幻魚 第9章

 金曜日の午前十時。


 森實大樹もりざねたいき柿生美佐男かきおみさおは、集配しゅうはいのお得意先となった『旭漁港あさひぎょこう』に到着した。


 「『ペンギン』さん、今日もお待ちしてました。よろしく!」


 『ペンギン快特便』のトラックを待っていた青島あおしまが出迎えた。

 水曜日も木曜日も、森實が休みだったので、青島は寂しかったのだ。


 「『旭漁港』さん、本日もよろしくお願いします!」



 「配送先は、毎日変わるから、ナビの設定とか大変でしょう?」

 『クール便』の配送先の伝票の記入を終えた青島が聞いた。


 「毎日、配送ルートは違うので、普段と何も変わりませんよ。お気になさらずに、多くの配送先をご用命いただければありがたいです。」


 「あ、そうですよね。ところで、今夜も申し訳ないんだけど、このバットの中の魚、うちに届けてくれない?美味しそうな烏賊いかが大量にれたんだよね。」


 そう言って、青島は自宅の住所を伝票に書いた。


 「それじゃ、よろしくっ!」


 「おまかせください。本日もありがとうございました。」



 『クール便』を全てトラックに乗せると、森實がナビを設定して、運転席に乗った。


 「柿生さん、どこかでお昼、買っていきましょう。」


 「そうですね。・・・森實さん、最近なんか、いい事ありました?」


 「えっ?・・・そ・・・そんな風に見えますかね。ははっ。」

 森實は、顔を赤らめながら言った。


 「・・・彼女でも、出来たんすか?」


 「いや、彼女なんて出来てませんよ。」


 「そうなんですか。あ~、彼女、欲しいなあ。」

 柿生美佐男は、ぼやき始めた。


◇◇◇


 ピンポン!


 ドスドスドスドス・・・。

 廊下を歩いて玄関に向かってくる音がする。


 ガチャッ。


 「こんばんは。『ペンギン快特便』です。少し時間がおしてしまって。すみません。」


 「こんばんは。森實さん、今日も食べてってよ。待ってたけど、金曜だから、道路が混んでたんでしょ?」


 そう言うと、青島の逞しい腕が森實の上腕を掴み、玄関の中に引き入れた。


 森實は、顔を赤くしてしまったが、帽子のつばを下げることは出来なかった。


 赤くなった顔は、青島に見られてしまった。



 「・・・いいんですか?宅配の度に、お邪魔してしまって。夕食までご馳走になってしまって。」



 「そうして欲しいって、俺が頼んでるんだ。」



 森實は、ドキドキした。



 「あんたが、気に入ったんだ。・・・さ、上がって!」


 「お、お邪魔します。」


◇◇◇

 

 「森實さん、明日休みでしょ?」


 「いえ、明日も出勤です。」


 「なぁんだ。それじゃあ、お酒は飲めないのかぁ。」


 「すみません。今日は家に帰らなければなりません。」



 「うちから出勤すればいいじゃないですか。」


 「い、いやっ、さすがにそれは・・・。制服の替えも家にあるので・・・。」


 「今から、森實さん家に帰って、明日、必要なものを持って出直しておいでよ。俺は明日休みだからさ、今日着た制服は、明日帰って来るまでに洗濯しといてやっから。夕飯作って、待ってるよ。今日はご飯も炊いといた。」



 青島はかなり強引に森實を泊めたいようだ。



 「えええ・・・。」


 森實は困惑しながらも、青島の温かさに触れ、一人で過ごす気持ちは皆無かいむになった。



 「いいんですか?お言葉に甘えてしまっても。正直、会社にも青島さん宅からの方が近いので、私はとても助かるのですが、ご迷惑ではないですか?」


 「はっはっは!じゃあ決まりだっ!俺が泊ってって欲しいんだから、頼んでるんだよ。森實さんが泊ってってくれるんなら、今夜は寂しくないな。・・・俺は、ガタイがいいから、寂しがり屋に見えないけど、ずーっと一人だから、ずーっと寂しかった。今夜は、寂しくないっ。」



 青島が、決めつけてしまったようなので、森實は一泊させてもらうことにした。



 「分かりました。これから一旦、自分の家に帰ります。制服も洗濯したいのですが・・・洗濯して干すのに一時間ぐらいはかかるから、合計、二時間位待っていてくれればありがたいのですが。」


 「うちの洗濯機で洗って、うちで干すっていうんじゃダメですか?俺は明日は休みなんだけど、『ペンギン』さんの帰りに寄ってもらって、また一緒にメシ食いましょうよ。その時までには制服が乾いていると思いますから、お渡ししますよ。」



 「そんなぁ・・・。申し訳なさすぎますよぉ・・・。」



 「森實さん、とても気を使う人なんだね。俺には何の気遣いもしなくていいんだよ。森實さんの制服、俺に洗濯させてくれないかなあ。」


 「は、はあ・・・。そ、それじゃあ、制服のまま、明日着ていく制服を取りに、一旦家に戻りますね。」


 「待ってるよ!あ、それから・・・もし良かったら、森實さんの携帯番号、教えてもらってもいい?道中で何があるかわからないからさ。」


 「あ、ああ。分かりました。」


 青島と森實は、互いの電話番号をスマホに登録した。



 「行ってきます。」


 「待ってるよ!夕飯用意してるんだから、必ず戻ってきてよ!」


◇◇◇


 森實は、ドキドキしていた。


 『青木ヶ原樹海』で自殺に失敗して以来、自宅で一人で居る時に時々聞こえてくる幽霊のようなモノの声が言っていたことを思い出した。


  『アイシアエル・・・ヒトヲ・・・サガシナサイ・・・。』


  『アイシアウ・・・スガタヲ・・・ミセテ・・・。』


  『キョウリョクハ・・・オシマナイ。』



 「あの声が言っていた『愛し合える人』というのは、私にとっては、もしかしたら、青島さんのことなのかもしれない・・・。」

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