幻魚 第11章

 翌日の土曜日、午前九時。


 大樹たいきが眠っている間に、瑞樹みずきが制服を洗濯してくれていて、部屋干しされていた。



 「おはよう。朝食も、昨日の残りの魚だけど、良かったら食っていきな。」


 「ありがとうござじます。昨夜はおかげさまでぐっすりと睡眠が取れました。ありがとうございます。」



 瑞樹は、味噌汁の鍋に火をかけ、ご飯をよそって、冷たい麦茶とたくあんを出した。

 「TKGにする?」


 瑞樹は、生卵を持ってチラつかせた。


 「い、いやあ、私は普段は朝は食べないんです。なので、ご飯とお味噌汁で十分です。ありがとうございます。」


 「そうか。だったら、無理して全部食わなくてもいいよ。俺に勧められたからって、気を使って全部受け取らなくたっていいんだぞ。」


 「すみません。少食なもので。」



 「あ、あのさ、今日も仕事帰りに、うちに来ませんか?昨日、届けてもらった烏賊いかもまだたくさんあるし。大樹とはもう少し、喋りたいんだ。」


 「私は明日、お休みを頂いています。なので、家に戻らなければならないことはないです。」


 「そうか?それじゃあ、また、泊ってくれると嬉しいな。制服のままでおいでよ。また今日中に洗濯してやるから。」


 「すみません。せめて食費の分だけでも、何かお返しが出来ればいいんですけど。」


 「気にしてるのか。俺の方から頼んでいるのに・・・。兎に角、仕事帰りに、アパートの来客用の駐車場に車停められるから、寄っていってよ。」


 「はい。ご迷惑でなかったら、そうさせて頂きます。」


◇◇◇


 宅配業界の土曜日。


 通勤の車が少ないので、行楽地やデパート周辺の道路以外は渋滞していないことが多い。


 しかし、着払いや代引きで荷物を受け取りたい客が多く、配達すべき荷物の数が多い曜日である。



 この日、大樹が『ペンギン快特便』の事務所を出たのは、午後八時を回っていた。


 プルルルル・・・プルルルル・・・カチャッ。


 「はい、もしもし青島です。」


 「もしもし、大樹です。」


 「おおお~、大樹?お疲れ様。今仕事終わったのか?」


 「はい。これから、瑞樹さんのお宅にお邪魔してもよろしいですか?」


 「もちろん!気を付けて、運転してきてね。待ってるよ!」



◇◇◇


 ピンポン!


 ドスドスドスドス・・・。

 廊下を歩いて玄関に向かってくる音がする。


 ガチャッ。


 「大樹。おつかれ。待ってたよ!さあ、どうぞ!」


 「お邪魔します。」



 「はっはっは。今日も来てくれて嬉しいよ。」


 「私の方こそ、いつもご馳走していただいて、感謝しております。」


 「ああ、落ち着く。大樹を見ただけで、心からホッとできるよ。」



 瑞樹は冷蔵庫から麦茶とグラスを二つ出してテーブルに置いた。


 「今日も暑かっただろ?どうぞ。」


 「ありがとうございます。いただきます。」


 大樹は麦茶の入ったグラスを受け取ると、一気に飲み干した。



 「今日は土曜日だから、多分、いつもよりも忙しかったんだろ?少しゆっくりしててくれ。ご飯は温めるだけになっているから。俺、アイス食いたくなったから、ちょっと買ってくるわ。鍵かけていくけど、呼び鈴鳴らしたら出てくれよ。大樹は、何アイスがいい?」


 「え・・・そんな・・・。」


 「遠慮しないで!もし何でもいいんだったら、お徳用の箱アイス買って来るけど。」


 「私は、どんなアイスでもありがたいです。箱アイス、お願いします。」


 「わかった。じゃ、ちょっと行ってくるっ!」



 今の会話で、瑞樹はやや気分が高まってしまった。


 (今夜は、もう少し、近づけるかな・・・。)



