は皇后で琰帝にはまるで見向きもせず、男嫌いで有名なため、この二人に関してはある意味互いの利益が一致しているとも言える。

「た、確かにそういう噂は聞いているが……」

「明琳は美人で気立もいい。後宮で誰にも愛されず魑魅魍魎ちみもうりょう渦巻く奸計の世界に置くのはあまりに可哀想ではありませんか。男色家の王の寵愛を受けるという博打を打つより、商家に嫁がせた方が謝家の存続・繁栄にとっても良いのでは?」

 雪藍の言葉に思うところがあったのか、謝家の旦那はがっくりと肩を落としてその申し出を受け入れた。

「わ、分かった。任せるよ」

「雪様、感謝します……!どうか気を付けて……!」

「うん、ありがとう。必ず優勝してくるよ。明琳、好きな服を一つ選んで。十五になったお祝いをまだしていなかったから、贈り物をさせて欲しい」

 雪藍の申し出に明琳はキラキラと目を輝かせて、色とりどりの汉服ハンフー*の中から浅藍チュエラン*色の対襟襦裙たいきんじゅくん*を手に取った。

 

 藍色の蓮の花が胸元に来るように刺繍された白色のじゅに浅藍色のくんを巻き、帯で二つを覆う。更にその上から透けた透明の紗の生地に藍の色のすみれの花の刺繍が施されたさん*を羽織って着るそれは、確かに美しい。


 しかし、明琳がこれを選ぶとは意外だと雪藍は思った。明琳は普段紅や桜色を好んで着用しているからだ。

「明琳、それでいいの?」 

「これがいいの!私、珀蓮はくれん様みたいになりたいの!」



 少女の言葉に、雪藍はうっと顔を引き攣らせた。

 

 




汉服:漢服

浅藍:水色。日本の浅藍色とは別物。

対襟襦裙:漢服の一種。上着の対称的な襟元の間から肌着が見え、帯の下でスカートを肌着に巻き付ける服。

襦:肌着 裙:スカート 衫:長袖


 

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