#10 8月10日 二度寝/寝不足/化粧の仕方


 なぜまだ暗いのだろうか、と思う。寝ぼけた思考はゆっくりと渦を巻いて回答を探す。たっぷり時間を掛けてから、まだ起床時刻ではないからだろうと思い至る。中途覚醒してしまったらしい。


 そこまで思い至ったけれど、とりあえず。しょぼつく目をまともに開いてみた。


 視界に飛び込んできたのは暗がりに浮かび上がるような白い肌。


 目の前に人の顔があった。


 血の気が引く。


 一気に目が覚めた。


 心臓がバカみたいに跳ねて、喉が詰まる。


 いざという時に声が出せなくなってしまうという感覚を、知りたくもないタイミングで知った。


 誰かといえば、当然、床で眠っていたはずの羽鳥湊咲である。落ち着いて見れば彼女はとてものんきな顔で、こちらを向くように横向きで眠っていた。寝ぼけたか何かで上がりこんできたのだろうと、予測はできるが。


 だったら最初からベッドで寝ていてほしかった。心臓に悪い。


 よく見てみればうっすら口を開いていて、下敷きになった頬が柔らかそうに潰れている。間抜けとも言えるその姿に、驚いてしまったことがバカバカしくなってくる。


 深呼吸がてら、そっとため息を吐いた。


 二度寝、しよう。

 



 日が昇って、私が起床して休日の朝ルーティンを済ませても、羽鳥湊咲が起きる気配はなかった。となると他にできることもないので、インスタントのコーヒーを淹れ、相も変わらず本を読むことにする。開いたのは最近メディアで話題になっている小説。職業柄、義務を感じて手に取ってみたが、今のところは前評判が勝っていると感じていた。


 そして、立ち上がるのが億劫で放置した空のマグカップも乾き始めた頃。


 衣擦れの音がした。紙面から視線を剥がして顔を上げる。


 羽鳥湊咲がようやっとベッドの上で身を起こしていた。


「おはよう」


「おはよう……ございます?」


 寝ぼけ眼で、ベッドの上からこちらを見ている。


「えっと、わたし」


 彼女は身体を起こし、開ききっていない目できょろきょろと周りを見渡した。状況がわかっていないらしい。


「最初は床で寝落ちてたけど、気がついたら隣にいた」


 半分だけベッドからずり落ちた状態の、正確には半分だけ持って上がったらしいタオルケットを指差す。


「夜中に目が覚めた時、死ぬほどびっくりした」


 戯れくらいの気持ちでそう付け加えたのだが、彼女は申し訳無さそうに肩を縮こめた。


「ごめんなさい……」


 心底恐縮してしまったような様子で、こちらの居心地まで悪くなりそうだった。


「あんなに酔ってても記憶はしっかりあったのに」


 なので、露骨に茶化すように言ってみる。


「そう、ですね……最近、ちょっと」


 言葉は濁されていた。


「寝不足?」


 その先を拾ってみる。最近と言ったが、隈が目立っていたのは最初からだ。


 返答に迷うような間を空けてから、羽鳥湊咲は曖昧にうなずいた。


「わりと……」


 言いよどむようにしつつ、ベッドから足を下ろして座り直した。聞くべきではなかっただろうか。


「でもなんだか、今日はちゃんと眠れたような」


 それから彼女はちらりとこちらを窺うようにしつつ、そんなことを言った。


「それはよかった」


 実際に寝付きはかなり良いように見えた。普通は自宅のほうが眠れるんじゃないかと思ったりはするけれど。


「とりあえず化粧落として、顔洗って来なよ」


 洗面所を指し示す。


「上手な隈の隠し方、教えてあげる」


 化粧の技術は人並みだが、これだけはそこそこ自信がある。


 昼型生活を余儀なくされた本読みにとっての、必須技能として。


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