来てくれた

先生は、もう来ないと思っていた。

なのに、またこうして来てくれていた。


でも、もう、うまくはいかない。


借金を返され、俺は、奴隷生活に戻った。


父親が、蕪木の家で働いた日からこうなる事は決まっていたし、わかっていた。


そんな下らない人生が一生続くだけだ。


終わらせるのは、決めているから何も怖くなどなかった。


むしろ、先生と退院まで下らない話をたくさんして思い出を作るだけだ。


もう、そう決めた。


そこに迷いはなかった。


「先生は、忘れられない人がいるか?」


「はい」


「俺もだよ。退院して、暫くしたらその人の所に行くつもりなんだ。残りは、その人との人生に使おうと思ってるんだ」


「そうですか」


「ああ、だから、さっきの忘れてくれ。ちょっと、頭がおかしくなってたよ。ハハハ」


「わかりました。」


先生は、そう言ってココアを飲み干した。


「それでは、帰ります。」


「それじゃあ、気をつけて」


回りくどいSOSを誰が、気づくだろうか?


人間って、こんな風に助けてって言うんだな。


死にたくないのかよ、俺。


財布から、写真をとって見つめる。


俺の人生を終わらす権利は、俺にだけあるだろ?


恋に堕ちるのは、死を意識した俺にとって一瞬だった。


あの桜の木の下で、天使にすがり付いた。


死にたくなかったんだ。


こんな糞みたいな人生でも、生きたいって思っちまったんだよな。


どうでも、いいよな。


先生が、休みの日以外は話をした。


パラパラ漫画のように一日は、あっというまに過ぎていった。


もう、退院は明日だった。


「犯人、見つかりませんね」


「先生がいうから、一週間前に被害届だしたばっかりですよ。それは、無理でしょ?」


「そうですね」


同じ事件が起きたらいけないと、先生に説得されて一週間前に被害届を提出した。


警察が、向こうから来てくれた。


蕪木は、相変わらずランダムに現れては、俺を蔑んで嘲笑った。


「明日終わったら、私とこの街を出ませんか?」


「先生、冗談キツいよ」


「これで、足りますか?蕪木さんへの返済額。」


先生は、通帳を渡した。


「2000万ですか」


「父の保険金と貯金です。足りますか?これで…。」


「俺なんかに、こんな大金使わなくていいよ。」


「桂木さんだから、使いたいんです。明日、朝一で、私の仕事は終わりです。退院手続きをして、昼過ぎには帰れます。ひとまず、私のマンションに来てくれますか?それから、この街をでましょう」


「先生、頭のネジはずれたんじゃねーか?こんな、汚いおっさんとどこに行こうってんだよ」


「SOSを受け取りましたよ。私は、ちゃんと」


先生は、俺の手を握りしめた。


「一文無しで、どこにもいけないだろ」


「一文無しでは、ありません。今月の給料もありますし、少しだけ別に貯金もあります。仕事は、行った先で見つければいいですし。何より、桂木さんがいれば私はそれだけでいいんです。」


「先生、だから頭おかしいんだって。こんなおっさんに何言ってんだよ。」


「桂木さんを助けたのは、私ですよ。だから、桂木さんの命をどうにかする権利は私にもあるはずです。」


力強い眼差しに、冗談言うなよなんて言えなかった。


「わかったよ。好きにしてくれ」


「その通帳、渡してくださいね」


「どうやって、おろすんだよ。あいつが…。」


「私が、蕪木さんに渡してきますから、桂木さんは待っていて下さい」


先生は、そう言って笑った。


「いいのかよ、俺なんかの為に人生を無駄遣いして」


「桂木さんだから、私は無駄遣いしようと決めたんですよ。私と桂木さんは、よく似てる。愛する人を失ったまま止まっている」


「先生、ごめんな」


「何で、謝るんですか?好きになるのに、時間は関係ないですよ。どうやら、私は、桂木さんを好きになったようです。」


そう言って、先生は笑ってくれた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る