#30 1月24日 時効/インターネット/薄れていく


 今年の冬は暖かい。昼間は暖房なしでも過ごせるような日々が続き、たまに冷たい雨が降る。雪の気配なんてものはまるでなかった。


 今日も時期の割に気温は高く、日差しが心地よい日だった。窓から入る光の温度だけで、部屋は十分に過ごせる状態だ。


 今日は偶然、美術関係の本を読んでいた。美術史をベースにした美術鑑賞指南本といった趣の一冊。読み終わって、いつものように付箋を貼った箇所を読み返しながらメモを取っていた。紹介できそうだなと思いながらペンを動かす。


 そんな瞬間にふと思い至る。


 結局、羽鳥湊咲はどんな絵を描いていたのだろうか。


 本の内容からなにか連想するようなことはなかったのだが、不意の思考がそんなところに寄り道をした。


 パソコンに視線が向く。どうしようかな。


 見ないで欲しいと言われたことは覚えている。


 でもきっと、もう会うこともない相手だ。


 そのやり取りだって1年以上前になるし。


 時効だとかなんとか、理由付けはできるし。そもそも私の行動を彼女が知ることはないだろうし。


 そんな言い訳を思い浮かべながらメモ用のノートを脇に寄せ、代わりにパソコンを引き寄せる。


 ブラウザ上で開きっぱなしだった通販サイトの横に、新しいタブを開いた。


 検索窓で点滅するカーソルを眺め、また少し迷ってから。羽鳥湊咲という名前だけをそこに打ち込んでみる。


 読み込みの数秒。なんだか緊張する。


 何も出てこない可能性だって十分にあるのだ。


 つまり、湊咲の語ったことがすべて嘘だったという可能性が。


 そうしたら、どうしようか。


 もちろんどうしようもない。そこで私が受ける実害なんてない。


 そもそもその真否を保留にして、損のない曖昧な関係を選んでいたのは過去の私自身だ。


 そんな杞憂を他所に、結局ずらりと検索結果が表示された。例えば自分のような、何者でもない人間の名前では絶対に表示されないくらいの数。


 この部屋で何度もご飯を作ったり、くだらない話をしたり、床で寝落ちてみたり、時には苦しげに言葉をこぼしたりしていた。そんな彼女は違う世界に生きていた人間だったのだと、この時点で改めて思い知る。


 もちろん普通に生活をしている人間なのだから、偶然に生活圏が重なる何者でもない誰かはいる。湊咲にとってのその一人が私だったというだけで。


 くだらないし、無駄な感傷だ。そういう意味で彼女が何者だったかなんて、あの時の私は大して考えもしていなかった。


 だったら調べなければよかったのに、なんてことも今更考えてしまってから。後戻りするにもやや遅く、検索結果の一つをクリックした。


 最初に表示されたのは、展示された絵の前で佇む制服姿の湊咲の写真だった。服装を除いても、私が知っているよりも更に幼い雰囲気だ。目元の隈が殆ど見当たらないのは特に大きな違いだろうか。


 写真を眺めていて思い出すのは、懺悔するように言葉を連ねた湊咲の姿。


 彼女の絵を売ろうとした人たちの振る舞いは、商売としては正しいのかもしれない。作品だけで稼ごうとするには、あまりにも創作のハードルは下がってしまった。素晴らしいものをただ作ったって利益はやってこない。理想論で飯は食えないし、学校にも通えない。やりたいことを続けることも。


 私の仕事の中でも少なからずそういうことを体感する場面はある。そして売り上げの面ではそれに助けられることだってある。


 しかし、それはそれとして。


 どうしようもないやるせなさが湧き上がってくるのも確かだった。


 記事を読み進めていくと、彼女が調べられたくないと言っていた理由がわかるような気がした。なにせ絵そのものの画像が極端に少ない。ほとんどが湊咲本人にピントを合わせた写真ばかりだった。その合間に、本人が言ったのかどうかも怪しいようなコメントが挟まっている。


 ヒットした記事をいくつか眺めた。どれもこれも、似たりよったりな構成だ。


 もちろん、流石に丸っきり彼女の姿の写真ばかりというわけではなく。いくつか絵も眺める事ができた。


 どれが本当に本人の作品なのか、画面越しに見ただけでは私には判別できない。展示会をやるよりも前、本人名義で賞を取ったというものに関しては流石に湊咲が描いた物だろうか。


 作風としては風景を中心に、ところどころファンタジックな誇張がなされている、という印象である。現代的な、平たく言えばSNS映えしそうな雰囲気は確かにあった。


 そんな中でふと目についたのは、あじさいを描いた絵。弾けた水滴がそのまま光り輝くようなキラキラとした明るさが、ちょっと眩しすぎるくらいだった。


 気になった理由はもう懐かしい記憶。湊咲にはこんな風に見えていたのだろうかと、あの日私の後ろを歩いていた迷子を思い出す。


 素人目ではあるけれど、どれも相応の努力をしなければ描けない作品には見えた。しかしこの段階で強く響くような何かを感じるかというと、そこまでは至らない。


 残念なのか、そうでないのか。実物を見る機会はきっとないだろうから。


 そのまましばらく調べ続けて、目新しいものはもう見つからなくなった。この場で調べられるのはこのくらいだろう。


 そしてやっぱり改めて、悪いことをしたような、してしまったような気分になる。もはや誰に対しての罪悪感なのかもわからない。


 今すぐに自分の行いを消し去るのも違う気がして、記事を開いた画面を閉じる事もできない。これもまた、なんの意味もない振る舞いだと理解はしている。


 湊咲とはもう二度と会うことはない……とまでは言い切れないが、会う理由は見つからない気がした。引っ越していなければ生活圏はほどほどに近いはずだが、それでも偶然に期待できる距離ではないだろう。最初の数回は、やっぱり特別と言えば特別だった。


 その上で、今の私はあの子に会いたいのだろうか。


 感傷なのかどうかも分からないまま、自分の内心へ沈み込むように考える。


 会ってみたい、という言い方ならば頷けるかもしれない。


 復学して、それが順調でも順調でなくとも、きっと学生を続けているだろう羽鳥湊咲がどんな風になっているのかは気になる。


 久しぶりに遊びに行こうよ、とか。声を掛けることはできると思う。そこにあるスマートフォンを手繰り寄せてメッセージを送ることは、その動作自体は難しくない。積極的に関係を切られていなければとりあえず届くだろう。


 けれど、躊躇う。


 彼女の立場に立ってみれば、やっぱり私は不要だと思う。下手をすればトラウマの引き金になってしまうのではないだろうか、とすら。


 今の彼女がうまくやれているのであれば。


 私と一緒にいた時期は決して楽しいだけの日々ではなかったはずだ。


 絵を描くのが好きだったと言っていた。そしてどうして好きだったのかわからなくなったと言っていた。もしも今の彼女がそんな日々を乗り越えられているのなら。それがきっと一番であって。


 その可能性は低くないだろう。連絡がないことこそ、その根拠とも言える。


 湊咲が今どうしているか、なんて。私は彼女の近況が気になっただけ。ちょっとした日常のやり取りをする相手を求めているだけ。


 今も思い出すのは確かだけれど、それも月に数回のことだ。


 だから沈黙を選ぶべきだと思う。


 邪魔をしてしまう可能性を取るよりは、何も変わらずに薄れていくほうが。


 きっとお互いのためだろう。

 

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