幻魚 第8章

 森實もりざねがトイレから出てくると、昨夜配達した魚の刺身と焼き魚、醤油さしとワサビのチューブと取り皿がテーブルに乗っていた。


 「これから、太刀魚たちうおの刺身作るから。テーブルの上のもの、昨日作ったやつだけど、良かったら食べて、待っててください。」


 「凄いですね。太刀魚のお刺身・・・ですか。」


 「一応、漁港で仕事してるから、寿司職人ほどじゃないけど、魚料理は一通り出来る。何より、自分が食べたいからね。先輩から包丁さばきを習って、それなりに出来るようになった。」


 「そうなんですね。」


 先に食べていい、と言われたが、青島あおしまが戻って来るまで待とうと思った。



 「おまちどおさま、太刀魚の刺身です。」


 平たいお皿に、太刀魚の刺身が綺麗に並んでいた。



 「あれっ、食べてなかったの?」


 「え、ええ。」


 森實は、テーブルに並んでいた刺身と焼き魚に、まだ手をつけていなかった。



 「ちょっと待ってて。」


 青島は、ビール瓶を持ってきた。


 「グラスはそれでいいね。」


 「あ、私は車で帰らなければならないので。」


 「泊まっていけばいいじゃない!」

 青島は、まだ飲んでいないのに、酔っぱらっているかのようだ。


 「いやあ、それは・・・今日のところは、お酒は控えておきます。」


 「そうですか。・・・そうだよね~。いきなり、泊ってけって言われてもね。それじゃあ、俺は失礼して、晩酌させてもらいま~す。」



 青島は、森實のグラスには麦茶を、自分のグラスにはビールを注いだ。


 「それじゃ、今日もお疲れ様っ!かんぱーい!」



 カチャッ!



 青島は、森實の麦茶のグラスに自分のグラスをつけて音を出した。



 「毎晩、晩酌されるんですか?」


 「そうだね。仕事から帰ってくると、だいたい毎日ビールで一人晩酌してるよ。今夜は、森實さんが付き合ってくれて、嬉しいなあ。」


 「車で来ているので、一緒に飲めないのが残念ですが。」


 「下戸げこじゃないんだよね?」


 「たしなむ程度には・・・。」


 「それじゃあ、今度は一緒に飲もう!泊まれるときに。車は、ここのアパートの来客用の駐車場、いつも空いてるから、そこに停めれば朝まで大丈夫だよ。」


 

 「・・・青島さんは、何故私なんかを、ここまで誘ってくれるんですか?」


 「え?そりゃ、気に入ってるからだよ。」


 「・・・。」


 森實は、一瞬、何を言われたのか、わからなくなったので、呆然ぼうぜんとした。


 「俺は、森實さんが気に入ったんだ。真面目なお仕事ぶり!安心して『旭漁港』の集配をお任せできる会社と、あなたに、出会えてよかったよ!長い付き合いになるけど、これからもよろしく!」



 仕事上の付き合いのためなのかもしれない、思い込むのは止めよう、と森實は思った。



 「こちらこそ。こんなに、美味しい夕飯までご馳走になってしまって。感謝しております。」



 「お口に合ったかな?」


 「あ、はい。とても美味しいです。」


 「いや~、良かった!俺は毎日、こういう食事を作って食ってるけど、森實さんにとってはどうかな、と思ってたんだ。なんてったって、魚ばっかりだろう?」



 笑い返そうとして、森實が青島を見ると、後ろに何か黒い影のようなものが見えた。





 青島の影ではない。何か別の、黒い影だ。





 森實は下を向いて、青島がさばいて持って来てくれた太刀魚の刺身にはしを伸ばした。


 「いただきます。」


 「どうぞ!いや~、こうして太刀魚の刺身を一緒に、なんて、嬉しいなあ。」



 森實は、わさび醤油をつけて、口に運んだ。


 口に含むと、森實は美味うまさのあまり、両方の眉毛を同時に上げた。


 適当に油が乗っていて、とても美味おいしい。


 「美味しいです!青島さんが、今、作ったお刺身なんですよね。お寿司屋さんで出されたもの、・・・あるいは、それ以上に、新鮮で、美味しいかもしれないです!」


 「嬉しいなあ。良かった。食べてもらえて。作った甲斐があったなあ。」




 やはり、青島の背後に、黒い影があって、うごめいている。



 (なんだろう、あの影は・・・。)

 



 森實は青島に、背後の影を不審に思う表情を見せないように注意して、始終しじゅう笑顔を心掛けながら青島と向き合い、背後の影を注視していた。




 「それでは俺も。いただきま~す。」



 青島が太刀魚の刺身を、二枚いっぺんに口に放り込んだ瞬間であった。



 青島の背後の影が、青島の左上方に棒のように伸びて、また戻った。




 (・・・棒?)




 「うん、美味い!良かった。この味だったら、森實さんも満足したよね。」


 「今まで食べたことのないような、美味しい太刀魚でした。ご馳走様でした。」



 二人が、太刀魚の刺身を食べ終わると、青島が立ち上がった。


 「他にもアジとイワシがあるんだ。アジは開いて焼き魚と刺身に、イワシはつみれ汁と刺身にするから、待ってて。それから、ごめんね。今日はご飯炊いてないんだ。今度、森實さんが泊まり込みで来てくれる時に、炊いておくから。今日は魚だけで勘弁してね。テレビでも見ててよ。」


 「そんなぁ。こんなに美味しいお魚をご馳走して頂いているのに、ご飯なんて。アジもイワシも楽しみです。」


◇◇◇


 ギュウーン!