◇◇◇




 二人はビールを飲みながら食事をして、満腹になった。




 今夜も、大樹は食事中に、瑞樹の背後にうごめく黒い影を見た。




 「本当にすっかり、ご馳走になってしまって・・・。」


 「美味かったろ?昨日のメニューと対して変わらなかったけど、まだ新鮮って言える魚だからな。新鮮なうちに、二人で食った方がいいだろ?」


 「美味しかったです。ご馳走様でした。」


 大樹は胸の前で合掌した。


 「いえいえ。美味かったんだったら、良かったよ!あ、今日、風呂は沸かしていないんだ。シャワーで良かったら浴びてよ。俺はもう、シャワー浴びたから。」


 「ありがとうございます。」




 「今夜は借りてきたDVDを観ようかと思ってんだけど。大樹がシャワー浴びたら、一緒に観ようかなと思ってんだけど。」


 「どんな映画なんですか?」


 「ホラージャンルなんだけど、どういう展開なのかが楽しみでね。」


 「ホラーですか。一人では観てはいけない、というやつですね。」


 「そうなんだよ!大樹と楽しめたらなあと思ってんだけど。疲れてるみたいだから、寝落ちしたら寝落ちした時に寝ちゃえば。」


 「ありがとうございます。シャワー浴びてきますので、あとで楽しみましょう。」



◇◇◇



 「シャワーいただきました。バズタオルもタオルも、いつも借りてしまって。」


 「そのバスタオル、大樹専用にしようか?ははははは。疲れ取れたか?」


 「すっかり疲れを洗い流しました。ありがとうございます。」



 「麦茶、どうぞ。冷蔵庫から勝手に出して飲んでいいよ。」


 「すみません。」


 大樹はグラスを取って、冷蔵庫を開け、自分でグラスに麦茶を注いで飲んだ。 


 「ご馳走様です。」

 



 「これなんだけどさ。夏はやっぱりホラーでしょう!」



 「『痩せ逝く女』?」



 「多分、最後にこのデブ女が死ぬんだと思うんだけど。どうやって死に至るのかが、観たいんだよ。」

 DVDのケースに描かれた、太った女性を指さしながら、瑞樹が言った。



 大樹はバスタオルで、頭を拭いていた。

 瑞樹はDVDプレーヤーに、借りてきた映画のディスクをセットした。




 「雰囲気出したいから、部屋の電気消すね。」



 パチッ。


 「え・・・。」


 電気を消しただけで、恐怖をかもし出す雰囲気になった。




 「大樹。俺の隣に座って。」


 大樹はドキドキしてきた。


 これから、真っ暗な部屋で、瑞樹の隣に座って、ホラー映画のDVDを観るのだ。


◇◇◇


 映画が始まった。


 太った女が、量販店で食料を大量買いして、テーブルの上にジャンクフードを投げ出して、食べ続けるシーン。



 「ある意味、これだけでもホラーだな。気持ち悪い女。」


 「ははは・・・。」



 「こいつ、ずーっと食ってるな。あとで下剤かなんかで出すんだろうな。」


 「この女優さんも、大変な役を引き受けられたんですね。」


 「顔や体は多分、特殊メイクだろうな。腹の周りにクッション入れてさ。」



◇◇◇



 「ブルーがかった気体のようなのものが出て来たな。」


 「あ、あれは・・・幽霊・・・ですかね。」


 「太った女の顔を覗き込んでる。『うわあ!大口開けてパクッ!』・・・『食べる音、汚い』・・・『クチャクチャクチャ・・・』ああ、なるほど。あの幽霊は、女が口を開けて食う度に、変なことを言ってくるわけだ。」


