#2 6月13日 書店/就活生/悩みは尽きない

 

 店名義のSNSへの投稿を終えて、PCを閉じた。先週入荷した新刊小説の宣伝だった。きちんと自分で読んでから紹介しようと思っていたら、ややタイミングが遅れてしまったが……どうかな。意外と売り上げに影響してくるから、あまり適当にはできない。


 売り場に戻る前に、一応鏡で身だしなみを確認する。見慣れた顔と向き合いつつ、店指定のエプロンの裾を直し、あまり意味もなく髪に手ぐしを通した。一番長いところの毛先が肩に触れそうだ。ちょっと伸びたな。


 なにはともあれと売り場に戻る。お客さんは見当たらなかったが、バイトの子が棚の一角で佇んでいた。


「太田さん? どうしたの?」


 あまり見ない様子だったので声を掛けてみた。彼女は比較的上背があるので、じっと立ちすくんでいるとそれなりに存在感がある。


「あぁ、鈴川さん」


 バイトの子、もとい太田さんは顔を上げてこちらを見た。


「私、今就職活動中なんですけど……」


「そっか、4年生だもんね」


 彼女が見つめていた本棚をちらりと眺める。ビジネスマン向けの啓発本コーナーだった。ちょうどそういう時期なので、人事担当者向けの本を多めに揃えている。出版社のポップを出していたりもするので、目についたのだろう。


「ほんと、ありがちで、どうしようもない話なんですけど」


 自嘲的な前置きが挟まれる。


「なんか……どうも、自分が何をしたいのかわからなくて」


 確かにありがちな悩みといえるのかもしれないが、当事者にとってはそれで済まされるものでもないだろう。


「社会に出ている自分の姿も、想像できないっていうか」


 ちゃんと考えてるんだな、とか、偉いな、とか。そんな感想が他人事して浮かぶ。


「仕事だし、割り切るもんだろうってのも分かってるんですけどね……」


 やるせなさそうな嘆息を挟んで。


「割り切る線引きみたいなのがどうもわからなくて」


 太田さんはちらりと本棚を振り返ってから、また私を見た。


「鈴川さんはどうでした?」


 私はそんなことをろくに考えてもいなかった気がする。少なくとも、太田さんと比べて将来への真剣さは段違いに足りなかった。


「私は……アルバイトからそのまま社員になったから、あんまり参考にならないかも」


 学生の頃から系列の本屋でアルバイトをしていて、そのまま就職して、配属されたのが今働いているこの店だった。トントン拍子と言えばトントン拍子に決まった就職だったと思う。自慢でなければ謙遜でもないが、浮き沈みの少ない人生を送ってきた自覚がある。


「一応、面接とかはあったけど」


 それっぽいことを話したはずだが、あまり覚えていなかった。記憶力には自信がない方だ。


「何を仕事にするかってところは……私も広い意味では太田さんと同じような感じだった、気がする」


 アルバイトの延長以上が思いつかなかった、ような。


「したいこととか、あんまりなくて」


 ぼんやりと流されるように生きている自覚はずっとある。それに対するネガティブな感情はなくて、だから余計にそのままだ。正社員として働き始めて3年になるが、我慢できないほどの不満もない。


「大学生の頃から別の店舗でバイトしてて。本屋の仕事は嫌いじゃなかったし、本を読むのは好きだったし」


 それくらいしか好きな事がなかったから、あまり迷わなかったのかもしれない。“好きなことを仕事にしよう”というような、前向きな意識はほとんどなかったけれど。


「ちょうど正社員の話も来て、その時の店長に誘われたし、まぁ、いいかなって」


 早い段階から就職活動を始めた同級生たちが疲弊していく姿を見て、あまり足を踏み入れたくないと思ったことは覚えている。


「やったことがない職種に飛び込むのが不安だから、とかは考えたけど……そういう意味では、かなりざっくり割り切ってるかも」


 未来のことを考えるのは苦手で、様々な場面を「まぁいいか」でやってきた人生である。その延長線上の今だ。


「先のこととか、ほとんど考えてこなかったしね」


 それでもどうにかなってしまった。なるようにしかならなかったといった方が正しいだろうか。


 実際問題、この仕事は給料が多いわけではなく、休みが多いわけではなく、力仕事も多い。裏作業の種類も表から見えるより膨大だ。時代の流れに取り残される筆頭でもあるだろうし。


 あまり他人に薦めたい仕事ではないと思う。どんな仕事なら薦められるのかと聞かれたら、それも答えられないけれど。


「だからあんまり、私のことは参考にしないほうがいいと思うよ」


 目の前のこと以外を考えるのは苦手だった。その結果としてこうなっただけ。だから、きちんと考えようとしている太田さんに語れることは見つからない。


「一応、うちに就職したいのなら話は通せるけど」


「それは、うーん、どうなんですかね……」


 濁される。それはそうだろう。


「まぁ、お薦めはしない」


 自然と苦笑が浮かんでしまった。


「太田さんなら内定取るまでは苦労しなさそうだし、とりあえずで進めながら考えておいたら?」


 無難な言葉を口にしておく。決して嘘ではないし、多少なりとも年上として、間違いではないだろうとも思っている。


「そう、ですね。今の所、やってる範囲はスムーズに行ってる方だとは思うので」


 就活に悩んで、就活本ではなく人事担当者向けの本を眺めている辺り、抜け目はなさそうだ。


「普段の働きぶりも、うちのバイトの中で太田さんが一番しっかりしてるし」


「ありがとうございます。仕事します……」


「全然いいよ、暇だしね」


 適切に手を抜くことができるのも、“しっかり”の範疇だと私は思う。


「またなんか……相談というか、愚痴というか、聞いてもらってもいいですか」


「私でよければ」


 役に立たないとは思うけれど。ただ聞くくらいならできるだろう。


「ありがとうございます」


 ぺこりと太田さんは頭を下げた。そしてレジへ戻ろうと歩き始める。


「あ、そうだ」


 その後ろ姿を見て、ふと思いついて呼び止めた。


「シフト減りそうなら、早めに教えてね」

 

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