 ザクッ・・・ザクッ・・・。


 タンタンタンタン・・・。



 イワシをミルサーにかけたり、さばいたり叩いたりするような音が

台所に響いている。



 青島は、背中を向けて台所で調理を始めた。


 背中には、黒いモノなど、何もついていない。




 (青島さんの背後に見えたあの影は、なんなんだろう・・・。)



 

 台所でイワシのつみれを作っている青島の横に、空いた皿を持った森實がやってきた。


 「ああ、森實さん。ゆっくりしててくださいよ。」


 「せめて、洗い物ぐらい、させてください。」


 食べ終わった太刀魚の刺身が乗っていたお皿と、前の日の残りの刺身と焼き魚が乗っていた皿をシンクに置くと、腕まくりをして、スポンジに食器洗剤をつけて洗い始めた。


 「いや~、すみませんねぇ。手伝わせちゃったみたいで。」


 森實は、手際てぎわよく皿を洗っていた。


 「こちらこそ、美味しい魚をご馳走して頂いて、何もお返ししないわけには参りません。」


 「お返し?・・・一緒に夕飯を召し上がってくれることが、何よりのお返しですよ。」


 青島は、森實の過去の人間関係が、少し気になりだして、表情が曇った。



 (随分と、他人に気を使う男なんだな。こんなに気を使わなければ、生きていかれないような人間関係の中で、生きてきた人なんだろうか。)



 青島にとって、森實はかなり好みの人物なので、このまま付き合い続けたい、ゆくゆくは、恋愛関係に発展させていきたい、と青島は考えている。

 しかし、他人に気を使いすぎる森實のパーソナリティが、気になっていた。



 森實は、水切りかごに、洗った皿を立てた。


 「それじゃ、戻りますね。」



 「すみませんね。手伝ってもらっちゃって。これからつみれ汁作るんですけど、その間、アジを開いて焼いて、焼いている間に刺身を作りますね。」


 青島がそう言った瞬間だった。


 (また見えた!)


 森實は、青島の背後に黒い影を見た。




 まるで、アメーバのような動きをしている黒い影である。




 突起を出したり、ひっこめたりして、うごめいている。



 ・・・と、一つの突起が、動きを停止した。


 次に出来た突起も、動きを停止した。


 


 黒い突起の動きが止まってしまい、青島の背後で放射状になった状態が、あまりにも不気味だったので、直視できなくなった森實は食卓に戻ることにした。


◇◇◇


 森實は、テレビを点けて、ニュースを見ながら待っていた。


 「森實さーん、ちょっと来てくれる?」


 「あ、はーい。」


 「ちょっとこれ、テーブルに運んでくれる?」


 お椀に入った、とても美味しそうなつみれ汁であった。


 「美味しそうですね。いい匂い。」


 「つみれ汁。一人暮らしだと、あんまり食べる機会もないでしょ?」


 「疲れた体が癒されそうですね。胃が温かくなりそう。」



 森實は、こぼさないように注意してテーブルまで運んだ。


 「これもお願い!」


 森實は、焼きあがって皿に乗っていたアジの開きを運んでテーブルに置いた。


 兎に角、量が多い。


 こんなに食べられるかしら、と不安になってきた。



 青島が、アジとイワシの刺身を運んできた。


 「・・・毎晩、こんなにたくさん召し上がるんですか?」


 「はい。もっと食べることもありますよ。食べましょう!」


 「いただきます。」


 先程までの刺身と焼き魚だけでも、かなりのご馳走だったのに、相当お腹が膨れるだろうな、と思いながら、森實は箸を伸ばした。



 アジの刺身、イワシの刺身、ともに食べてみた。


 両方とも、美味としか言いようがない。



 「・・・青島さん、アジもイワシも、本当に美味しいです。」


 「漁港で水揚げされたばかりの新鮮な魚だからね。鮮魚店で売っている魚や、小料理屋で出される魚料理よりも、味が良かったりすることもあると思うよ。」



 すると、青島の背後に、また黒い影のようなモノが見えた。


 今度は、先程よりも、かなりハッキリと見えている。



 幅が十センチから二十センチ、長さが三十センチから五十センチほどの突起が、七~八本ほど、青島の身体から放射状に伸びた。




 そして、それぞれの突起は、魚をかたどり始めた。




 青島の背後から、頭の部分を外側にして放射状になっている七~八匹の魚。

 

 青島は、まるで『魚観音』と形容されるような状態になって見えた。




 「ん?どうしたの?」


 青島が森實に聞いた。


 怪訝けげんな顔をして、背後の黒い影の様子を見ていたからであろう。


 「い、いえ、なんでも・・・。」


 「つみれ汁もなかなか!我ながら、美味しく出来たなあ。」



 ズズズ・・・と青島は、つみれ汁をすすった。


 ズズズ・・・と森實も、つみれ汁をすすった。



 「美味しいです。・・・ああ、だんだん、おなかいっぱいになってきてしまいました。」


 「そう。良かった!」

 青島は、ニコニコと微笑みながら言った。


 

 微笑む青島の背中には、相変わらず、黒い魚をかたどった影が七~八匹、うごめいている。



 (青島さんは、あの影に、気付かないのだろうか・・・。)

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