 「これじゃあ、この女性、食べづらいですね。」




 太った女が、大口を開けて、ハンバーガーにかぶりつこうとしている。



 『アーン。』



 太った女は、自分の口を開ける動作に合わせてどこからともなく聞こえてきた掛け声に、不機嫌になって、眉間にシワを寄せた。


 『私が食べようとしたら、『アーン。』って、誰?さっきから、何なの?耳元で、何か聞こえるけど、不愉快だわ!』



 次に太った女は、大きなシリアルボウルにシリアルを入れ、牛乳をたっぷりと注いだ。


 スプーンを口に含もうとすると、また幽霊が太った女に掛け声をかける。



 『アーン。』




 「はっはっは。こりゃ、食べづらいわ。」


 「そうですね。」




 『モグモグ、ムシャムシャ。あ~、またブクブク太ってゆく~!』




 「掛け声が、笑えるな!」


 「ははは・・・。」




 太った女性の排泄シーンが始まった。


 「うわっ、トイレの中か。太った女のトイレなんか、覗きたくはねえ。」


 「また、ブルーの気体が出てきました。」



 便秘なのか、太った女性がいきんでいるが、なかなか出ないようだ。



 「これ、ホントにホラー映画なのか?やたら、汚ねえな。」


 「ははは・・・。」



 『おっ!出て来たぞ!』


 『うわ~、何日分なのか。すんごい量!』


 『出る出る出る・・・。』


 太った女性は、恥ずかしくなって泣き始めた。




 「あの幽霊の掛け声、ついにあのデブ女を泣かせたな。」


 「ははは・・・。」





 バシーン‼


 『キャー!』


 太った女性の部屋の箪笥たんすが、いきなり倒れた。





 ヒュウウウウウウウウ・・・ヒュウウウウウ・・・・・・。


 『キャー‼』


 女性の前に、大きな怪物の顔をいきなり現出させた。




 ブルーの気体は、太った女性の部屋の中で、ポルターガイスト現象を起こし始めた。


 太った女性が食事をする時と排泄するときに幽霊が現れ、実況中継をする日々が続いた。


 ついに、女性は、食べ物を食べなくなった。




 体重計に乗るシーン。



 「ああ、あんな感じで、体重が落ちていってる。」


 「最初は百二十キロあった体重が、数か月で半分の六十キロにまで落ちましたね。」



 その後も、女性は食事をしない日々が続き、痩せ続けた。


 「あの女優、本当は、あんなにせてたんだな。」



 女性はついに、餓死した。





 「・・・これで終わりか。」


 「亡くなってしまいましたね。」



 「箪笥がいきなり倒れたりしてドキッとしたけど、割と効果音でビックリした感じだったな。」


 「効果音がいきなりで、大きな音でしたね。」



 瑞樹は、大樹が怖がって、自分にしがみついてくることを期待していたのだが、恐怖のコンセプトが想像とは違っていたようだった。


 大樹は冷静に観ていたようだった。



 「あんまり、怖くはなかったな。」


 「そうですね。実際、あのようなことが、自分の身に降りかかることもあるんでしょうか。」


 「あんな風に、幽霊のようなものが、予期せぬタイミングでやってきて、ずっと耳元で、変なことを言い続けてくる恐怖、か・・・。」


◇◇◇


 「そろそろ、寝ようか。」


 「はい。」


 二人は、布団を隣につけて寝た。





 大樹はその夜、夢を見た。


 瑞樹が、大樹を抱き締めている。


 また、瑞樹の背後に、何かがうごめいていた。


 今度は、ピンク色の何かだ。


 緑色、赤色、白色も、見えた。


 瑞樹の背後にある、色素を持った気体のようなものは、徐々に何かをかたどり始めた。


 花のようなものになってきたようだ。


 瑞樹の背後に、大量のバラの花が咲いていた。


 瑞樹の力強い抱擁ほうよう・・・。


 男らしい匂い・・・。


 温かい・・・。




 「はっ!」


 「おはよう。何やら、幸せそうな表情をしていたぞ。」


 (夢だったのか。夢じゃなければよかったのに。目覚めたくなかったな。)

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