鮮紅が煌々と3

 謎の少年だか青年だか分からない童顔の人を助けた翌日。特にそうしようとかを考えた訳ではないが(むしろそれまで頭にすらなかった)、たまたまその現場前を通りかかった私の足は引き留められるように止まった。

 相変わらず仄暗くあまり足を踏み入れたいとは思わない路地裏。そこをそとから少し眺めてみるが人影らしきものはない。

 それを分かってはいたが、私はその路地裏へ猫のようにふらっと入り込んだ。お礼を期待している訳じゃないけど、何となく昨日の人がいるかと思って。


「まぁそんなわけないよね」


 中腹辺りまで足を進めた所で立ち止まり、一人当たり前とも言うべき事を呟く私。

 そして踵を返し戻ろうとしたその瞬間。私が体を後ろへ向け動かすのとほぼ同時に、後方から口を塞がれた。


「ん!」


 青天の霹靂の如き出来事に驚愕のあまり声を一度上げる事しか出来なかった私の体を、透かさず太い腕が抱き締めるように押さえ付けた。同時に背中へ押し付けられる隆起した硬い筋肉。それだけでも後ろの男が筋骨隆々だという事が分かる。


「――ん! んー! んー!」


 数秒という静寂を挟み、私の中では一気に恐怖やら何やらが溢れ出しとにかく暴れ叫んだ。だが拘束具のような腕はビクともせず、声も防音室内のように路地裏を出る事は無かった。脱出の兆しが微塵も感じられない状況に私の視界はぼやけ始める。


「まぁまぁ。そう騒ぐな。落ち着け」


 耳元で囁く嘲笑するような声。

 そしてそのまま男は依然と暴れ叫ぶ私をいとも容易く引きずり始めた。抵抗など無に等しく私は傍らにあったドアを通り、明らかに廃ビルの人けが無い場所へ連れ込まれた。簡単には逃がさない為なのか、男は私を引きずったまま階段を上り始める。一階、二階と上へ行く。

 何階まで来たのかは分からない。というかどうでもいい。私は必死に唯一自由な両足をバタつかせるがついには真っ暗な一室へ連れ込まれてしまった。窓は何かで塞がれているが雑なせいで所々から陽光が忍び込んでいる。あの路地裏のように仄暗い。

 そして中まで運ばれたところでついに男は足を止めた。


「よし」


 小さく呟き私の体を拘束していた腕が動き始める。


「んー! ん! ん!」


 抵抗したがやはりビクともしない。

 すると大きくゴツゴツとした手が私の喉元を包み込んだ。少しでも力を籠められれば小枝の如く折ってしまいそうな手。それはまるで刃物でも突き付けられているからのような恐怖だった。


「いいか? 少しでも叫んだらお前の首を絞めてやるからな。お前はただ黙ってろ。いいな?」


 さっきよりも真剣味の増した声は更に恐怖を煽った。一度でも叫べば本当に殺される。それが私の頭を埋め尽くした。

 その恐怖の重みに耐えかねるように私は、分かったと小刻みに頷いて見せる。


「よし」


 そしてゆっくりと私の口元を覆っていた手が離れていく。恐怖に呑み込まれ暴れた所為で荒れた息だけが口から出て行く中、今すぐにでも助けを乞いたい気持ちを必死に抑える。生温い泪が何度も両頬を通り落ちるのを感じながら呼吸には嗚咽する声が混じり出した。

 だがそれを雑音だと言うように口をガムテープで塞がれる。微かな声とすすり泣く音だけがそこには残された。


「こっち来い」


 そして喉を掴まれたまま引っ張られた私は椅子に座らされ、逃げられないように手が縛られた。


「ははっ!」


 男は達成感のような声を上げると、私の両肩へ手を乗せた。その瞬間、ビクッと跳ねる私の体。

 だがそんな事は気にも留めないと言うように下へ撫でるように移動させ始めた。肩から脇へ、そこから横を通りお腹を摩り、下から胸を持ち上げる。揉むように小さな円を描き両手を動かすと、そのまま抱き締めすぐ横から顔を覗き込んだ。


「なんだ? 泣いてるのか?」


 私の顔はもうすっかりぐちゃぐちゃになっていた。

 すると男は片手を体から離すと、少しして見せつけるように一本の大きなナイフを目の前へ。再び、私の体が跳ねる。


「大丈夫だ。安心しろ」


 そう言いながらゆっくりと刃先で私の頬を撫で泪を掬い上げた。


「すぐに良くなる」


 言葉の後、もう片方の手も体から離れた。

 そしてナイフを手にしたまま両手は私の脚へと伸びていく。履いたショートパンツの手が届かぬ膝より少し上の内側に感じる男の手。まるで蛇のように手は上へ這い上がってきた。ゆっくりと外側へ脚を開かせながら纏わりつくように気持ち悪く。どんどん上がってくる。

 だがショートパンツにその手が触れそうになったその時。私の耳には男の不快な息遣いとは別に足音が聞こえた。同時に微かだが鼻歌も。

 直後、それは私だけに聞こえていた幻聴などではない事を男の声が教えてた。


「おい! てめぇ何してやがる!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る